いちご同盟 ETV40周年ドラマ

いちご同盟正月にふさわしい
ま、このドラマが無かったら今年の正月は不作だった。
 明石屋さんまが生で出ない珍しい正月だったが、しょっぱな元旦から人の死を扱ったドラマを放送するNHKの番組編成の勇気をまずたたえたい。
 NHKでは「中学生日記」が長寿番組だが、実はあれにはまっていた時期があった。中学生という世代を通して世代と時代を描き出す秀作であると思う。今の成人に「子どもの頃の夢は無くしたのか」と問えばほとんどの人間は伏し目がちになる。そして現実を見ない理想主義者のように僕を見る。
 年末に「進め雷波少年」で売れないフォークグループ、サムシングエルスの最後のチャンスである曲「ラストチャンス」がオリコン20位以上をかち取れるか企画してた。これも夢の無き時代のひとつの象徴と言える。著作権の関係で歌詞の引用は避けるが、結局大人になることによって失ってきたものは何なんだろうか。そして、それを追い求めるのは間違っているのだろうか。いや、それを追い求めることこそが自分が自分であり続けることなのではないだろうか。そんな70年代のフォークソングの原点がこの曲の歌詞にかいま見られる。
そもそも、現代の茶髪もピアスもそこにメッセージ性が無い。他人に同化するための茶髪であり、ピアスであり、ルーズソックスなのだから。
もっと、自分と向き合う勇気を持たなければ人生は死への惰性でしか無くなる。
日本人が忘れてしまった生きる意味の探求がこのドラマの伏線になっている。

ドラマとしての、いちご同盟
 このドラマを見て感動する人は多いと思うが、その感動は人生に何を体験してきたかの集大成の意味がある。逆にこのドラマを薄っぺらい不治の病と戦い死んで行く「愛と死をみつめて」と同じたぐいと感じる感性は貧しいと思う。
 「いちご」つまり1(いち)5(ご)歳の頃の自分を投影して思いを込める人も居るだろう。また、布施明の演じた父親の人生観にうなずく人も多いだろう。屋台で焼き鳥焼いていた田淵幸一元阪神タイガース選手に...それは無いか。
 時と言う逆戻り出来ない事柄を、正面から受け止めなければならないのが「思春期」と呼ばれる時代であろう。それを無意識に通り過ぎると後は人生に向き合う機会は高齢者になった時くくらいしかチャンスは無い。その時期に死と(しかも正月に)向き合うことは非常に示唆に富むことと思う。死するものの残した重荷を背負って生きていかねばならない。それが「人間の営み」と呼ばれるものの本質なのだ。「いちご同盟」という仲間が残してくれたもの、主人公はそれをシッカリ受け止めてこれから生きていく。
 「夕方は嫌い、終わりの時間だもの。帰る時間だもの。」と言わせるメッセージ性がこのドラマを象徴している。生きることは結局、帰る時間の夕方に向かっているのだから、その間になにをなすべきか、それを、長く生きられない難病の友を通じて会得する主人公の体験が素晴らしく描かれている。外から見える限りは漫然と生きていることと必死で生きていることの違いは少ない。「生きている」ことと「命ながらえている」ことを自己の生き方に照らして、その違いに気が付くことが必要であろう。

誰もがおいしい役やないですか
 いちご同盟の脇役達の中で星野知子と三田村邦彦の夫婦はおもしろいと思う。無能で家族に期待されてない主人公が、会社から帰った父親に「おかえりなさい」と言うのに、家族の期待を担った次男が父親が帰宅しても「おかえりなさい」の一言も言わない演出には巧妙さがある。人は自分だけで生きているのでは無く、短い人生の中でどれくらい他人に尽くしたかが大切なのであり、それぞれの役回りで何を人生の糧にしたかがはっきり描かれている。特に娘を持つ身としては布施明の台詞は重たいのだけれど(smile)。
 最後、母の説得も聞かず病院での誕生日会に行かなければならないのだと話す息子に「行ってこい」といだけ言う三田村邦彦の父親。その病院での誕生日会でピアノを弾く息子を目にした母親役の星野知子、両方とも「おいしい」役どころ。先の事を考えて今を犠牲にするのも良いけれど、確かな今が無ければ先もまた有り得ない。目標に向かって全てを犠牲にする生き方は、ふと振り返ってみると全てを先送りして、確固たる今日を生きていないことなのかもしれない。また、あまり出演場面はないけどハンブンジャクの疲れた演技も良い。田淵の焼き鳥屋(あ、ま、いいけど)

人を描くのがドラマ
 ま、そこまでは思わないけど、ETVが「いちご同盟」を元旦に仕掛けたのはすごいと思う。
メインの3人の演技は稚拙だけれど、でも全体を脇役がカバーし、そのドラマのコンセプトが何処にあるのかを明確にしている点で非常に高い評価ができる。ただ、どれだけの人が見たのかは解らない。実は友人の死を通じて人生を感じたのは受験戦争などと言われた昭和50年代だったので、受験のプレッシャーで亡くなった友のことを考えるにつけ、生きていてナンボのそのナンボに深くこだわったりしている。正月に死のドラマなんだけど、なんか非常に前向きな感じを受けたりしたドラマだった。
 死と対面することでしか生きることを捕らえられない現代の不幸があるのかもしれない。個であるよりも衆であることを優先する個々人の生活指針は結局、今限界に達しているのか、はたまたそれが日本の常識化してしまったのか。
 トレンディドラマに代表される家族の無い個のドラマ。肉親の人間関係だけ描いている橋田寿賀子の「渡世間は鬼ばかり」、あえて言わせてもらえば「かたわドラマ」である。  木下啓介監督の映画「家族」では九州の炭坑町を離れて北海道に入殖する家族が途中大阪の万国博覧会会場を経由して時代と人と家族を的確に描いている。特にたどり着いた道東の酪農農家で人生(旅)の最後を悟った笠置衆の演技は忘れることができない。
 今の監督は人を描くことが出来ない。
 人類は印刷技術によって、書物を残し、これで英知を引き継ぐ(世代を通じて蓄積)するうことが出来るようになった。が、いまの日本を見ると、この英知の引継に危機がおとずれているような気がする。それが、公を否定し個を賛美する戦後の風潮に起因しているような気がする。そして、その結果、人間に人類に一番大切な後継者の育成を失わせているのかもしれない。だとすると、日本の未来はその方面から崩壊するのかも知れない。

 「いちご同盟」の原作を読んでしまった

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1999.02.14 Mint