北海道の5悪と呼ばれる企業群
シャレだと断っておく
本気で反論する企業や企業に忠誠を誓ったサラリーマンが出てくるのであらかじめ断っておくが、風評のことで攻撃のネタとは思わないでもらいたい。
このように前提を置かないと発言できないことこそ北海道の産業を語る時の問題点なのだが、ま、それは置いておく。
北海道の企業戦士と思っている輩には耳が痛いだろうが、所詮、北海道には住民(生活者)が居てこそ企業活動だって哲学を叫びたい。だから、住民を無視して「君臨する」なんて思想を持つ企業は「5悪」の仲間入りなのだと関係者に警鐘を鳴らしたい。
俗に北海道を悪くした企業を5つあげて「北海道の5悪」なんて表現がある。北海道拓殖銀行(拓銀)が無くなった今では空席をどの企業が埋めるかのリストアップの基準も変わった。おおむね以下の企業団体を指している。
北海道庁、北海道開発局、北海道新聞、北海道電力、北海道大学。時によって入れ替えがあって、北海道ガス、北海道議会、北海道教職員組合(北教組)なんかもライクインしたり引っ込めたりする。これらの組織を「北海道の5悪」と呼んで酒の肴にするとき、笑いながらうなずいてしまう原因についてはあまり掘り下げない。所詮、酒の席での話題だから笑って聞き流すのだろうが、その本質を考えてみたくなる悪い癖がある。
北海道民がなんとなく容認してしまう「北海道の5悪」とは何を意味するのか。なぜ、それが苦笑と供に認知されてしまうのか。高名な「学識経験者」と呼ばれる人々は何を考えているのか。北海道の5悪にとって便利な人々が学識経験者なのか、で、優遇されているのか北海道5悪に関して、いわゆる学識経験者は考察を述べない。
考察を述べて自分のポジションを失うことを天秤にかけての行動だと下衆の勘繰りもしたくなるのだが、本意は解らない。
実はバブルがはじける1990年代以前から「北海道の5悪」は話題になってきた。時々の情勢によって変化するが基本的に北海道の産業構造の中で何処が発展の足かせとなったかとピックアップする民度が北海道には有るってことだ。
何故か、について少し考察を加えてみたいと思う。その中からこれからの北海道のあるべき姿が見えてくれば考察の価値もあると言うのだが。
地場ナンバーワンが恐竜化して閉塞感
最初に感じるのはいわゆる5悪と呼ばれる企業は何故か「さん付け」で呼ばれることが多い。ま、就業者には酷だが「丸井さん」、「北電さん」、「道新さん」、なんかは典型だろう。なんで企業を「さん付け」するのか疑問だが、いわゆる地域のステータスってことかもしれない。数年前のNHKの朝のドラマ「萌え」が描いた北炭支配の地域経済構造と同じく「さん」付けで呼ぶ支配構造(は、言い過ぎかな?)が「さん付け」企業にあると思う。
その多くが官庁だってことも課題だが、君臨するって意識がもっと問題だと思う。地域ナンバーワンの企業としてあまりにも奢りすぎなのだ。当然の話だが北海道庁は北海道では威厳がある。あたり前田のクラッカーだ。でも、東京ではワンノブゼムで見向きもされない。これも当たり前だ。
地場に君臨(あ、これも言い過ぎかな)するからこそを何か勘違いして自分達はリーデングカンパニなんだと思っているから「北海道の5悪」にリストアップされてしまうのだ。
民意を知る前に北海道に君臨する組織として5悪にリストアップされるにたる遠因がそれぞれの組織にある。だから、「苦笑」で誤魔化すのだが、基本的に5悪はやはり北海道民にとって悪な行状を積み重ねていると思う。
北海道を見ているのか、東京を見ているのかと問いたい。
ほとんどの企業は東京スタンダードで北海道の実状なんて考え方をしていない。北海道のローカルな課題は悪く言えば隠して全国区にならんとしてる。
北海道全市町村を自転車で回りたいと思ったのは頭で感覚的に「さん」でかたずけられない地元の意向があるだろうって問題提起だった。だが、見えてきたのは「長いものにはまかれろ」とどうしようもない現実だった。
