冬のソナタの主演はチェ・ジュウ

正月は「冬のソナタ」漬け
 マスコミでは「チェ・ジウ」と表記されてるが、実際には「チェ・ジゥ」が近いのではと思う。面倒なので日本人に発音しやすい「チェ・ジュウ」と表記するが、たいして違和感は無いと思う。
 NHKのBS2で放映のノーカット版をDVDに収録して何回か見てしまった。1話の長さが57分だったり75分だったりなので「東芝なDVD」ユーザとしては、容量優先のビットレート変換で2話を1枚のDVD−Rに焼くことになる。ビットレート変換での焼き付けでは4倍速は使えず、実時間がかかるので、焼いている間に見て、出来上がったものを見てと1話を3回は見ているだろう。
 折角のノーカット版なので、オープニングも次回予告も、間に入っていた「裏話」も収録した。唯一、出演者紹介の部分はカットして、それで全作20話10枚、22時間程度のDVD−Rが出来上がった。
 前に書いたように地上波で放映された吹き替え版では声優の声に張りが無く、1,2回見ただけで「なんで、こんなドラマが話題になるのだろう」と不思議に思った。現在の「ヨン様」ブームはこの吹き替え版で起こったのだが、フアン層が高齢女性にのみ絞られたのは吹き替えの質にこだわらないストーリーの心情的受け止め方の層にのみアピールしたのかもしれない。
更に後述のような理由も考えられるのだが。僕は吹き替え版は全然見るに耐えられなかった。気持ちが伝わってこないのだ。チェ・ジュウの場面場面の表情と心情描写に臨場感が無い。その意味でノーカット版の録音は映画のようなアフレコでは無く、同時収録なので韓国の町の騒音も聞こえ臨場感があった。
 実際にノーカット版(正確には一部再編集されてるので完全版では無い)を見ると日頃慣れ親しんだ韓国語は渡辺エリ子に似た北朝鮮のニュースアナのものなので、改めて韓国語の発音と韓国語によるドラマ創りを体験できる。特にチェ・ジュウの台詞の間(ま)の取り方は吹き替えでは味わえない韓国語の美しさを引き出した演出を感じる。
 NHK制作の吹き替え版の、声に臨場感が無いのは、声優専門では無く役者の朗読を使ったためだろう。通常、歩くシーンでの会話では声優ならば実際に足踏みしながら体の筋肉の動きを伴った声で吹き替える。声には体の動きが反映するので実際に動きを真似て発声することでストーリに合った臨場感を出す。このあたりの吹き替えのテクニックが全然駄目だった。だから、チェ・ジュウの感情を込めた発声も画面から伝わらなかった。
もっとも、30年も前のテレビ業界だと週間単位で毎日アメリカのドラマを放送していたので声優層も厚く、競争原理が働いたのだろう。今ではアニメの声優全盛で、こちらは別な臨場感の演出なので、ドラマの吹き替えができる声優は少なくなったってことだろう。需要が無いのだから供給も無いのかもしれない。

主演はチェ・ジュウなのだろう
 1話毎の終わりに出演者の紹介があるが、この順番はチェ・ジュウが最初、2番目がペ・ヨンジュとなっている。「ヨン様」ブームの冬のソナタだが、主演はチェ・ジュウてことなのだろう。これはドラマ全体のストーリーのなかでも中心はチェ・ジュウなので当然の順番だろう。
 NHKが全話59分に編集を依頼したのはなんともNHK的な役所仕事で、日韓交流まで視野に入れていれば最初からノーカット版だっただろう。ただ、地上波での放送では吹き替えは避けて通れない。ぜいぜい二カ国語放送までだろう。ユニバーサル・サービスのNHKとしては字幕は最初から考慮の対象にならなかっただろう。
 チェ・ジュウの話す韓国語と顔の表情、台詞の間の取り方は韓国語を最大限に生かした演技になっている。後半が24時間連続撮影の過酷な韓国ドラマのスケジュールで顔色が悪くなっているが、最初の1〜5話あたりでは自然な肌と微妙な口元の動きが台詞と相乗効果でさすが「ジュウ姫」と話題になるだけはある。
ただ、唄は駄目みたいで日本の歌番組で和田アキ子が憮然としていた。「冬のソナタNG集」にも、ホテルの工事現場の宴会でチェ・ジュウが歌うストーリーがあるが、これは本編ではカットされたようだ。また、曲が入れ替わっているが高校時代の1話で放送室でレコードをかけながらチェ・ジュウが歌うのはアバのダンシング・クイーンだが、ここも口パクになっている。もっとも、ダンシング・クイーン自体が別な曲に入れ替えられてる。
全体にグルノーブル冬季オリンピック映画のテーマ曲であった「白い恋人たち」が流れていたらしいが、これも別な曲に取り替えられてる。日本で放映する時に権利関係の調整が難しかったのだろう。一部ではサザンの桑田の「白い恋人たち」が挿入歌だったと誤解も招いているが。このあたりはストーリー展開に関係ないのだが、後日、韓国完全版を見たときに、やはりグルノーブル・オリンピックの「白い恋人たち」が最もストーリー展開にふさわしいBGMであると確認できた。
 チェ・ジュウの涙のシーンと挿入歌ってシーンが沢山ある。これは言葉で表現せずに視聴者に判断を委ねるのだろうが、チェ・ジュウの演技あってのシーン設定だ。またチェ・ジュウの流す涙は場面毎に微妙に違い、それが涙で感情を語る演技として生きている。そして、感動のラストシーン。
 「ユジンなの?」、「そうよ、チュンサン」がラストの台詞になっている。
 ここと19話の「最後に見たお互いの姿が背中ってのは寂しすぎる」の部分は最高の台詞だろう。この後、前を向いて歩いていく(もっとも、自分から振り返るので、ペ・ヨンジュには後ろ姿が見えてしまうのだが)チェ・ジュウの振り返りたいが振り返らないって演技にも涙する。
 ま、チェ・ジュウも良く涙を流したが、見ている方も良く涙を流したってことだろうか。

