「国家の品格」と教養、藤原正彦氏の思考方法

文化の違いが有って当然
 国家の品格はベストセラーを超えて200万部も売れてるとのこと。正直、近年に無い本の価格のおかげと思う。なんせ、新潮新書で714円は週刊誌を買う感覚で購入できる。しかも、通勤の途中に持ち歩いて読むことができる。そもそも、ハードカバーの高価な書籍なんかは図書館に置いておけば良く、書籍は新書サイズで持ち歩くって感覚が出版側に無い。そのため、本が高額になり読書離れが進む。特に社会人の読書離れは書籍文化の荒廃に繋がるのだが、出版業界は1冊当たりの利益の高い高額な本に走りすぎて自滅している。
 で、国家の品格がブームになる遥か前に読んで、最近は新渡戸稲造の「BUSHIDO」なんかに手を伸ばしている。北大の総合博物館で、実際にアメリカで出版されたBUSHIDOの展示を見て「国家の品格」に書いてあったなぁと思い出したから。
 数年アメリカで教鞭をとっていた藤原正彦氏にとって文化は違っていて当たり前で独自の文化を持たないことが国家としていかに恥ずべきことかを述べている。多分にアメリカの他民族国家で揉まれた経験から会得した思想だろう。
 振り返って日本独自の文化とは何かと考えるところから「国家の品格」は始まる。最近は「祖国とは国語」を出されてるが、基本的に自国を知らないと国際人では無いって考え方は正論である。これまた新潮新書で420円と来れば「ベストセラーの作り方」のお手本のような本になるだろう。そして、「祖国とは国語」って考え方は先の教育基本法に通じ「愛国心は国語よりいずる」となると思う。自国を知るからこそ生まれる愛国心に左かかった教育者は配慮すべきだろう。
 国、地域、家庭でそれぞれ文化が違って当然なのだ。
 昔、踊るさんま御殿で女子中学生の会話で「ねぇねぇ、明子ったらお父さんとお風呂に入るんだって」「えぇ!!! お正月でも無いのに」って話題があったが、我が家の文化だって胸を張るのが「品格」なのだ。

品格を具備するには教養が必要
 「教養」とは何かって言葉を定義しないと話が解りづらくなるので「教養」の言葉をまず定義しておこう。生活に必要な知識以外の知識と定義しておこうか。
昔も書いているのだが、実は最近の心理学で分析が進んで、人間の知識には大きく3つの分類がある。
1)意味記憶
 本を読んで得られる知識の記憶。元素記号による周期律表とか年表とか、外部からの伝達によってしか得られない知識。
2)エピソード記憶
 体験を通して得られる記憶。体験も知識として積みあがるのは歳を重ねて経験が増えると判断力が鋭くなることからも解る。上記の外部から与えられる意味記憶に対して自ら会得する記憶、知識といえる。
3)手順記憶
 これを記憶に分類するかどうか議論が分かれるところだが、職人の技なんかは上記の1)、2)で説明すのが難しい。また、我々が自転車に乗れたり、車の運転で若葉マークを設定して初心者に大して注意を喚起するのが合理的なことから、2)のエピソード記憶に近いのだが、主に体を動かす能力としての手順記憶を分類しておいたほうが便利だ。
 で、教養とは上記の1)に存在する。日常生活では2)、3)が主体で、1)の一部を使う程度だが「教養」の尺度では1)に若干の2)のエッセンスがふりかかったあたりに存在する。
そしてこの教養が「国家の品格」で書かれていた論理では無い直感による物事の出発点を生み出す。しかし、藤原正彦氏は結構随所で「論理的に考えれば」って使っているのだけどね。

