宗谷岬でサハリンの歓迎を受ける

コース概要
 前回の稚内市直前のデポ地点からの仕切り直しになる。本来の「市町村役場の訪問をもって市町村の訪問となす」って考え方とは少し外れるのだが、北海道を目指す多くの旅人が目標とする宗谷岬を含めて稚内市の訪問としたいと思う。
 観光産業の育成が北海道庁のテーマのようだが、稚内市は日本最北端の宗谷岬が有り、観光の名勝として観光コースには必ず組み込まれている。宗谷岬を見ることが北海道観光の目玉だったりする。実は僕は稚内市に3度立っている。1977年頃だったと思うが社会人になって夏休みを利用してバイクで北海道内を走り回っていた時に猿払側からここを訪れている。
 2度目は10年ほど前に仕事で「国民健康保険の収納率改善」って調査業務で報告書のプレゼンで来ている。この時は担当課長に接待されエラク盛り上がった夜もあった。その記憶が家族を連れて春の連休の3度目の稚内訪問に繋がり、宗谷岬にも行った。
 その後の稚内情報と言えば、雷波少年で「自転車で日本縦断、鮒子の旅」で稚内全日空ホテルで結婚式をあげた程度の情報。
 今回は楽勝かと思う。稚内市直前のデポ地点からのスタートなのだから。楽しみにしていた稚内市再訪問の扉は開いている。なんせ日本最北端(択捉島を日本の領土と思うとそちらがより北なのだが)なのだ。前回の地点からどっちかと言うと「稚内市ポタリング」のような旅になるだろう。そこに向かって札幌を午前4時50分に旅立つ。

輪行(C&C(Combined Cycling))概要
 コースは前回と変わらない。ま、リベンジなのかどうかは別にして札幌を出発したのは4時50分。さすが9月になると日の出前の時間だ。ヘッドライトを点けて国道231号線に合流して北を目指す。
 朝焼けと日の出に車で走りながら遭遇する。北緯43度の札幌から北緯44度(小平町あたり)、北緯45度(幌延町あたり)と北緯を2度北上する。目指す前回発見のパーキングまでは330km程。途中、宮の台展望台に寄って先週のリベンジ、サロベツ原野のパノラマ写真を撮る。やはり早朝の撮影で遠くに見える利尻富士山の山肌も見える。パノラマ写真はここ
 ガソリンがほとんど空になっているので、豊富町内を抜けながら探すがshellのスタンドは無いようだ。とすると地元のホクレン給油ってことになる。もっとも、パーキングから9kmで稚内市街地なので、稚内市で給油するほうが便利かも知れない。

いざ出発
 先週手間取った前輪の装着も簡単に出来、自転車を組み立てて後、ストレッチをする。今年に入ってダイエットしてるためなのか、体力が落ちているような気がする。筋肉痛が起きないように走り出す前のストレッチを十分に行う。また、補給も1時間おきに繰り返すように注意する。
 走りはじめは右に風力発電の風車を見ながら緩い登り。ここを25km/hを越えない速度でゆっくり走り始める。緩い丘を越えると稚内市の市街地がはじまる。早速shellのガソリンスタンドを発見。帰りはここで給油して戻ることにする。ほどなく、変形T字路にさしかかる。稚内市は宗谷岬の反対側ノシャップ岬側にある。ここのT字路から左が稚内市役所方向、右が宗谷岬方向になる。

