ガードレール、謎の金属片は道路行政の金属疲労

金属片が急にクローズアップされている
 別なホームページで北海道を自転車で走り回ってる旅行記をアップしているが、北海道の場合道は広く直線が多く滅多にガードレールに出会う事は無い。自転車で路肩を走っていてガードレールに恐怖を感じたのは小樽市の塩谷地域のトンネルで歩道と車道を分けるガードレールが段々細くなって終いに幅30cmでトンネルの壁に消えてしまったガードレール。ここは北海道の自転車旅行記を読むと散見されて「まったく、死ぬかと思った」って感想が述べられている。
 もう5年も前になるが日本海沿いを南下する予定の自転車ツーリストからアドバイスがありますかとメールを貰ったことがある。稚内から函館まで自転車と車を合わせると全部走破したのだが一番気になったのは先の国道5号線の小樽市と余市町の間のトンネルだった。
 で、考えてみると現在報道されてる白い波板によるガードレールは北海道には少ないと思う。自転車で走っていて(ほとんど車道を走るのだけれど)車道とガードレールに挟まれて苦労した記憶は橋を渡る時以外はあまり感じたことがない。トンネルの中の車道と歩道の分離を除けば、あのような白い波板のガードレールはカーブのキツイ個所が少ないためか北海道には少ないと思う。また、冬期間の道路の積雪を除雪する場面で障害になるので設置例が少ないのかも知れない。
 北海道の多くのガードレールは三角形の高さ70cm程の支柱に鋼鉄のワイヤーを渡したガードレールが多い。それもアップダウンが続く盛り土の道に多く、結構このワイヤーに腰をおろして休憩したことがある。頑丈な鋼鉄の白い波板よりも、こうしたワイヤー式のガードレールが北海道には多い。

ガードレールってどっち目線?
 と言う事で僕はあまり今回報道されてるような白い波板のガードレールとのお付き合いは少ない。自転車走行と車での走行両方を含めてである。
 少ない経験だがガードレールって何を目的に設置されてるのだろうかって疑問は常々あった。歩行者を車から守るためなのか、車が路外に飛び出すのを防ぐのか。
 そもそも、車に乗っている人々がガードレールのおかげで路の外に飛び出さなくて大きな交通事故にならなかったって例は結構あるだろう。そのためのガードレールの実績を否定はしない。
 でも「ガードレールのおかげで死ななかった」って人間は、そもそも自動車の運転する資格が無いのだ。そんな奴からは運転免許証を取り上げて自動車運転の世界から去ってもらいたい。そもそも今の運転免許制度が矛盾をはらんでいる。
 いわゆる私学である自動車学校に学費を払って運転免許証を得る。もちろん、そのようなプロセスを経なくても免許試験に挑戦する道はある。しかし、これは役人の言い訳だろう。誰か自動車学校に入学しないで運転免許を取得した人が居れば掲示板に書いて欲しい。
基本的に運転免許制度は国の行政機関と利権団体の巣窟って関係なのだが、とりあえす運転免許証が無ければ車を運転できないって日本の制度なのでマイカー運転手も長距離ドライバー同じ基準で審査される。
 余暇での運転免許証と仕事として運転免許証が、同じ土俵で語られてる現在の運転免許制度自体が行政の既得権益で「おかみ」感覚なのだが、それの矛盾を解りながら国民は運転免許取得のために、いわゆる「自動車学校」に金銭を払う。
 これは完全に既得権だろうがぁ。
そんな行政主導の運転免許制度が、ま、20世紀から21世紀になる今も続いている。
運転免許制度と実状については後から書くつもりだが、日本の全ての制度において役人主導による「ガードレール事件」に見られる許認可&無責任の行政の体質が見えてくる。

ガードレールが必要な道が問題
 危険だからガードレールを設置する。その「危険」があることが既に問題だと思う。歩行者保護が目的の都市のガードレールは北海道のようなワイヤー型で良いと思う。何も固い波板である必要は無く、しかも、自転車等で内側の支柱やガードレールそのものへの接触事故はあとをたたない。これも歩行者や自転車に乗る人間の自己責任とも言えるが、そもそもガードレール自体が道路を狭くしている事実を無視してはいけない。
 ガードレール設置で責任を果たしたような行政の姿勢に問題があるのだ。そもそも国民の税金を使って歩行者保護の名目で歩行者を傷付けている実態を理解していないのだから。
 郊外の急カーブに設置されてるガードレールも問題だ。今日は隠岐で自転車レースの最中にガードレールに衝突して意識不明の重態に陥った人が出た。いちおうガードレールの硬さを防ぐために畳等の緩衝材は付けてたようだが、そもそも、緩衝材を必要とするガードレール、道路の危険物ってことだろう。その危険物を道路に設置しているって意識が行政には無いのだろうか。
 F1レースでドライバーの安全を担保するためのタイヤを利用した緩衝材。レース場にはガードレールはほとんど無い(実はピットレーンには有るが)。
現在のガードレールの形状は自動車を跳ね飛ばすって堅牢さで設計されている。何を守るつもりなのか実際のガードレールを見ると解らなくなる。しかも、潤沢なガソリン税の既得権行使で道路には要不用を問わず必要性以前に何だかんだの施設を設置する。その最たるものがガードレールだろう。

接触する前提でガードレールの再設計
 今回の謎の金属片の多くは接触した車の車体との考察が多いようだ。確かに謎の金属片だが、これを発見できない道路管理って何なのだ。
 実は道路管理の車を良く見る。法定速度以下の速度で走りながら道路の状況を調査しているのだろうが、ま、正直言って車で走っていてウザイ。だけど、一度停車した道路管理車から人が降りて道端のネコの死骸を回収している場面に出会った。なんとも普段ウザイと思っていたのだが縁の下で道路の維持管理をしているのだと知り今までの考えが払拭された。
そのような影の存在の仕事をしている人を糾弾したりしないが、今回のガードレール謎の金属片事件は今まで語られなかった道路管理の責任を再度議論の土俵に乗せる価値があるキッカケになったと思う。
 国民の税金で維持管理されている道路。この維持管理を預託された行政が納税者である国民の視点では無く、当事者としての道路管理者の視点で道路を維持管理している実態が明らかになった。ガードレールは作りっぱなしで維持管理の対象では無いらしい。そこに謎の金属片があろうが無かろうが、もはや関心の外になっている。
 ゲスの勘繰りをすれば、工事業者に発注して設置検査が終われば前例主義で何時までも継続される。必要なのか、それで逆被害が出てないかなんてリサーチはいっさい行われない。そして、潤沢な予算があるのでまた業者に発注する。
 いっぺん、前例主義を取り払って、ガードレールって何だって根本的な所を考えてみる必要があるだろう。
僕の考えでは交差点以外にガードレールが必要な個所は無いと思う。もし必要な場所がそれ以外にあるのなら、それは、道を設計した段階で欠陥があるのだ。その道の改修こそが大事でガードレールでお茶を濁す問題では無いってことを国民本位に考えてもらいたい。

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2005.06.05 Mint