9.11衆議院選挙は出来の悪いブラックジョーク
9.11衆議院議員選挙
とまぁ、笑い飛ばしていても良いのかどうだか。なんせ小泉純一郎首相の公約には「自民党をブッツブス」が有る。変人である小泉純一郎首相が公約に向けてシナリオを書いていると考えた方が合理的だろう。
どさくさ紛れの「郵政民営化解散」では解散の名目が郵政民営化を対立軸にするし、正直、郵政民営化は国民を無視した自民党の「コップの中の嵐」なので、選挙の争点とはなりにくい、と言うか争点として分かりずらい。
それよりも、「改革を断行して日本の未来永劫の発展を邁進する。それを阻害するテロリストと戦う9.11衆議院議員選挙」なんてスローガンで小泉人気を前面に、もはや自民党対野党では無く、改革を進める小泉一派(民主党の一部が合流するかもしれない)と反対勢力の戦いって選挙戦になだれ込んだほうが小泉純一郎首相には有利だ。
で、まてよ。これって歴史や政治制度の欠陥で良く語られる「あのヒットラーだって、選挙で選ばれたのだ」って事実を、プロセス的になぞっていないか?
政治家ってのは常に野心の塊だ。自民党のいわゆる「中二階」と呼ばれる世代に迫力を感じないのは、国会議員になることが目的で、国会議員を目的と捉え、その先に自分が実現したい夢を描いていない点だ。これと対照的なのが小泉純一郎って変人である。郵政民営化を叫び続け、走り続け、今、最後の舞台に立ったのだから。
どうも、小泉純一郎氏にとっては、あと1年の総理大臣の任期を睨むと、それ以後の政局がワクワクするほと楽しくなっているのかもしれない。郵政民営化が一山越して、参議院で可決されても否決されても、既に次の目標である「自民党をブッツブス」公約の実現に向けて動き始めているのではないだろうか。
つまり、参議院で可決されても衆議院解散があるのかもしれない。それが、「継続審議にしない」て語った裏に隠れた戦略なのかもしれない。
村山政権の教訓
自民党が野党になった最初のキッカケは細川政権だが、混乱を経て村山政権が中期的安定政権として君臨(これって適語かなぁ)した。その崩壊は表面的には村山氏の「もう、辞めるわぁ」って個人的問題に端を発したのだけれど、基本的にトップの器で無い人間を御輿を担ぐように担いでいたのだからしょうがない面があった。
本来ならば、日本の舵取りが必要な首相の座に調整役すら出来ない当り触りの無い人をポジショニングした御輿を担いだ側の責任が問われてよいのだが、それは保身のためなのか、影に隠れてしまった。実際、鳩山由紀夫氏は時流講演会で講師として「村山政権設立の裏舞台」なんて得意げに話していたのだが、政権交代が起きると手のひらを返したように沈黙してしまう。
ま、御輿に乗るのも無責任ならば乗せる側も無責任って政治家独特の世界はやれやれな奴としか感じないが。
あの(って、言葉を使って良いかどうか別にして)田中角栄氏ですら「総理大臣は成りたくてなれるものでは無い。成らせてくれる時流が無ければ成れない」と田原総一郎氏のインタビューに答えて語っている。あの田中角栄氏にしてすらだ。
歴代の総理大臣はまさに、担がれて時流によって選択されたのかもしれないが、ここで4年前に戻ってみると、小泉純一郎首相誕生の背景って、そして再任って、自民党のご都合だけだったのではないか。ま、それを時流と呼べば確かに時流なのだが、歴代の自民党総裁は多種多様だった。
三木政権。ロッキード事件を受けての事態収拾のために選出。竹下内閣。中曽根康弘氏による田中角栄決別内閣。森内閣。どうにも小渕急死を受けての緊急リリーフ以前の2軍登用内閣。
自民党はケースバイケースで柔軟に対応して与党の座を守ってきた。逆に言うと総裁は誰でも良くて、自民党が与党であり続けるのが至上命題であった。
村山政権ですら、自民党にとっては負け試合の敗戦処理投手(党首)であって、次の試合を見据えた容認策だったのだ。
小泉内閣は自民党が生んだ鬼っ子
これって、放送禁止用語かどうか知らないけど、先の自民党の与党としての総裁捻出には戦略があった。ところが、小泉純一郎総裁誕生に至る時代は自民党にとって延命治療時期で料亭で高級料理を食っているのでは無く、ベットに横になりながら点滴を受けている状態で、ま、国民に人気がある小泉を総裁にしておくかってくらい体力が落ちていた。
ある種、小泉純一郎は千載一遇の好機を得たわけだ。古い表現なら乾坤一擲か。権力ボケの自民党の凡ミスで、実は先に述べたように、権力は2%の賛同者で全てを覆うことが可能なのが現在の多数決決着方式の弱点なのだ。
実際、小泉純一郎首相はしたたかで選挙のたびに恩を売りながら森派の拡大をはかり、橋本派の根絶のために種種手配に怠りはない。道路公団の鉄橋談合摘発も道路族が多い橋本派への牽制だ。
なんせ、困るのは今の日本の政治体制は立法府である国会の長が行政府である総理大臣になる弊害。だから、検察なんか総理大臣には動かし放題なのだ。総理大臣になった者の勝ちってことが自民党の総裁選挙で軽んじられた結果が鬼っ子誕生となるのだろう。もっとも、警察出身の亀井静香氏なんかが総理大臣にならなくて良かったと僕は安堵してるのだが。
で、最大の問題は、自民党が連綿と歴史を重ねたように、権力者は勝ち組みとして防衛には最高の威力を発揮するってこと。責める側には守る側の3倍の兵力が必要だってのが昔の上陸作戦の基本だが、こと政治の世界では一旦首(頭から上)を与えたら、その指令に従わなければならない構造になっているってこと。
今回の郵政民営化問題で変人の傍若無人の行動を押さえられない自民党は、総裁を選ぶプロセスで問題ありなのだ。もっとも、なってしまった人間は強くて、ある種、この日本をどうにでもできる訳だ。
政党すら解体して、政治家個々人の力量で
政党政治って考え方は多数決から来てるのか良く分からない。組織を背景に政治が運営されるってのは民主主義制度の理念から見たら「想定外」だろう。そもそも組織票って概念は個人尊重の理念に反してるし、その意味で旧社会党が労働組合を背景に投票を強要した事態は、公明党とか自民党の党議拘束となんら変わらない「数の論理」だ。
ま、僕は真実は数の中にあるのかって疑問を持っているので、多数決前提では無く、論議できる土俵こそが大切と思っている。
政治家個々人が組織の論理に従っていたのでは国民の代表とは言えない。政治家個々人がそれぞれ国政に対する責任を担ってこそ現在の間接民主主義は成熟する。だから、この機会に政党なんかもブッコワス意気込みが必要だろう。
個々の課題に是々非々で対応する無党派の議員が多く誕生することこそが日本の民主主義の原点だ。政党のタライ回しの国会質問も少しはレベルが上がるだろう。
2大政党政治の後にくる小選挙区制の動向は政党に属さない無党派の是々非々の国会議員の誕生になると思われる。その第一歩として無党派議員が台頭する選挙になってほしい。
郵政民営化に反対の民主党は、仮に9.11選挙があったとしても政権奪取は難しいだろう。「是々非々の良識の民主党」ってマニフェストが無ければ旧来の社会党に過去帰りの選挙になってしまうのだから。