尼崎、福知山線の列車事故原因究明の迷走

事故調査委員会と警察は目的が違う
 事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。日本で列車事故に遭遇して命を落とすなんて想像していなかったが事故は発生し100名を越える人々が犠牲になった。亡くなられた方は無念だったと思う。
 このような大規模な事故が最近無かったためか、マスコミの報道姿勢にはなはだ疑問を持つ。その最たるものが「被疑者探し」である。事故当日は運転士の経験不足と過去の経歴に着目し、あたかも「未熟で無謀な運転」の雰囲気を伝え、その後、JR西日本の安全管理への姿勢に問題があると伝える。何処かマスコミのジャーナリズムを逸脱した被疑者さがしの匂いがただよってくる。
 被疑者探しは警察の仕事、事故に至るプロセスを調査するのが国土交通省の事故調査委員会の仕事。この線引きが1966年2月4日の羽田沖全日空墜落事故の事故調査から連綿と誤解と意識の違いが続いてきた。
 そもそも国土交通省に常設の事故調査委員会が設置されたのはアメリカの事故調査委員会に該当するNTSB(国家運輸安全委員会)を真似て、日本国内で独自に航空機事故の原因究明を行おうとするものだった。アメリカのNTSBは事故の分析を行い、防ぐことが出来なかった要因を多方面から検討し改善指導を行うことを目的としている。
平たく言えば事故に至ったプロセスを分析し、事故を避けるターニングポイントが有ったにも関わらず越えてはならない一線を越えたのは何故か。そして、越えないようにするには何を改善すれば良いのかを分析し調査結果を公表する仕事をメインにしている。
 事故原因は一つでは無く必ず複合している。だからどれか一つでも警告が正しく行われていれば事故は避けられたとの観点から分析する。だから、調査報告結果は「パイロットミス(ヒューマンファクタ)」で片づけるのでは無く、パイロットがミスに至った要因を細かく分析し、再発防止策を提言する。
 この「事故調査」と警察の行う「被疑者探し」は目的が決定的に違うにもかかわらず、裁判等で事故調査報告が証拠として採用される例があとを経たない。本来、事故再発防止に向けて協力した人々の証言が被疑者特定の証言ととして利用されるのは事故調査の目的が再発防止に向いていない日本の現実をあらわしている。
 と、言った背景すら長い空白期間でマスコミの中では忘れ去られてるようだ。だから、被疑者探し論調の報道が目立つ。これはマスコミの姿勢に問題があるのだが、バラエティ的なニュース番組が多い昨今、ますます、マスコミのミスリードが目立ってくる。本当に報道されるべき内容は、事故再発防止に向けた事故に至ったプロセスなのだ。

事故に至るプロセスを分析する
 事故調査委員会の調査報告はかなり先になると思われるので独断と偏見で個人的に入手できた情報を元に事故のプロセスを分析してみる。これは2005年4月27日時点で書いているので、その後、新事実が出てくると大きな間違いとなることをあらかじめ断っておく(責任逃れでは無く、個人の得られる情報なんてたかがしれてるってこと)
 事故直前の伊丹駅で8mオーバーラン(後の報道では車掌が40mのオーバーランを8mと虚偽報告した)したのは何故か。ここに焦点をあてた報道は皆無だった。考えられるのはブレーキ系統の不都合によるオーバーラン。運転士が経験11ヶ月だったからオーバーランしたと考えるのは早計だろう。車体のブレーキ系統に故障とまで言えないが不都合があったと思われる。このあたりの詳細は事故調査結果でしか解らないだろう。
 そして、オーバーランの修復に1分半(報道によっては伊丹駅出発が1分半遅れってのもある)かかり、事故現場である尼崎市潮江へ向かう。快速電車なので直前の通過駅である塚口駅で1分の遅れ(これはアバウトに1分±30秒はあるだろう)で通過する。遅れを取り戻そうと直線区間で通常より速度をあげ、最高速度は100km/hを越えていたと推測される。そして問題のカーブ直前で70km/hに減速する予定が、かなりオーバースピードのままカーブに進入する。
 当初のJR西日本の危機管理体制の不備で「133kmを越えないと脱線しない。故に何らかの人為的妨害工作(置き石)が有った」との情報操作は完全に裏目に出る。そもそも、事故原因調査以前に事故原因に関する発言を当事者が行うべきでは無い。先のJAL123便の墜落でも、原因も分からないのにボーイング社が「機体に欠陥は無い」と言ってるようなものだ。当事者は事故原因を示唆すらしてはいけないって基本をJR西日本は忘れている。危機管理のイロハが出来ていない。
 事故原因は「脱線」だが、何故脱線に至ったかをもう少し掘り下げる必要があるだろう。

