主権者に見える地方自治
東京都は「知事候補の顔が見えない」と書いたが、それでは例として申し訳ないのだけれど鳥取県では候補者の顔が有権者に見えているのだろうか。実は違うと思う。
今年から選挙権が18歳以上に引き下げられたが「だれに投票するかを決めるにはどうしたら良いの」って疑問が新たに選挙権を得た若者に多い。これに関しては末延吉正氏が「そこまで言って委員会NP」で「1に人柄、2に政策、3,4が無くて、5に政党」ってのは名言だと思う。
自分の主権を託す代議員を選ぶのだから、人柄が解らないと投票できない。残念ながら「政党」の組織票とかは、末延吉正氏が語っている選挙での投票の基本原理を逸脱している。あえて言えば、現在の仕組みである「代議員選挙制度を歪めている」と言っても過言では無い。憲法では個々人の自立と幸福権の尊重を詠っている、にも拘わらす党議拘束とか「都知事選挙における党紀の保持について」とか、個人の主権行使を5番目の位置づけである「政党」が歪めているのが現状だ。
そもそも、国政と地方自治の相互補完を壊しているのが国政の政党の地方自治への進出(侵出)だ。
政党政治ってのは悪しきドイツのヒトラーの時代から始まった仕組みで、そもそも憲法には「政党」なんて機能は定義されていない。そんな「烏合の衆」に政党助成金を国民の税金から捻出すること自体が民主主義制度を歪めている。猛省せよ!。
で、話は戻るが島根県では「人柄」が伝わり投票行動に結びついているかと言えば、そこには「消去法」が働いているだろう。組長の選択として「消去法」が現実使われいているのは政策論争が選挙の焦点にならないからだ。何故なら、先の二番目の判断基準である「政策」が「希望的観測、なったらいいな」で終わっているからだ。
なぜ、そうなるかと言えば、支援団体に政党が顔を覗かすからだ。政党は政権を担うことを目的に結成された集団では無い。イデオロギーの一致する集団で、ま、1960年代の学生運動の状況を一歩も出ていない。加えて、利権の傘へ集まる族議員の集団に陥っている。もっと言えば、次回選挙対策集団でしか無い。
大きすぎる東京都と小さすぎる(すぎるは誤解を招くか!)島根県を比べるとどちらも最適なサイズに見えない。例えば小さいと予算規模が限られ大きな施策は国頼みになる。ま、国頼みが悪いとは言わないが、往々にして金も出すが口も出すの中央指導型の地方自治になってしまう。
「各自治体の競争によって相乗効果を」も規模が同じ競争ならいざしらず、規模が違いすぎれば大が小を飲むのが現実だ。
では、どの程度の地方自治が最適なのだろうか。
代議員制度の最適解
代議員選挙制度で律令制度が運営されている国々の中で、割と上手く行っているのはどの国だろうか。まずは市民革命の、お手本であるイギリス、フランスを考えてみる。
イギリスの人口は6,000万人程。国連での名称がUKであるのが象徴的で、実際の登録国名は「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」で略してUKである。歴史的にはイングランド、スコトオランド、ウエールズ、北アイルランド連合の合わさった連邦国家である。それぞれの地域に地方議会がある。4箇所の地方自治体もしくは州の集まりと見ることが出来る。最近のEU離脱では地域によってはUKから独立しEUに単独加盟する運動が話題になった。
フランスも人口は6000万人ほどであある。地方自治は憲法改正が頻繁なので現状が把握できないが概略として22の地方自治体に地方分権が行われている。
加えてアメリカは人口が3億人程だが50の州からなるUnited State of Americaである。
それぞれの地方分権議会の議会当たりの人口を計算すると、イギリスが1,500万人/地方議会、フランスが270万人/地方議会、アメリカが600万人/州である。
イギリスは工業と金融のビジネスが主流なので集中型、フランスは国土が広く農業国なので分散型、アメリカはその中間と言ったところか。
非常に乱暴に言って、地方自治の最適規模は500万人辺りにありそうだ。この規模の国を調べてみるとスイス760万人、デンマーク550万人、フィンランド530万人、ノルェ480万人、シンガポール500万人
つまり、東京都知事選挙が「知名度」選挙に陥るのは最適と思われる500万人よりも2.6倍も人口が多いからだ。
「1に人柄、2に政策、3,4が無くて5に政党」の基準が「大きさ故に」歪んでいる。
ちなみに、日本の都道府県で人口が500万人に近いのは
千葉県 622万人、兵庫県 553万人、北海道 538万人、福岡県 510万人である。
さて代議員選挙の最適解は500万人説は正しいのだろうか。誰が大学で政治学やってる学生の卒論にしていませんか。