イデオロギーが組織を分裂させる例が維新の会
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イデオロギーの定義が必要だが
たぶん「イデオロギー」って用語は十人十色の解釈があると思われるが、ここでは「状況を判断して個人が持つ信念」と定義しておく。そもそも十人十色なものがイデオロギーと言えるだろう。個の持つ判断基準のようなもので、これは歴史観と同じで内容が体系立って確立されるものでは無い。「似たようなイデオロギーを持つ人の集団」は有り得ても「同じイデオロギーを持つ集団」は有り得ないのだ。
では、集団は何によって組織されるかと言うと、これも用語の定義が必要だが一般論として「目的合理性」だろう。組織は目的が無ければ集めることができない。ま、組織の存在事由を同じくする旗印のようなものだろう。
古くは70年代安保の時代に学生運動から派生した多くの組織が分裂と融合を繰り返した。発端は共産党系の「代々木派」から分裂した「反代々木派」。全学連を標榜しながらその内情は組織の「目的合理性」と個人の「イデオロギー」の対立が内紛となり良い方向なら分裂、悪い方向なら「総括」となった。
当時の学生運動の時代から生き残っている組織は少ないが、革マル派と中核派は、現在でも組織的な活動を続けている。
70年代の一連の学生運動と反安保闘争にはそれこそ十人十色の組織があった。そもそも1948年に全学連が結成され、当初共産党色が強かったのだが、共産党員だった学生を共産党が除名処分したいして、新左翼共産主義者同盟(ブント)が全学連の主流となった。この体制で60年安保を戦うのだが、時間の経過と共に自然消滅する。
60年代中盤からベトナム戦争への反戦運動等から三派全学連が組織される。主流は中核派や第二ブントだが、この組織は設立から5流13派と呼ばれるほど組織が多く、それぞれが独特色のヘルメットとゲバ棒で行動する様式が定着する。
68年には全共闘が組織され、政党と一線を画した学生運動に発展していく。
が、70年代の入ると革マル派と中核派のいわゆる内ゲバから学生運動の本流を離れた多くの派生組織が出現し、連合赤軍にまで突き進んでいく。
とまぁ、学生運動のおさらいみたいことを書いたのは、その過程でいかに多くの組織に分裂していったかを振り返るためである。連合赤軍のように共闘路線を選んだのはごく少数で、限りなく分裂していったのが70年代の学生運動であった。
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イデオロギーで組織作れない
過去の話を振り返ったのは、維新の会の流れが「この道は、何時か来た道」に見えるからだ。そもそも自民党最強の現在の政治体制において、野党は与党である自民党に対抗しうる勢力を持とうと画策しているが、その実、起きている現象は分裂である。
ここ数年、多くの野党政党が出来ては消え、連係しては解散していったが、この究極の姿が現在の「維新の会」と「おおさか維新の会」に表れている。
みんなの党が立ち上がったときに当時の「たかじんのそこまで言って委員会」に出演していた当時時事通信社社員だった加藤清隆氏は「渡辺喜美さんも江田憲司さんも、政治家としてここまで人望が無くて良いのかって感じる人だ」との発言があったが、まさに、この「みんなの党」出発の頃から野党のカオス状態は始まる。
江田憲司氏の維新の党の後始末を放り投げている状況を見ても解るように、そもそも「みんなの党」はボタンの掛け違えから右往左往して維新の会と合併して最後に霧散してしまうのだ。
そこには明確な政策合意が無いにも関わらず徒党を組んだ責任があるが、政策とは時々刻々変化する情勢に応じて立案されるもので事前に政策合意ありきは理論的に無理がある。どちらかと言えば、合併後に政策を立案し組織として合意するのが筋だが、残念ながら政策論議を取りまとめる力量を持ったメンバーが居なかった。
つまり、合併段階では「イデオロギーが似た人達」程度の弱い絆で始まり、政策論争を通じてより絆を深めるのが本来のやりかただが、政策を置き去りにして権力闘争に終始して霧散してしまう。
結局、集まった議員達は「なんで、最強の党を作ったのに思ったように行かないんだ。そうかぁ、執行部が悪いんだ」の悪循環に自ら陥ることに気が付かなかった。これがいわゆるイデオロギー闘争である。「俺は正しいんだ、だから同じようなイデオロギーの人間の集まりに参加した、でも、天下取りには程遠いのが現状だ。組織内に裏切り者が居るんだ。早急に探し出して処分しなくては俺のイデオロギーは実現しない」って流れが加速する。
実は、先に学生運動の流れを書いたが、これと同じ事が国会でも繰り返されているのだ。
イデオロギーは人を裏切る
上記は北山修氏の「さすらい人の子守唄」、フォーククルセイダーズの一員であった北山修氏がエッセーの中で書いていた言葉だ。
タイトルは「旅立ちの歌」