5悪は独立独歩なのが問題
何度も言っているが、基本的に地域としての北海道を語るときに、構成員である道民(北海道住民)本位かってことが大切になる。別に東京が決めた日本基準でやっていけば可も不可も無いのなら、全国区の評価基準で事業を行えば良いって経営感覚があるのだろう。そこに決定的に欠如しているのが「北海道流」で考えるユーザ本位って発想だ。
官庁は無知故に君臨する。それは大化の改新から全然変わってない。経済社会が広がったにも関わらず北海道の5悪企業はあいかわらず君臨型で続いている。その思想が地方自治体の役場の職員にまで蔓延する事態を誰も問題視してこなかった。ここに北海道の産業の問題点があると思う。
支配する側と支配される側の社会制度の思想だ。実は、韓流ドラマである「冬のソナタ」とかに引き込まれ引き続き「天国の階段」を見ている時に思ったのだだが、社会は支配する側の論理と支配される側の支配されたくない論理のやりとりの中で形成されているのではないか。その意味で北海道は支配する側(明治維新からの国是)の論理を受け継いで何時までも明治維新のような企業が支配する構造のままここまで来たのではないだろうか。支配されたくない側の論理が欠如しているのかもしれない。
実は先例が各地にあって、長野県では長野オリンピックを一手に仕切った信州信濃新聞が金銭的な疑惑の対象になっている。それ以外にもいわゆる「地元のドン」が決めた事柄の枚挙にはいとまは無い。
そのような背景を踏まえて批判するのではなく、これからのあり方を考えると、この北海道の5悪は共同路線を形成できないから5悪なんだと気がつく。それぞれが、天下だからそこに安住していれば良いのだ。別に北海道の将来がどうこうする話はどうでも良い、今の安住が最大のステータスだと思っている集団には、改革は期待出来ない以前に、粘着質に住民を食いものにする「君臨」を感じるのだ。
改革意識が無いなら舞台を下りろ
実は、ここまで考えてきて、北海道の5悪が悪たる所以は、独立独歩路線にあるのではと考えてしまう。それぞれが代表的組織で他の組織とは一線を画して自分のテリトリーで「君臨し」、他のテリトリーには足を踏み入れない暗黙の了解。この中で活動を続けるが故に、北海道民から見たら5悪にリストアップされる。
本来なら地域のリーディングカンパニーは地域を顧客として成長したのだから、顧客還元の施策を考えなくてはいけない。ところが、個々の企業は個々の企業枠でしか顧客還元を考えていない。死語に近い「メセナ」が地域還元と考えている。
そこに最大の問題点である「
住民本位」が欠落している。
住民は企業のテリトリー別に物を考えているのでは無く自らの生活の中でリーディング企業群が地域の発展、北海道の産業構造構築に何をしているかに注目している。
個々の企業が横の連携を強化して北海道の未来を考える。そんな姿勢が個々の企業に無いから5悪にリストアップされる。本当に北海道に必要なのは「君臨」から脱した「連携」なのだ。それを率先してお膳立てする組織が存在しないのが北海道の産業の問題点だろう。
コラボレーションって企画会社選考のキーワードがあるが、まさに、北海道の5悪は独立独歩故に問題視されるので、コラボレーションが出来れば最強集団になりえる。でも、現実はコラボレーション時の上下関係で決裂して、決して住民本位でない施策が繰り返される。
個々の企業の手柄に固執しない施策を共同で行うためのリーダを勤める団体が居ないから5悪のまま君臨し続けるのだろう。個々の組織を構成する個人の意識改革が無ければ、トップの決断だけでは解消されない。だから北海道の5悪に「君臨する」名誉もあるのだが。ま、住民本位って眼鏡を各企業が持たなければ、どの企業であっても北海道の5悪にリストアップされてしかるべきなのだ。
個々の企業名は控えるが、北海道の5悪にラインクインする予備軍な企業は先人の轍を踏まないように考察を深めてもらいたい。