中国の面子、靖国参拝反対の真意

終戦記念日の靖国神社参拝
 警備のことを考えるとやはり早朝参拝にならざるを得ないのであろう。夕方なら生卵持った右翼や左翼に卵を投げつけられかねない。
 「公約」どおりに終戦記念日の靖国神社参拝を果たした小泉純一郎首相だが、後任の総理大臣に宿題を残した「あとは野となれ山となれ参拝」ではあった。
 そもそも、中国が外交の扉を閉めてしまうほど首相の靖国神社参拝に強硬な姿勢をとるかを調べてみると、そこには中国の国内事情が見え隠れしてる。
 だいたい、日本人はA級戦犯なんて極東国際軍事裁判(東京裁判)の結果には今は関心が無い。当時は「国民は悪くない、全部、戦争指導者が悪いのだ」とA級戦犯に責任を押し付け免罪符をもらう風潮があったのだろう。その「一過性の」免罪符が経済発展とともに忘れ去られ、何時しか元A級戦犯が外務大臣をやったり(禁固7年とされた重光葵は、戦後、鳩山内閣の副総理・外相)、果ては法務大臣を務めたり(終身刑だった賀屋興宣は赦免後、池田内閣の法相)と東京裁判の結果であるA級戦犯ですら社会復帰を果たしてる。
 日本人独特の農耕民族の情の文化では、台風が過ぎ去ればまた元の生活に戻るのであって先の戦争の反省なんてのは、そもそも日本の文化に馴染まない。これが日本人の本音だろう。
 だから靖国神社にA級戦犯が合祀されていようがいまいが、土着の神様を拝むように神社を参拝し先の大戦の広い意味の犠牲者に哀悼の気持ちをあらわすのは、日本の文化上なんら問題視されない。ところが、中国は、ある種、必要以上に問題視してくる、それは何故なのだろうか。

日中国交正常化のハードルは高い
 1972年9月29日、先のアメリカの頭ごなしの米中国交回復、そしてニクソン大統領の訪中と周恩来との会談に負けぬよう、日本も準備を重ね田中角栄首相の訪中と日中国交正常化声明があった。
実は1977年に入るまで共同声明にうたわれた「日中平和友好条約締結」に向けた話し合いは一歩も進んでいなかった。その間に周恩来、毛沢東の死去、中国共産党の極左グループの「四人組」の逮捕、日本では田中角栄首相の外為法違反での逮捕などがあった。
78年8月12日になって懸案の日中平和友好条約が締結される。
中国の国民感情の中には1840年のアヘン戦争から1945年の太平洋戦争終結まで100年の間、中国は外国に蹂躙されてきた、特に日本には多大な迷惑をかけられた、だから日中平和友好条約を締結するなんてのはとんでも無いって意見が多い。
その国民感情に向けて「日本の戦争指導者が中国侵略を企図したのであって、日本国民が企図したのでは無い」って説得工作を行った事情がある。
で、この考え方は日中国交正常化を手柄にしたい福田赳夫氏にとっても有利で、たぶん、中国の国内説得にたきつけたのだろう。
 当時の日本では逆に、A級戦犯まで靖国神社に合祀され(1978年、発覚は1979年)極東国際軍事裁判(東京裁判)なんかは国民の記憶から消えていく時期だったのだ。中国の靖国問題で良く言われる事に「日本は敗戦後大きく変わったのに中国は戦前の日本しか認識していない。意識の転換が出来てない」ってのがあるが、まさに、福田赳夫氏が指示したかどうか別にして、歴史の時計を巻き戻してしまった。

中国利権を断ち切った小泉純一郎首相
 こうして見てくると、福田赳夫氏のカバン持ちから始まった小泉純一郎首相の政治家としての活動で福田赳夫氏が中国利権をまとめ上げた経緯は肌で感じているだろう。当初、自民党総裁選挙の公約であった靖国神社参拝が日中関係を冷やす効果があることに気がついて、かたくなに、靖国神社参拝を繰り返し、旧福田派の利権を剥ぎ取り弱体化させる深慮遠謀があったのではと思う。
 福田康夫氏が諸外国を訪問してヒアリングした内容にも「あれだけ隣国と対立してしまったら修復は難しい」、当事者の中国からも「5年も冷遇されたら、日本とは対立状態になった」と色よい返事が聞けなかったのだろう。その結果の不出馬なのかもしれない。
野生の感とでも言うのか小泉純一郎首相は駄目だしの終戦記念日の靖国神社参拝を行って完全に旧福田派の勢力にダメージを与えたのだろう。それが「あとは野となれ山となれ靖国神社参拝」の裏ではないのか。

話し合いの土俵にのせるには参拝禁止令
 「心の問題」を断ち切って「制度の問題」として国務大臣は在任中は靖国神社を参拝しない。参拝しないと誓えない人は国務大臣に任命しない。といった強力なリーダーシップが次の総理大臣にあれば事態は一転して中国外交が動き出すだろう。
国内から異論が出ても「国務大臣は国益に反する何事も行ってはならない」と説得できるかどうかにかかってる。まさに、これがリーダーシップだ。
 参議院選挙で民主党の論点になるのか自民党の論点になるのか不明だが、少なくとも中国がなぜかたくなに靖国神社参拝を拒絶するのか、その歴史的経緯と日本が譲れるのか譲れないのか、そのあたりの情報をしっかり開示して、そして国益のために参拝禁止に説得力を持たせられれば、それが政治であり政権の屋台骨になるだろう。
小さな政府は金のかからない政府では無くて、軍事と外交に特化した政府、行政の中核は地方自治に移管って大きな哲学が必要だ。まさに、靖国神社参拝問題を争点にしない自民党総裁選挙のていたらくを民主党は突くべきなのだ。

button 姑息な靖国神社事前参拝
button 小泉純一郎首相の8月15日靖国神社参拝はあるか

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2006.08.17 Mint