稚内市役所、稚内公園
稚内市役所 T字路を左折して市街地を走る。最北の町だが利尻島・礼文島への北海道観光の要所でもあり、戦前はサハリン航路の起点でもあった稚内市は規模が大きい。市街地の信号に何度も停められながら市役所を目指す。たしか、ほとんと稚内公園直下ってあたりに市役所があったと記憶していた。フェリーターミナル直前で市役所を発見。お決まりの記念撮影をして足跡を残し、稚内公園に向かう。標高差70m程の大地に広がる稚内公園は様々な記念碑があり、全部見てまわるには時間がない。後半の宗谷岬往復もあるので、登りの道路を自転車降りて押して登る。
ロープウェイ じつは日本最北端の稚内市だが、日本一のロープウェイがある。市役所からさらに進んだ神社の鳥居越しに見えるのだが、日本一短いロープウェイ。長さ70m程度だっただろうか、市役所の仕事で来たときにここまで歩いて乗ってみたことがある。客が来たってんで上の駅と連絡を取りながらその日一番の運行だったようだ。しっかり「日本一短いロープウェイ」の記念スタンプも有ったはずだ。このロープウェイに自転車ごと乗せてもらう手もあったが、手を煩わせてはと自分の足で登ることにした。
 サイクロメータの高度計では高度差は70m程だ。途中で稚内市街地をパノラマ撮影しておく。頂上まで行くと樹木で市街地が見渡せないのだ。そのパノラマ写真はここにある。防波堤手前の丸いビルが雷波少年で鮒子が結婚式をあげた稚内全日空ホテル。
 稚内公園から北側を見ると、3回目にして始めてサハリンの島が見える。距離的には40kmほどだが島全体が低いので海面スレスレでなかなか目にする機会は無い。秋晴れの今日だから見えるのだろうか。観光バスのガイドも「今日は良く見えてますね」と言っていたからサハリンが稚内市から見えるのは珍しいのだろう。
ここで撮影したパノラマ写真で見るとサハリンは見えていない。肉眼では青黒く見えているのだが紫外線領域の発色はCCDはあまり良くないようだ。そこで画像処理ソフトで処理した画像がこれ。利尻島に向かうフェリーが右端に写っているが、実際に肉眼で見た感じは、こんな様子だった。遠くに島がポツンと見えるのでは無く、水平線に添って横たわるサハリン島って感じでみえる。横幅の視角は5度くらいはあるだろうか。逆にサハリン島からは稚内市の西にある利尻富士山が良く見えると思う。標高1700m程ある利尻富士山は水平線から浮き上がって見えるだろう。一度サハリンに渡って利尻富士山を眺望したいものだ。
 稚内公園には遠くサハリンを望む日本唯一の場所なので関連する碑が多い。さきほどパノラマ写真を撮った近くには代表的な「氷雪の門」、異国となってしまったサハリン(樺太)の望郷の碑。その横が「九人の乙女の碑」、「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」と刻まれた樺太真岡(現、ユジノサハリンスク)郵便局の女性交換手の碑。これは終戦後の8月20日の出来事。
その近くに「昭和天皇行幸啓記念碑」があるはずなのだが、見付けられない。これは、「九人の乙女の碑」の説明を受けた昭和天応ご夫婦が読まれた「 御製(天皇)樺太に命を捨てし たおやめの 心思えば胸 せまりくる」と「 御歌(皇后)樺太につゆと消えたる おとめらの みたまやすかれと ただいのりぬる」の歌が刻まれているはず。
入り口近くにはブロンズの樺太犬供養塔、モデルは南極観測で放置されて生き残ったジロの像。高くそびえるのは稚内市開基100年記念塔。
 下りの途中に水飲み場があり、ここで顔を洗う。口に含んでみるが飲める水では無い。公園に施設が沢山あるのだからたぶん分岐する管路が長すぎるのだろう。出しっぱなしにしても良いが水は不足していないので、顔を洗うのに留める。坂を下って稚内港に向かう。

稚内北防波堤(稚内ドーム)
 夏の北海道旅行をバイクや自転車で行う人のメッカと言えばライダーハウスだろう。しかし、日本3大馬鹿ユースホステルと呼ばれている礼文島の桃岩YHに集う人がテントを張るのがここフェリーターミナル横の稚内北防波堤、通称稚内北ドームだ。
そのパノラマ写真はここにある。戦前のサハリン航路の名残のフェリーターミナルだが冬場の西風の強さが単なる防波堤では耐えられず湾曲したアーチ状の防波堤を必要とした。写真の後ろ側が海。前に来たときよりも綺麗になっており、修復して観光名所にしたのかもしれない。当日は「稚内市役所職員家族懇談会」とかでドームの奥に模擬店とかが出店して旅行者のテントは無かった。
 港湾施設なので本来立入禁止なのだが、ここは夏場は黙認状態らしい。屋根があるので連泊組も多い一大テント村になるらしい。
 ここでフェリーターミナルに寄って様子を調べておく。フェリーの時刻表を入手。2階の事務所で自転車の持ち込みを聞くと「輪行袋に入れると400円、そのまま持ち込むと1050円」とのこと。屋外の有料駐車場は日帰り1日1000円。時刻表を見ると札幌から駆けつけて朝一番のフェリーを使い礼文島に渡り、港間を自転車で走り、利尻島に渡り、利尻島を一周して最終便で帰ってくることができそうだ。
帰ってきたら稚内北ドームでテントか車中泊して戻る。こんなルートで離島を走ることもできそうだ。
また、8月第4日曜日には利尻町主催で「利尻島一周ふれあいサイクリング」なんて行事もあるらしい。ま、陸続き完全制覇の後は考えておこう。

