引退の逆ギレ会見の堀北海道知事

二股かけた堀さんも悪い
 「堀では選挙で勝てない」。ただそれだけの理由でもう一期知事を勤める路が閉ざされてしまった。道庁出身の堀さんとしては「選挙で勝てない」が理由で自分の行政手腕を評価した結果で無いのがなんとも納得のいかないことだろう。『俺は道庁の最高権力者として十分働いてきた』って自負が堀さんには有るだろう。それでは選挙に勝てないと言われたのでは人格否定みたいなものだ。会見で「馬鹿」発言が出るのも理解できる。
 しかし、自ら掘った墓穴なのだ。崩壊直前の民主党を離れ、崩壊目前の自民党に擦り寄る姿勢が住民本位に見えないのだ。そもそも堀さんには行政が住民へのサービス業なのだって姿勢が一度でも有っただろうか。北海道庁の最高ポストに君臨するって姿勢を住民はしっかりと見ていたのだ。
 自らの地位に固執して支持母体に二股かけた所がまさに行政マンらしい所だが、それはリーダーには許されない選択だってことに気が付かなかったのだ。リーダは支えられる者では無くて孤立孤独の中で路を切り開いていくことを担わなければならない。残念ながら堀さんは「調整型」で「創造型」では無かった。だから、一生懸命仕事をしても住民の評価が上がる事は無かった。調整の一翼を担ったのが全道労組だって事は前にも書いた。

地方自治は国政より現場主義
 住民の律令国家へのチェック機能って面で地方自治を考えると、国政よりも住民に近いのが地方自治だろう。議会選挙と組長選挙と住民の意思表示の機会は2通り用意されてる。その制度が冗長度が高すぎるかどうかは議論が必要だが基本的に住民の意向がストレートに反映され易い制度が地方自治には有る。国政の場では議員内閣制なので国民の意向は総理大臣選挙にまで届かない。その観点から大統領制と首相制がそれぞれの「民主主義の国家」で並立する制度は、人類はまだ未熟な民主主義制度なのだと思わざるを得ない。人類の英知の歴史の中で、主権在民って「理念」は本質的な方針であるが、それを具体化する戦略や戦術はまだ未完成なのだ。
 とにかく太平洋戦争が敗戦で終わってから60年弱な現在、60年間大きな選挙制度の変革が無いこの国は、なにか時代に取り残されていると思う。その時代に「市民派」って訳の解らないグループ(これは、正確には「ノン政党」とジャンル分けすべきなのだが、市民派って新しいジャンルにするのはどうかなぁ)が注目されてるが、基本は「戦後復興の時代」は終わり、行政は国家のリーダの座を降りなくてはいけない時代に入ったのだ。にも係わらず「行政の弊害」が取り付いている今の社会制度の問題が浮き彫りになってるって「時代観、歴史観」が堀さんにも自民党にも無い現状こそが最大の問題なのだ。
行政は白子から黒子にならなくてはいけない時代なのだが依然として白子に固執する。その例が堀知事だろう。先に北海道の歴史を50年戻したと書いたが、まさに、行政主導の公共事業偏重ってのが行政を白子にしていたのだ。時代は変わってる、もはや行政の使命はリーダでは無いのだ。それを堀さんは解ってないし、自民党も解ってないし、民主党も解ってない、唯一自由党は解っているようだが絶対数が少ない政党なので、基本的に国民の不幸は救えない。
 「官僚になって国家を動かしたい」って上級国家公務員合格者が居るが、ま、それは大化の改新の時代なら解るが、これからの公務員は時代を変えることを国民に要求されないぜと言っている。国家を動かすのは国民なのだ。それを知らない遅れてきた高度生長時代の遺物が官僚に居なくなるにはあと30年くらいかかるだろう。その30年耐えて「国家を動かしたい」のなら別だが、時代は小泉が言う以前に変化し(既に変化を終わってるのかもしれない)、行政は納税者にとって「高コスト体質」の困った組織になってるのだ。「何時かぶっつぶさなければ」って意識を国民は持っているのだ。その世界を目指す若者には首を傾げたくなる。

佐藤総理大臣の引退会見を思い出す
 あれを当時大学生の僕はテレビで生で見ていたのだが手が振るえた。『ああ、喧嘩が始まるな』って予感。事実、当時の新聞社の記者の言葉は震えていた。たぶんプライドが傷つけられたって意識なのだろうが、当時の佐藤首相はまったく無視した。「ジャーナリズムなんて言ってるけど事実を伝えてないじゃないか」って佐藤首相の意見は当時も今も僕は思っている。だから、新聞記者が全員退席した会見場でテレビカメラに向かって話す佐藤首相を見ながら僕が思ったのは『佐藤さん、引退の会見ではなくて、もっと国民にメッセージ届けたら良かったのに』って感覚だった。
 アメリカの大統領は官邸から直接メディアを使って国民にメッセージを伝える。日本の首相は官房長官に広報を委せている。やっとラジオで話すらしいが、本来直接選挙で選ばれる組長こそがそれを行わなければならないのだ。直接住民に話しかける方法はIT技術でどんどん発展している。アメリカのケネディ大統領のテレビ利用にいまだ到達できない政治家には哀れを感じるが、時代は「情報」を求めて躍進しているのだ。
 それを手に出来なかった堀さんには勇退しか無いのかもしれない。当時の佐藤首相には新聞を恨む正当制が有った。だが、今の時代はテレビだ新聞だって時代では無い。インタネに無関心な堀さんは他人の自分への評価に終始し、自らの情報発信に出遅れたのだ。その「時代を読めない資質」が、勇退につながるのだ。佐藤栄作の時代と時代は大きく変わってるのだが、記者会見で逆ギレする姿勢は「無念」としか伝わってこない。結局「情報化社会」って一番行政に解らないテーマに負けたのだろうなぁ。


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2003.01.17 Mint