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手本になるような議論が欲しい
安保法案もマスコミの言う「強行採決」で成立したが、立法府である国会でまともな論議がほとんどなされなかった感が強い。野党も野党なら与党も与党だったってのが感想だが、そもそも議論が行われない国会は存在価値があるのだろうか。金曜日の休日を利用して国会の委員会中継を見ていたが、そもそも議論する気が無いのか、議論する力が無いのか、不毛な時間が過ぎていくだけだった。 安保法案では最初の入り口で安倍晋三総理が「解りやすいたとえ話」をしたことがボタンの掛け違いだろう。本来、法律は条文に明文化されているのだから、「解りやすいたとえ話」は国民向けのメッセージなら良いが議論のたたき台では無い。しかし、この撒き餌に野党が真正面から食いついてしまった。いわゆる「戦争法案」ってレッテルである。 この法案の目指すものは「抑止力」強化なのだが、説明に紛争事例を出した安倍晋三総理の方法は完全に間違だった。その説明が「自衛隊はこんな時には武力行使ができる。こんな場合は憲法で許されている集団的自衛権を逸脱する」って説明だから。 国際情勢のミリタリーバランスの変化をアメリカの弱気によるロシアのクリミア半島独立(これは、前に書いたように、EUがのやり過ぎが発端)や、中国による南シナ海での埋め立てによる軍事基地造成を招いたと総括し、ゆえに日本にはより強い抑止力を必要とすると説けばなんら問題は無かった。 「抑止力」を前面に出せば野党は「憲法九条が抑止力」ってトンデモ理論で対抗してくるから論破は容易だった。にも拘わらず架空の「紛争事例」を前面に出すから脇が甘くなり「戦争法案」はては「徴兵制復活」なんて世論をアジテートするキーワードが独り歩きする。 安倍晋三総理の戦後70年談話を読むと、先の日本海軍の山本五十六聯合艦隊司令長官が「100年兵を養うのは平和の為である」って言葉が思いこされる。 戦後70年談話は是非とも原文を一読してもらいたい。ここに掲載されている。 この談話は名文として後世に語り継がれるだろうが、「戦争法案」って用語を使うのはこの70年談話に押しつぶされる感はいなめない。まさに野党の「戦争法案」に対する抑止力なのだが、今回は全て安倍晋三総理のブレインの戦術の誤りに端を発する騒動のまま収まりの付かない何時もの政局政治になってしまった。 |