リケジョの話(小樽潮陵高校編(1))

リケジョの話「希少価値」
 今でこそリケジョ(理工系の女子)って用語があるけど、昔は無かった。
「昔って何時の頃?」と聞かれるだろうから順次話を進めていこうと思う。ちなみに東京オリンピック1964が開催された、時代は昭和まで巻き戻される。
 高校への進学を親父の出身校である「樽中」(小樽潮陵高校)へと義務付けられていた感もあったのだけど、ま、小樽で最高ならいっか(了見狭かったなぁ(笑い))ってことで受験して合格した。
 当時の小樽潮陵高校(正確には北海道立小樽潮陵高等学校)は1学年500人でその男女比は3学年を通しても350:150程度だった。もちろん女生徒が150の割合。
 入学して1年目を楽しんでいるのだけど女性との付き合いは中学校で辛い思いをしていたのであえて疎遠路線を選んでいた。倶楽部活動も「女っ気の無い倶楽部」ってことで物理部に所属していた。
 当時の小樽潮陵高校は男尊女卑な教育制度で(今の感覚で考えるとって意味)女子が参加する倶楽部は(結果として)限られていて体育会系では弓道部が割と開かれていた。
 当時の小樽潮陵高校と言えばラグビーが盛んな高校だった。倶楽部も有ったが体育の授業にも取り込まれていて、クラス対抗(ランクって意味じゃなくて全学年を通した教室別対抗)な競技が秋になると行われていた。
 当時の1クラスは50名(含む女子15名(一年生当時))の中から男子20名を選手として選ばなければならないんだけど、35名の男子の中には明らかに運動音痴ってのが5名程居て『たぶんラグビーの試合に出たら死ぬだろうな』って奴は除外。30名の中からは出たがる奴はほとんど居ない。
 私は当時のテレビドラマの影響か、積極的にクラス代表に参加してラグビーを通して「旅」も経験した(あ、話が逸れそうだ)。
 1年生を楽しんでいたら2年生の時にクラスの再編成が行われた。
 進学校だったんで「受験戦争」のスタートだ。
 当時は成績だけでは無くて生徒の意向や特性も加味してクラス替えを行っていたのだろうなと思ったのは同好の士が同じクラスに結果的に集まることになった。
 明示されないが、当時のクラスは10クラスあって、AからJまでだった。
 実質的な進路対策で言えば(偏見があるのは承知)A〜Cは高卒就職組、D〜Fは私立文系組、G〜Jは国立理系組だったようだ(あくまで憶測)。
 私は国立理系組のJ組だったんだが、それが人生に良かったのか悪かったのかは、自己責任だから何とも言えない。
 2年生になって新たに編成されたクラスに出席すると男女比は「特異値」を越えていた。ドクターXのAIマシンなら「ピィー」て鳴る感じの5:45(もちろん、女子が5です)。
 その5名のメンバー(2、3年を通して同一クラス)を今でも覚えていますが、およそ女子とは考えられない(偏見です)感じの女性達で、私のリケジョの嫌いになる原点と言うかトラウマでした。
 そんな時に副部長を務めていた(進学校だったんでクラブ活動は2年生が主で3年生は同好会程度に参加していた)物理部に二人の1年生の女の子が入部申請してきた。

リケジョの話「新入部員」
 当時の「物理部」って活動は統一性が無くて、私も写真部の暗室が使えるってことで参加してたくらい意識が低かった。そこに女子2名が来るってことで「騒然」(笑い)となった。
 たぶん、彼女たちが「リケジョ」だったんだろうなぁ。
入部の挨拶で「よろしくお願いします」って彼女らの発言は正直言ってトマドイをおぼえた。
 倶楽部活動の方向は様々だったのだけれど私はロケット部門のリーダで当時は火薬取締法が緩かったので燃料の火薬の合成を研究していた(実はこの経験が大学に進んだ時に同じ高校の後輩が回りに話して、中核派に「採用」されそうになったんだけど、これも本論と関係ないので省略)。
 ロケットの打ち上げ実験に失敗して爆発して付近の住民から警察に通報されて職員室に呼ばれたこともあった。
 その物理部に加入した彼女たちの意向を聞いてみると「ロケットをやりたい」ってこと。目が点になった。
「成功したのはペンシルロケットで高度10mくらいだよ」と言ったら、「それを10倍にしてみたいです」って返事。とにかく入部して私のグループに入った。

