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三代続いた放漫都知事
東京都知事は知名度があって選挙に強く「あとだしジャンケン」ならば、実務能力は問われない。いや、一極集中で巧く行ってる東京都では知事がリーダーシップを発揮して何かやると悪い方向に向かい失敗する。だから、東京都知事は任期の間は何もしないのが定番となっている。それは、石原慎太郎氏の頃から踏襲されている。だから、内情を知っている「猪瀬君でいいんじゃない」となり(実際は猪瀬氏は反発して消されたのだが)「都市外交」なんて地方自治機能を逸脱した外遊三昧の舛添要一氏の行動が生まれる。 すべてを仕切っているのは東京都議会の自民党会派である。そのドンは現在の幹事長である宇田川聡史氏では無く、東京都議会議長の内田茂(77)氏である。 EUを形成する1国家に匹敵する規模の予算を持っている東京都は、ある意味で日本国内にある独立国家だ。他の地方自治体とは比べ物にならないほどの潤沢な税収が都政の方向いかんによらず保障されている。 舛添要一東京都知事(当時)は、就任早々「オリンピックの3会場の白紙撤回」と「エンブレム問題の批判」。これが、自民党都議会をあわてさせた。オリンピックの開催は自民党都議系の議員にとって新たな利権であり、その規模は大きければ大きいほど好都合だ。そのため、舛添知事は目の上のタンコブとなる。 そこは森喜朗氏の登場である。舛添要一知事と自民党都議会のドンの手打ちである。棲み分けの手打ちと言ってもよいだろう。以後、舛添要一氏は「都市外交」とかなんとか言って都政には一切口を出さなくなる。一部のマスコミは「舛添知事は猪瀬前知事の事業に興味が無い」と書いたが、「手が出ない」が正しい。 また、政治資金の用途問題でも舛添要一氏は知事続行のお墨付きをドンがら言い渡されて、あそこまで強気の抗弁と引き延ばし戦略を進めたが、最後の最後になって梯子を外された結果、辞任をせざるを得なくなった。 そのターニングポイントは参議院選挙、そして来年に都議会議員選挙を迎えるので、公明党が「舛添の巻き添えは勘弁してくれ」と言い出したからと言われている。 |