稚内空港
 フェリーターミナルから港側の道路を戻り宗谷岬方向に向かう。港にはロシア人と思われる外国人が多い。国際港なはずなのに金網のフェンスが設置されていない。こちら方面は漁港で、他の地域が国際管理埠頭なのだろうか。サハリン原油開発に向けての物資の積出港として盛んに利用されているはずだ。
 先ほどのT字路で国道に合流しさらに東の宗谷岬を目指す。北海道全市町村役場訪問の旅が目的のサイクリングなので名所旧跡は途中にあれば見学するって方針だったのだが、何故か日本のテッペンの宗谷岬だけはピストンコースの往復になるのだが行ってみたかった。北海道を目指す旅人が到着とともに感動するって記事を随所で見かけるが、宗谷岬にそのような魅力があるのか自分も自転車で到達して感動を味わいたかったからだ。
 全日空 今日は南風が強く、宗谷岬に向かうには強い追い風になる。追い風に気を良くしてバンバン飛ばすと戻りの脚力が心配になる。出発して1時間以上たつので何処か海岸線に自転車を停めて補給休みを取ろうと思うのだけれど風に押されて、ついつい足を伸ばしてしまう。
 途中、稚内空港の航空無線施設の所で補給のために大休止をとる。オニギリ2個とアミノサプリで20分ほど休む。足はそれほどでは無いが、これから帰りの向かい風を考えると若干心配な所もある。
 出発しようとしたらANAのB767が離陸する所だった。利尻富士山に向かってまっすぐ離陸していく。東京便だろうか。

最北の宗谷岬
 時計を見ると12時20分。ここから宗谷岬まではまだ20km程ある。13時までに着かないかなぁ。13時30分まで休んで戻りの距離は31km。向かい風で2時間かかるとして車に戻れるのは15時30分。ここから給油して札幌に戻ると21時過ぎるかも知れない。できれば、もう1時間程度は早く戻りたい。
 そんなことを考えながら追い風を利用して飛ばす。対向車線を2人の自転車旅行の男女が向かってくる。かなり向かい風がきついようだ。手を振ってお互いの旅の安全を祈る。昔はバイク、自転車の区別無くバイクのライダーも激励の挨拶をおくってきたが最近はおとなしい。北海道なんだからフォーン鳴らして挨拶をおくっても良いのだがなぁ。
遠景 小さな漁港を巻いて何回かカーブを繰り返しながら、ついに宗谷岬10kmを切る。バス停に「宗谷」の文字が見える。と、遠くの丘の上に赤白に塗り分けられた灯台が見えてくる。あそこが宗谷岬だ。時計を見ると13時10分。あと5分ほどで日本のテッペンに立てる。おもわず足にも力が入る。左の駐車場に滑り込んでついに宗谷岬到着。たしか、猿払側からのアプローチだとカーブを回って急に宗谷岬が見えたと記憶している。稚内市側からのアプローチのほうが1km程先から見えるから感動が薄いかも知れない。
日本最北端の碑  日本最北端の碑の前は観光客でごった返している。やっと人が減った所で自転車を入れて記念撮影。良くホームページで見るけど、自転車を最北端の碑に持ち上げてガッツポーズの写真を撮るには相当の心臓の強さが必要だろう。遠くにサハリンが見えるアングルで撮影したのだけれど、写真には写っていない。
 観光客を尻目に海岸に降りてみる。左右を見るがここから先には誰も居ない。つまり、今、一瞬だが1億2000万人の日本人の中で僕より北に居る人間は一人も居ないのだ。南端、北端、西端、東端を訪れる楽しみってこれかな。自転車旅行等で網走から単調なオホーツク海岸を200kmも走ってくると感動ものなんだろうなぁ。
GPS携帯で今の位置を計ってメールで送信しておく。東経141.56.30.30 北緯45.31.11.86だった。煙草を吸ってのんびりしていると「そこから撮ると自転車が写っちゃうよ」なんて観光客の会話が聞こえて早々に退散する。自転車で旅している子が居たのだけれど、観光客の多さに飲まれて、呆然としている。やはり最北端到着の感動を味わいたければ土日は避けた方が良いだろう。平日でも午前中が光の加減が良く、利尻富士が綺麗に見えるだろう。
昔のように「宗谷岬」がガンガン流れてはいない。歌碑と人が近くに寄ると歌が流れる。今日は千葉紘子ヴァージョンだった。
道路を越えて宗谷岬公園に行ってみたいのだけれど、この階段を上ると帰りの足が心配。1983年の大韓航空モネロン島沖撃墜事件の慰霊碑「祈りの塔」があるのだが、これはパスすることにする。別な機会があれば訪れてみたい。