最後の30秒
 およそ1分半の遅れを尼崎駅までに取り戻すことは難しいが、通常ダイヤにより近づけるには直線区間で速度を上げてカーブ直前で急制動をかける方法がある。この方法は特別なもので無く、区間運転の運転士の間では常識みたいな方法で、当日の運転士も特別なことを行うとは意識していなかっただろう。
 運転経験が長ければ、もしくは、運転士に必要な分散思考の余裕があれば、先の伊丹駅でのオーバーランの原因に意識が行っただろうが、その結果である1分半遅れに意識が集中し、それを取り戻すことしか考えられない状況だったのだろう。
 車の運転にも言えるが機械のオペレーションは注意分散が必要になる。車の運転で良く言われる「前5後ろ3、左右1づつ注意を払え」は、意識を分散せよってことだ。初心者の運転を見ていると注意の分散が下手で前ばかり見ていることが多いのでベテラン・ドライバーはその様を見て不安になる経験があるだろう。
 航空機事故のヒューマン・ファクタによる人為的ミス(僕はパイロット・ミスとは呼びたくない。誰でも陥ったかもしれないのだから)の多くは様々な外的要因でコックピット・クルーが追いつめられ、分散思考が阻害されている時に起こっている。
 何時ものように直線部分で力いっぱい速度をあげ、何時ものように、カーブの手前で減速をはじめる。が、何時ものように速度が落ちない。故障では無いがブレーキ系統が甘くなっていたのだ。回生ブレーキ(電気モータを発電機にして運動エネルギーを電力にして系統に戻し、速度を落とす)だけでは速度が落ちない。そこで力一杯物理的ブレーキ(通常の車のブレーキと同じシューの摩擦によるブレーキ)を掛ける。
 電車は各車両のブレーキが連動して働くが、すでに先頭車両はカーブに入っている。後続車両に真っ直ぐ方向に押されて先頭車両は左(カーブの外側)に押され、右側(カーブの内側)車輪が線路から浮き上がる。接地を失いブレーキの効果も落ちる。
 先頭車両は脱線より先に後続車両に押されて横転状態になる。各車両へのブレーキ信号も切れてしまう。横転の状態で路外に飛び出し不幸なことにマンションに激突する。実は1両目は横転状態だったのでマンションの駐車場に吸い込まれるが2両目は1両目と後続の3両目に挟まれた状態でマンションの駐車場へのエスケーブも出来ずに衝撃をもろに受けてしまう。3両目は2両目に寄り添い、4両目は線路に従って右方向にエスケープする。
 特に2両目の破壊による衝撃吸収が結果として3両目以降の衝撃を緩和した。

運転士は事故のくじを引いただけ
 日本社会の常識として僕の発言は不謹慎な発言と攻撃されるだろうが、僕は事故てのは当事者責任って個人に責任を負わせて「解決」って筋のものでは無いと考えてる。その意味で交通事故が故意でなければ「業務上過失致死」で懲役3年以内なのは救われる。もちろん酒酔いとか精神障害とか自己責任はきっちり負ってもらうってのが前提だ。
 労組が「そらみたことか、会社の責任だ!」みたいに言うのに接して『責任転化にたけてるが、自己責任意識皆無な労働者意識イデオロギ』と思うのだ。マーフィーの法則では無いが、いままで言われるままに運転していたのに事故が起きると「あれは間違いだった」と言い始める。それって、自己の存在すら否定してないかい。事故の前に叫んでこそ自己責任を果たすってことなのだ。
 全然別な話だが、先頭車両が「女性専用車両」だったらしい。我々の世代は親から「列車に乗るときに先頭車両は避けろ」と言われた世代だ。鉄道事故が多発した昭和30年代に得た庶民の知識。それが「先頭車両は避けろ」なのだが、今は女性専用車両を最後尾ではなくて先頭車両にしているらしい(知らなかった)。
 庶民の知恵が何故か鉄道は脱線を前提にしていないと車両の強度基準が無いことを開き直るような発言にまで来たのかとあきれる。安全管理と危機管理の違いだと言えばそのとうりなのだが、一人の人間として個人の意見として「先頭車両に乗るな」は危機管理なんだ。にも関わらず先頭車両を女性専用にしてるJR西日本の姿勢を突くジャーナリズムは在京のキー局に皆無なのは、単に頭悪いと言うより脳軟化症候群なんだろうなぁ。
 「結果として」亡くなられた運転士の方のご冥福をお祈りします。彼が全ての責任を負って天国へ旅立つってシナリオを僕は全面否定します。繰り返しですが、肝心なのは「責任者出てこい」では無くて、何故、事故が起きたかの解明。
運転士の方はもしかしたら巡り合わせの妙で自分だったのかもしれないって意識持って欲しいと思う。
 繰り返しになりますが、亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、我々は再発防止で亡くなられた方の命に答えるしか無いって視点を大切にしたいと思います。

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2005.04.25 Mint