参議院選挙、大きな政変は起きなかったが

自民党の歴史的敗北とはならなかったが
 橋本政権退陣のような大きな政変にはならなかったが、51議席に対して50議席は予想の範囲内かもしれない。逆に45議席を割り込めば予想外となるのだが、そこまで議席を減らすことは無かった。
 公明党との連立政権ってことが政変に繋がらない要因だろう。自民党単独ではもはや賞味期限の切れた状態なのは変わらないだろう。小泉政権が賞味期限切れの自民党を短期的に活性化したかもしれないが、長期的に見るとやはり自民党は賞味期限切れ政党を脱し得ない。
 立法府が国を動かしていた時代から行政府が国を動かす時代になったのは、経済成長の中で税収が伸びて、その再配分に大きな利権が発生した時代だったからだ。バブルの崩壊と共に低成長時代に同じように税の再配分構造を維持しようとする役人に立法府が無力化してしまった。それが自民党の賞味期限切れを招いたのだ。
小泉純一郎首相が「自民党をぶっつぶす」と叫んだのは古い自民党を新しい自民党に変えるって意味だろうが、実際には本当に「潰す」事態になりかねない。それは上記の時代の変化に自民党がついていけず、国民は未知数の民主党に頼らざるを得ない状況を作っている。

現状の二大政党化は必ずしも望ましく無い
 少数野党の低迷は結果として二大政党化をもたらしたが、これはあくまで結果であって国民の望む方向では無い。この部分を政治の必然的方向としての二大政党化と勘違いしないほうが良い。
 政権を担うためには責任有る政策が必要だが、この責任有る政策が現実との妥協によって生まれるのでは現政権と50歩100歩でしか無い。具体的政策の前にこの国をどうするのかの方針が大切になる。共産党や社民党は方針は明確だ、だが、政策が無い。今回の年金問題でも共産は「消費税を上げなくても、無駄使いを減らせば年金財源問題は解決する」と叫んでいたが、公務員を集票土壌にする共産党が自滅する政策を叫んでどうするってことだ。社民党は「護憲」を訴えたが、護憲で飯は食えない、経済政策が皆無では政策がない政党と言わざるを得ない。
 民主党も理念、方針が無いと思う。旧社会党的な議員と新民主党的な議員が混在する。政策も唯一多数決で決するが個々の議員の発言には個性以前にイデオロギー的な違いを感じる。一つにまとまるには、旧社会党的な議員が引退するまで時間を必要とするのだろうか、そこまで国民を待たせるのでは政権政党としての魅力を醸すことはできない。
 自民党がもめながらも「コップの中の嵐」に留まっているのは、政権って引力が働くからだ。民主党が恐れるのは党内の「コップの中の嵐」が広がり政党として致命傷にならないことだ。それが先の菅代表の辞任に表れてるように、引力を持たない政党の団結の演出に繋がる。一方は政権を持ちながら賞味期限切れ、他方は理念を共有しない集団であることが理念の小惑星のような集団。この2大政党が民主主義の目指す究極の選択の二大政党制とは思えない。
 逆に、本当の二大政党制が日本に定着するには今の政党の延長線上では無く、政界の再編成が行われなくては実現できないだろう。

今後2年間国政選挙が無いと言うが
 小泉純一郎首相は自分の任期中に衆議院の解散は無いと表明しているが一寸先は闇の政界でそれを信じている政治家は居ないだろう。逆に言えば参議院選挙が終わって、後は何時行うかは別にして、衆議院議員選挙に向けて政局は動いていると言える。
 小泉改革が進まないのは、官僚支配の分野に踏み込めない立法の弱体化にあるだろう。国会審議も官僚の作文の評価では本当に権力を持っているのは官僚となってしまう。年金改革法案もその作文を正しく読めない議員によって衆議院を強行採決によって通過し、参議院では「聞いてないよ」みたいな不勉強を露呈した国会議員が多く居た。
国会が理解力不足で説得力有る決済を行えないのでは、国民は上から民主主義を壊されてる。これでは政治不信が助長される。これも現在の延長線上に国政を築けない大きな要因だ。政界の再編成と新しいリーダの出現が日本の政治を刷新する。刷新とは制度疲労により官僚支配になっている国の経営を国民主権に取り戻すことだ。律令国家制度は人類が長い間かかって到達した国の運営方法だが、そこに国民主権の理念が失われると官僚支配の経営になる。政治家は、この官僚のパシリになって利権を構築する。
 それを防ぐのが国民が直接行政のトップを選ぶ大統領制であったりする。アメリカでは大統領や市長や州知事が変わるとスタッフも総入れ替えになる。仕事の流動化しているアメリカならではの話なのだが、公務員ってのは一時期の腰掛けの職業なのだ。民間からオファーがあるまでの短期雇用が公務員の実態でここは日本と全然違う。その制度の中では選挙で選ばれるトップはスタッフ共々行政に経営責任を負うことができる。今の日本ではトップをいくら変えても組織の体質は変わらない。とも意味でも選挙をやっても「日本は変わらん」とも言えるのだが。

やはり大統領制だろう
 与野党集まって憲法改正の動きがあるが、どうせ変えるなら憲法9条だけで無く、政治制度を変えて欲しいと思う。地方自治では実現している大統領制を日本でも導入すべきだ。今回の参議院選挙が小泉純一郎首相において「国政を左右する選挙では無いから」と言わしめたのは、国民軽視もはなはだしい。投票率をいかに低く押さえるかが自民党の選挙対策なのだろう。そうでも無ければあの発言は首相退陣に繋がる暴言なのだから。
 今回の参議院選挙が小泉純一郎vs岡田克也の総理大臣選挙だとしたら、結果は岡田克也総理大臣の誕生だろう。国会で自民党と公明党の連立政権が過半数。だが行政のトップである大統領は民主党出身。このような政治のネジレが最も国民が身近にイメージする政権構造だろう。これが今の憲法では実現しない。諸外国の政治制度の変革(それが、必ずしも正しいとか必然とか言わないが)に日本は第二次世界大戦のトラウマで取り残されたのでは無いだろうか。憲法順守、この御旗のもとに時代を読むことを放棄してしまったのではないだろうか。
 直接国民から選ばれる大統領と国会議員が居てこそ、官僚支配にならない律令国家が経営できるのだ。その事例の研究を行うべきだ。そして、地方自治で生かされている事例、壊れてる事例を研究することにより日本の民主主義、ひいては律令国家の経営は前進する。

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2004.07.12 Mint