---------以下、引用----------
人生に目的なんかない 始まりだけである
どんなにえらい哲学者が 人生の目的をでっち上げたところで
子どもの『なぜ』と言う可愛い一言で その哲学者の研究は
哀れにも崩れ去ってしまう
イデオロギーも嫌いだ イデオロギーはいつも
それを信じていた人間を裏切る
人生に目的なんかない だから人間は泣くことを覚え
笑ってごまかすようになった
歩いているのではなく 歩かされているような不安
動いているのではなく 動かされているような不安
そんな不安ばかりが募る
山の向こうに 幸せなんか無いことを知り
カール・ブッセは泣いたそうだが私なら
笑いながら歩いていく
これが 私にとっての生きるということ
目的なんかないけれど 笑いながら
淡々として 歩いていこう
たんたんとして 歩いていこう
きっと 何かが 見えるに違いない
---------引用終わり-----
「イデオロギーは嫌いだ、イデオロギーは何時も人を裏切る」
先に書いた学生運動華やかな頃に岡林信康のフォークソングのようにメッセージ性が無ければフォークソングでは無いと言われていた時代への反旗だ。同じように反旗を翻えしていたのが吉田拓郎氏だ。
イデオロギーを持つことには問題は無い。個々人が自分の信念を調べ考え抜いて形成するところに成長がある。しかし、組織はイデオロギーでは動かない。
「目的合理性」で動く。
目的合理性は客観的な成果によって判断することができる。PDCAの手法を使って常に見直すことが可能になる。実はイデオロギーには客観的成果が無いので見直すことも難しい。
最近フランクシナトラのマイウエイを英語で歌おうと歌詞を調べたら、日本語の訳詞のすばらしさを強く感じた。日本人は道(みち)を道(どう)を同意義に使う。だから「マイウエイ」は「私の生きた人生」となるのだが、英文のニュアンスは「私のやり方(way)」に近い。つまり、信念は無かったが私は私のやり方で人生を乗り切ってきたと終わりが近づいて感じるって歌詞だ。
これは決して悪いことでは無いし間違ってもいない。だから、多くの人にリメイクされてレコーディングされている(世界で2番目にリメイクが多い曲と言われている)。
つまり、信念に従って生きていくのもありだけど、個別対応で「私のやり方」で対処しても問題ないよって合意が世間にはあるってことだ。
「目的合理性」が組織の引力なら、イデオロギーを持ち出すのは組織にとって遠心力だろう。民主党が遠心力の塊(変な表現だが)なのは様々な意見のある集団では無くて「目的合理性」を持たない集団だからだろう。これを形成できない集団は全て遠心力を放って霧散していく。
イデオロギーは心の中に仕舞っておけ
これもまた劇中の有名な言葉なのだが、三国連太郎氏が出演していたドラマで、何も関係のない若者が離島の子供に届けてくれとサッカーボールを託される。若者は意味も解らずにサッカーボールを持って離島への旅を始め(途中で変な爺さんの三国連太郎なんかも加わって)島にたどり着くのだが、少年に預かった経緯と、ここまで来た苦労を話しながらサッカーボールを手渡すと「あ、どうも」と言って少年はサッカーボールを蹴ってグランドに戻っていく。
「なぁにい!あの態度、私たちの苦労を解ってない」と若者は憤慨するだが三国連太郎氏は「善意なんてのは、送る側の心に仕舞っておけ。相手に求めるな!」と叱咤する。心に仕舞っておくものと表に出すものをはき違えると組織は成り立たなくなる。
素朴で素直で純真なガキ大将の集まりの野党では、その社会の構造すら理解できないのだろう。例えるならばドラエモンのジャイアンの衆なのだ。町内にはジャイアンは一人で十分なのだが、それが地方の代表として国会の場に集まってカラオケ大会をやっているのが今の国会の野党の行動だろう。小選挙区制の弊害なのか当選したジャイアンは選挙区の代表なのを勘違いして天下人だと思ってしまう。
結局、国民不在の代議士が集まっても何もできないのだ。
地方の代表であることは心の中に仕舞っておけ。そして、国政の一員として職務を担え。それが忘れられた集団が天下取りイデオロギーに取りつかれて裏切られている自覚を持つべきだろう。
代議士には二次的に与党、野党の区別があるが、一義的には地方の代表である。落選した対抗馬の政策も担ってこそ地方の代表である。
俺が!俺が!のイデオロギー原理主義では国民から託されたものを失い、自我の発露としての国政運営に陥り、結局、遠心力で無限遠に飛ばされてしまうのだ。
野党が総共産党になりつつある昨今の政治情勢は、国政を無視したイデオロギー原理主義であり、最後に行き着く所は「あさま山荘事件」なのだと歴史に学ばなくてはいけない。
ドイツのビスマルクは「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と語ったが、今の野党は手痛い経験をするまで暴走する集団でしかない。