で、数か月で部活に来なくなった(笑い)。

 成果が出ないって皮相的な事が原因かと思ったのだけど、それを女性と話せるほど当時の私にはコミュニケーション能力が無かったので、先輩の女性(ツンデレの彼女)もリケジョなんだけど、1年生の時に変な事からいろいろ相談できた(詳細は後述)ので理由を聞いて欲しいと頼んだ。「話してみるね」と言われた。
 彼女が(ツンね)が聞いたら、今で言う「華が無い」が不満だって事。他の部活では地方大会とか全国大会とか目標があるのに「物理部」には目標が無いのが不満だってこと。「部活は自分磨きだろう、だったら来るなよ!」ってのが私の当時の感想。
彼女(ツンね)も、
「アナタ、女の扱い方って不得手なのが出たね。あなた解ってないみたいだけど、女の子って、みんな私と同じじゃないのよ。接し方ってケースバイケースだけど、アナタの私に対する態度と同じだったんじゃない? もう高校生だし、男と女って意識する年齢。あなた何故私に彼女たちから聞いてくれるって言ったの。どうして自分で出来なかったの。それは女性にしか解らない感覚があると思ったの? そこがアナタの欠陥ね。
 彼女たちの感覚は稚拙だと思う。私の感覚と違う。だけど受け止める対象が居るか居ないかで、決定的に違う。アナタは彼女たちを受け止められない。それが、今のアナタの限界。彼女たちは物理部を辞めるって言ってる。しょうがないかなぁ、良き先輩に会えて指導を受けるのが倶楽部活動でしょう。彼女たちはそれに出会えなかったのね。彼女たちはアナタに失望したのよ。解る?」
と言われた。
 実は彼女(ツンね)とは何も無かったのだけれど1年先輩でミス小樽潮陵高校にも選ばれたのだけれど(実は物理部には暗室もあって、写真部に半分足を突っ込んでいたので入学前の写真部の「ミス潮陵集」って冊子を見て、彼女が1年生の時に選ばれていたのを知っていた)。物理部で唯一の女性メンバーで素敵なリケジョだった。当時の私の性格では話せる女性は彼女だけだったかもしれない(これも後述)。なんせ同じクラスに居る5名のリケジョ候補生の女子生徒とは口をきいたことも無かったし。
 ちなみに2年生の時の小樽潮陵高校の学園祭で前夜祭の夕方にグランドで行われたフォークダンスに何の気まぐれか参加して踊った。その時にメンバーが逐次変わって回っていると順番で彼女と手を繋いだ「あら、アナタ参加してるんだぁ。こんなの嫌いなタイプだよね」と言われた。
「先輩もフォークダンスをするタイプじゃないですよね」と言ったら「女の子が少ないから頼むって言われて。でも、こんなの好きじゃないんだ。でも、手を繋げたから良かった、とアナタは思っているでしょう。だったら、良かったネ!」と冷たく言われた。

 何時から男女の「フェロモン」を感じるんだろう。
 私が大人の「女性」を意識したのはこの時の先輩の一言だった。
 不穏な言い方かもしれませんが、先輩の彼女とフォークダンスで手を繋いだ時に大人の「女性」を意識するようになったんです(遅いてかぁ)。


リケジョの話「夜行会」
 話は1年前に戻るんだけど、当時の小樽潮陵高校は完全な男社会だった。参加した物理部も先に書いたようにリケジョ志向の女生徒が2名来るってんでテンヤワンヤになるくらいの男社会だった。先輩(ツンの彼女ね)が倶楽部で唯一の女性メンバーだった。一人だけ何故倶楽部に参加してるんだろうと不思議だったけど、チャンスが無かったので話した事は無かった。
 小樽潮陵高校には変な習慣があって「夜行会(やこうかい)」って呼ばれてる春の連休の時期に徹夜で歩いて目的地に向かうって行事。
 物理部でも「夜行会」が恒例になっていて(実はその年が最後になったのだけれど)、小樽市の西の長橋小学校に夜6時に集合して国道5号線を余市町に向かい、手前で南に向かって赤井川村まで歩くって行程。一部のメンバー(恒例で1年ボンズ)はその後に毛無峠を越えて小樽市に戻るって計画。春の連休だから一年ボンズは高校にも慣れてない時に受ける「試練」(と、知ったのは終わってからだった)
 集合したら彼女(ツンの彼女)も参加メンバーに居た。当時は1年ボンズだったので話す機会も無かったんだけど、彼女は唯一物理部の女性メンバーでしかも夜行会にも参加者していた。
 総勢15名程だったかな、引率の先生を先頭に国道5号線を西方向に歩き始める。余市の手前から左折して赤井川に向かう。
 総勢15名のグループも夜中の2時、3時になると長い複数の縦長行列になる。時々休憩をして点呼するだけで、それからはまた自由行動だった。
 一人で歩く奴もいたけれど、数人のグループで歩くのが多かった。偶然なんだけど一人で歩いている先輩(ツンの彼女ね)が前に居るのを見つけた。若干の下心はあったんだけど、倶楽部の先輩から「あの子は難しいぞ。たぶん男嫌いなんだろうなぁ。俺なんか門前払いだったから」と聞いていたから興味があった。ミス潮陵でもあって、かなりの美人だったし。もっとも、3年生の時に小樽潮陵高校の学園祭に坂口良子さん(当時、双葉女子学園高校)が来た時には、度肝を抜かれる超美人で驚いたけど。