そして正真正銘の最北端の神社
最北端神社  なんでも頭に「最北端の」が付く。最北端の郵便局なんてのは解るが最北端の土産物店、最北端のラーメンあたりになると笑えてくる。稚内観光協会が発行している「最北端到着証明書」を100円で購入。時刻の刻印は13時33分だった。正真正銘の最北端の神社「宗谷岬神社」が道路を挟んで向かい側にあった。昔来たときには気が付かなかったが鳥居も整備され、神社も新しい建物になっている。若干逆光だったが鳥居の下から写真におさめる。
 この場合、お賽銭はいかほどが標準的なんだろうか。財布を見ると5円玉はあったが、105円をお賽銭にして参拝する。日本最南端の神社って何処になるのだろう。
 売店で買ったオレンジジュースを飲みながら戻りのルートに入る。補給と休憩のバランスを上手に取りながら足に負担をかけずに戻らなくてはならない。途中、間宮林蔵がサハリンへ渡る舟を出した祈念碑がある。
間宮林蔵渡航記念碑 記念碑の紹介文には『ロシアの南下政策に驚いた幕府は文化5年4月13日(1808)間宮林蔵と松田伝十朗を北蝦夷(きたえぞ・カラフト)の調査に向かわせた。流氷は去ったものの、なお酷しい(表記のまま)喚起と荒波の宗谷岬をのりこえて人情、風俗の異なる北蝦夷に渡り、東海岸を調べた。
この年、林蔵は再び北蝦夷に渡り越冬、翌年文化6年春、西海岸を北上し北蝦夷は大陸と海峡をへだてた島であることを確認した。夏には大陸交易に赴くギリヤーク人に同行しアムール下流の満州仮府デレンを訪れ、この地方の情勢を調査し、「東韃紀行(とうだつきこう)」として報告された。
後にシーボルトは「間宮の瀬戸」と名付けて世界紹介した』
と記されている。実は先ほどの最北端到着証明書や各種観光案内については最初に書いた仕事で稚内に来たときに担当課長と盛り上がった話題だった。
 新婚旅行で石垣島に行った時に「日本最南端の市の証明書」ってのがあって、稚内でもやったらどうか。稚内市には文化遺産が沢山あるのだから由緒いわれをを看板にして各所にたてたらどうかってものだった。まさか、その意見が通った訳でもないだが、観光地として必要な措置はとられているようだ。
 途中小休止した小さなパーキングにもおもしろい看板があった。カネクロサワ伝説と言うのだが、そこに小さなわき水があって看板には寛政年間(1790年頃)アイヌの娘(メノコ)が、失明した父親の回復を祈願して、宗谷厳島神社にお百度参りしたところ、夢枕に現れた弁財天のお告げで、この清水を探し当てたと言われています。
 依頼、カネクロサワの清水には眼病をもたらす悪魔を金縛りにする力があると信じられ、アイヌばかりでなく遠くの村々から、たくさんの和人が霊水を求めてこの地に集まってきました。この水で眼を洗うと、どんな眼病も治すことができると、今に言い伝えられています。

 とのこと、でも、わき水の溜まった所は水が濁っていた、これで眼を洗うと失明しそうな感じだったんだけど。

風力発電を抜けて出発点に戻る
風力発電  時間を気にしながら強い向かい風に逆らって進む。さっきの逆で対面から来るサイクリストとすれ違う。あちらは追い風スイスイ、こちらは向かい風ヒィヒィって感じだ。地図を見ると若干ショートカット出来る道がある。たぶん、短いがアップダウンがあるのだろうなぁ。
 国道を左折して「宗谷ふれあい公園」に向かう。パークゴルフ場やレストハウスが整備された公園だ。当日も駐車場は満車に近くパークゴルフでにぎわっていた。ここから坂を上って風車の間を抜けて国道40号線に合流するルートだ。大沼公園を眺望する展望台を抜けたあたりから風車が乱立する。非常に近くまで寄って見ることができる。当日は5m/s程度の風だったので風車の羽根の風を切る音がビュンビュンと聞こえてくる。
 全部で何基の発電用風車があるか解らないが、この電力は浄水場の電力として使われてるらしい。 表示パネル 真ん中あたりに看板があって、今の風速、発電量(この表示の発電量はっだと40基程もあるのだろうか)と用途が表示されている。非常に解りやすい。北電への買電は行っていないようだが、浄水場の電力としてクリーンなエネルギーからクリーンな水を作るってのは考えたものだ。
 でも、途中給水所が無くて、稚内公園で顔を洗った以外に稚内市の水道のお世話にはならなかったなぁ。
2004.09.04 (C)Mint 本日の走行78km 実走行時間4:03 (車:行き330Km 帰り340Km 合計670Km)

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