原作からここまで読めるのだろうか
正直原作と比べるとテレビドラマの出来は「ディレクターの拡大解釈し過ぎ」なのだと思った。この原作にあのドラマの雰囲気は無い。青春期に感じる「生と死の葛藤」てのが原作の命題なのだ。
でテレビドラマでは死を隠している。隠しているってのは的確な表現では無いかもしれない、原作はスタートがマンションの13階から飛び降りて自殺した小学生の気持ちに発する。やがて直美との出会いと生と死の葛藤。これこそが青春なのだろう。
ほとんどの人は自殺を青春期に考えると思う。この原作では1行しか無いが直美が主人公の北沢良一「ねぇ、私と心中しない」って一言がテレビドラマでは中心に据えられている。小学生の自殺を追って「どうせ何時か死ぬんだ。バカヤロー」って気持ちを妙に受け入れた主人公が不治の病と戦う直美に「心中しない」と言われて生きていながら死を考える自分と、死が間近かもしれないと不安な直美との違いに気がつくのだ。
テレビドラマでは直美がパジャマの胸をはだけて「私を見て、忘れないで」ってシーンが有る。原作では良一と出会った時に既に直美には片足が無かった。次の手術では胸にもメスが入る。そんな自分のメスが入る前を見てもらいたくてあんな行動に出たのだが、これはテレビドラマでは唐突に現われる。
テレビドラマでは手術の前に病院を抜け出して遊園地に行くのだが、このシーンは原作には無い。原作に忠実なら田淵副監督の出番も無かったわけだ。これは生と死を対比させるために効果的に使われていた。
実は僕が泣いたシーンなのだがピアノの先生をしている星野知子演ずる母親にピアノのレッスンに行かないで何処に行くのって言われて「友達の誕生日にピアノ弾く約束したんだ」。「そんなことで」に対して「友達入院してるんだ」。そして奥から父親役の布施明が現われて「行ってこい」ってうなずく。このシーンはドラマで盛り上がる。しかも星野知子が病院での演奏を見に来る。息子のピアノ演奏は自分が教本に忠実な演奏では無く、語りかける我流の芸術なのだと気がつくシーンだが、これも原作を読まないと解らない映像だった。
布施明って「ラジオの時代」にも出ていたが、オヒョイ(藤村俊一)が花火の擬音のために「50円ありませんかね」(この穴を利用してヒューーーって音を出す)ってシーンで1000円札を出して「お釣は要りませんから」なんて役もやっていた、妙にシリアスな風貌から一転外した対応のキャラなのだ。ただ、たぶん、このテレビドラマ「いちご同盟」の父親役は最高のハマリ役だと思う。これは原作がフォローしている。
実は主人公の「上原直美」を嫌いになったのだ
ま、どうでも良いことなのだが、原作で描かれてる上原直美を僕は好きになれない。テレビドラマの上原直美には好感を持つ。テレビドラマではストレートな性格が周囲をドギマギさせる才女って感じだったのだが原作を読むと粘着質に描かれている。最後に亡くなるのだが(って、小説の中の話だからね)、そこはもう一人の主人公である良一の目で描かれている。テレビドラマはもう少し直美の視点があった。
「私と心中しない」って言える女性を崇拝する変なトラウマでも僕に有るのだろうか。あのセリフでこのドラマが記憶に残るのだ。
ただ、原作の最後の記述にはさわやかな感じがした。テレビドラマでは「僕も少し変わった、女の子と話すときにドギマギしなくなった」みたいだが、原作では「生きろよ」ってセリフで終わっている。それは13歳の自殺に固執していた良一へのメッセージであると共に「私を忘れないで」って亡くなった(ってドラマの中の話だが)上原直美への鎮魂歌でもあるのだ。
原作を読んで思ったのはやはり我々はどうしようも無い受験戦争ってトラウマが有るってことかな。原作では高校受験を背景にしているが、僕は
僕の小説と大差無いと思う。それはテレビドラマを否定しているのでは無く。皆、その年齢を一生懸命に生きてきたってこと。
やっぱ「いちご同盟」は国民全員に見てもらいたいなぁ。