追い抜こうとして、ちょっと歩くペースを緩めた。
「あの、一緒に歩いたら迷惑ですか?」
「何が?」
「いや、一人で歩くのが好きなのを邪魔したら悪いかなって」
「一人で歩いて色々考えるのは好きなんだけど、別に迷惑じゃないよ」
「そうですか、じゃぁ次に休憩するまで一緒に歩いていいですか?」
「ええ」
「で、変な質問なんですけど、先輩の同級生は沢山今回参加してますけど誰も先輩のサポートに回らないのが不思議なんです。だって去年の学園祭でミス潮陵でしたよね。沢山の取り巻きが居るのかなと思ってました」
「1年生が何故知っているの。あれは、写真部が勝手にやったこと。私は私だって知らないシトがやったこと。まさか、その、取り巻きとかに、なりたいって考えてるの?」
「僕は先輩は女性で一人参加してスゴイなと尊敬して話してるんです」
「ミーハーじゃないのね。少し歩き疲れたから話ながら歩きましょうか」
「ありがとうございます。僕って女性と一緒に歩くのひさしぶりなんです」
「あら、初めてとは言わないの? そのほうが興味持ってもらえるよ」
「じゃあ、こんな遅い時間に女性と一緒に歩くの初めてですって言い換えます」
「なんで、言い直すの?」
「昔の彼女に嘘はつきたくないんです。でも、こんな深夜に一緒に歩いた女性は先輩が初めてなのは確かですから」
「その彼女、今でも好きなのね」
「え!中学生の頃の話で今は会う事も無くなったんです」
「なんで、私にそんな話をするの。変な子ね、女性にアプローチする時に前の彼女の話するって珍しいよ」
「あ、僕は別に先輩にアプローチしてるつもりは無いんです。ただ、ミス潮陵と話せるチャンスが出来たなってのが嬉しいだけなんです」
「ミス潮陵ねぇ。下心あったら前の彼女の話を私にしないよね。下手なアプローチだなぁ。ま、無事に小樽に戻ったら考えておくね。名前誰だっけ?御免ね教えてくれる?」
 それから取り留めも無いことを話して1時間くらい歩いただろうか、夜も明けて回りが明るくなる頃に、集合地点の赤井川村の集落を過ぎて小樽への登り始めの落合の小学校にたどり着いた(偶然なのだが、この落合の小学校の閉校の時の最後の運動会に社会人になってからバイクツーリングで出会った)。
 また、休憩かなと思っていたら、目的地(中間地点)まで一緒に歩いていた。
「ここまで、一緒に歩いてくれてありがとう、あんた可愛いね」
唐突に彼女から言われた。
「なんでですか?」と聞いたら「私が一人で歩いているから興味をもったんでしょう。そんな子に初めて会ったよ。普通は遠慮して声を掛けない子が多いからね。特にこの高校では。それに正直だった」と言われた。
「いや、声を掛けても門前払いって聞いてたから、迷惑だったですか?」
「そんな噂が有るのは私も知ってるけど。聞いてたのね」
「あ、失礼なこと言ってすみません」
「もう一度、ここまで一緒に歩いてくれてありがとう、あんた可愛いねって言っておくね!」

 引率の先生が予め機材を車で運んでいたのか、ここでジンギスカンで朝食を取って先発隊5名(我々1年ボンズ)は赤井川村から毛無峠を越えて小樽市まで歩く。残りのメンバーはバスで小樽市に逆ルートで戻ることになる。
 バス停で別れる時に彼女(ツンの彼女)が「男を磨くチャンス。頑張ってね」と意味深なことを言ってくれた。
 残雪の現在の国道393号線を毛無峠を越えるルートになる。残雪があるので正確に当時の道をトレースする訳では無い。ただ、雪の上に出ている道路標識をたどりながら、時には直線で進む。過酷を通り越してたなぁ。今でこそキロロのスキー場へのルートだけど、当時は冬期間は積雪で閉鎖されていたルートだった。
 戻ってから、このルートを歩いたと親父に話したら「バカか!、山スキーでも難所だぞ!」と怒られた。残雪に熊の足跡が残るルートだった(笑い)。その後に熊の出没情報もあり翌年からは中止になった夜行会の最後の年だった。
 その工程は「八甲田山死の彷徨」と同じで小説を1本書けるけれど(私は福島大尉の弘前班だったので生還できたけど)、本論と関係ないので省略。「死んでもしらんでぇ」ってくらい過酷だった。彼女の「男を磨くチャンス」って、彼女も去年同じルートを歩いのかなぁと思うと「女性は怖いなぁ」とも「彼女の強さはそんな経験からかなぁ」とも複雑な体験だった。
 それからは「男を磨け!」と言われると、この夜行会(やこうかい)がトラウマだったので逃げるようにしている(笑い)。
小樽潮陵高校編(2)に続く

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2019/11/14
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