パイロット、特に機長に求められる教養
 VIPが搭乗するからでは無い。古い話になるが昭和47年の日本航空連続事故ってご存知だろうか。1)羽田空港オーバーラン事故(5/15)、2)ニューデリー墜落事故(6/14)、3)金浦空港オーバーラン事故(9/7)、4)ボンベイ空港誤認着陸事故(9/24)、5)シェレメチェボ空港墜落事故(11/28)の5件を指す。連続事故の要因を「続マッハの恐怖」で柳田邦夫氏がまとめている。
実は統計的判断には様々な解釈があることを初めにおことわりしておくが、柳田邦夫氏もやんわりと書いているが5件のうち4件が自衛隊からのいわゆる割愛組の機長、残りの一人は通常の試験を通過するのに平均の5倍も時間がかかっていたことが明らかになった。このことが社会問題化しなかったのは、日本的文化なのだが、日本航空は真剣に悩んだらしい。
 補足すると割愛制度とは、民間のパイロットが不足したために自衛隊のパイロットを勝手に引き抜きされないために自衛隊が推薦して民間に移籍する制度で、この対象となって民間航空会社に移籍したパイロットを割愛組と呼ぶ。
 現在も機長の大量定年退職で機長不足が起きているが、パイロットとして優れていても機長としての素養が無いパイロットが多く、パイロット不足では無くて機長不足が民間航空業界で深刻になっている。
では、機長としての素養とは、日本航空も口を割らないが「教養の有無」なのだ。先の日本航空連続事故の教訓は「極端に平均から劣る人間には素養が無い。手順記憶で飛ぶパイロットは順法飛行の時代に合わない。そして、教養の備わっていない機長は安全航行にそぐわない」である。そして、教養とは学歴では無く「生活に必要の無い知識」なのだ。これが備わっていないと品格は出てこない。
 断っておくが、自衛隊のパイロットは有視界飛行が得意で、民間パイロットは計器飛行が得意。当時の南回りルートの機長の大半は割愛組だったから、必ずしも割愛組みに事故が多いと言えないとの意見もあることを付記しておく。
 今は、交通事故と「教養」の相関を調べるデータを探してる。

何故、教養が必要なのか
 再度、断っておくが学歴のことを教養と呼んでいるのでは無い。幅広い意味記憶が教養だ。だから、最も教養を入手しやすいのは書籍からだ。ホームページも良いだろうが、記憶するための繰り返し情報を得るには書籍より機能が弱い。本は遡って読み返しが出来る点が記憶の道具として適している。一過性に終わらず身に付くのだ。だから品格を形成する。
 「国家の品格」で藤原正彦氏は自国の理解が出来ないで、ただ英語がしゃべれるのが国際人かと糾弾してるが、まさに、日本語も出来ないでは自国の理解も進まない。その意味で、藤原正彦氏の次の著書が「祖国とは国語」なのはうなづける。
 話が戻るが、実は書籍離れは大変な文化の衰退で、教養を身につける手段としての読書が衰退しては教養は身に付かない。また、先人のノウハウの塊でもあるドキュメンタリーなんかも書籍離れによって世代間を受け継がれることが無くなる。これは日本の文化や技術の世代伝承機能が無くなるってことで相当な問題だ。
 藤原正彦氏の続編は読んでいないが、読書する姿勢を醸しだし、教養を身につける手段としての国語教育が必要なのであって、学問としての国語は学会の飯の種に化けるので願い下げだ。言葉が「下二段活用」であることを知ることよりも、書かれた内容に興味を持たせることが必要だ。モット本を読み、読む、読め!
 人間は好奇心の動物と言われる。意外と犬、特にオオカミに好奇心が強い。猿よりも強いと言われてる。また、カラスも好奇心が強い。一般的に霊長類から見て「頭が良い動物」と分類される動物は好奇心が強い。それは人間がここまで進化した原動力が好奇心だから。
その意味で教育は好奇心を醸すことからはじめるのが肝要だ。ペーパーテストを採点し偏差値で分類するのは教育の本来の機能では無い。
そんな「学力」と「成績」の区別も付かない教育をやっていたんでは永久に「教養」は身に付かない。国家の品格も形成されない。

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