緻密な制作が難解なドラマにしている
 DVDで何度も見直して「布石」が見えてくる創りになっている。このためNHKが地上波でカットした部分に「布石」があると後のストーリー展開が分かり辛くなる。そもそも、布石が多数ちりばめられてるので、ノーカット版でも何度か見て分かるシーンも多い。また、韓国ドラマの常だが、放送中に視聴者の投稿でストーリーを替えるのでつじつまが合わない部分も多々出ている。そのために、18話あたりから「あらすじ」を最初に流すのだが、これは放送後ストーリーを当初の流れから変えているので、苦肉の策だろう。
 しかし、これは好みの問題で、何度も見て知らなかった布石に気が付くって見方もあって良いだろう。その意味で一過性の放送では韓国で視聴率が稼げなかったのが分かる。日本では圧倒的にビデオ視聴だから(だって、表番組家族に取られて、留守ロクしか手が無かっただろうから)緻密な創りでも理解できたのではと思う。
 また、19話、20話のテンポは早すぎて、もしかして26回の2クールを視聴率が低いので20回でうち切ったのかと思わせる。実際は、2回程度の延長が検討されたが他の番組スケジュールが決まっていて延長できなかったらしい。
 布石の中でも記憶に残るのは、あわただしい20話で3年が経って韓国に戻ったチェ・ジュウとサンヒョクが子供を追う(この子供はチンスク夫婦の子供なのだが)シーンの左端にペ・ヨンジュが少しだけ写っている。このあと、チェリンが窓から叫ぶ場面ではチェリンにペ・ヨンジュが見えてないので、最初の子供を追った部分だけ聞いて去っていったのだろう(なんせ、目は見えないのだから)。
 「不可能の家」でジグゾーパズルに触れてキム次長を思い出すシーンでは缶コーヒーを渡したキム次長の台詞が「日本の学会の報告は英語にして送ってあります。アメリカですぐ読めます」とまったく脈絡が無い台詞になっている。これも「布石」で失明を回復する臨床例が見つかったので、再度アメリカで手術を受ける手配が進んでいると勘ぐることもできる。
 各自が今、どの情報を持っているかも重要なストーリー展開になっている。後半では兄妹では無いと知っているペ・ヨンジュと兄妹だと思っているチェ・ジュウの場面。普通なら「兄妹じゃないんだ、結構しよう」となるのだが交通事故の後遺症で自分の死と直面してしまったペ・ヨンジュはチェ・ジュウに真実を伝えることもなく去っていこうとする。この場面はかなり誤解を招く部分だろう。良く理解してないとペ・ヨンジュが演じる愛の形が見えてこない。死ぬかもしれない自分からは最愛のチェ・ジュウを離したいって表現がなかなか伝わらなかったのだろう。このシチュエーションを1話くらいかけてジックリ創り込んで欲しかった。
 先にはアメリカへ発つペ・ヨンジュに追いついた金浦(キンポ)空港、今度は全ての真実を知ったチェ・ジュウとサンヒョクが追ったが追いつけなかった。そして同じゲートを通ってチェ・ジュウもフランスへ発つ。ここのバックにサンヒョクの台詞が流れる。ここがラストシーンでも良かったのでは。特に左側の大時計の文字盤が印象に残る。
 「3年後」は次回作に向けての布石だろうか。「奇跡の家」のシーンは15分ばかりなので、この15分を入れ替えることにより、2、3作追加(もしかして、10話くらい)は容易だろう。しかし、20話で終了したって、全体構成のアンバランスを感じた。
 もっとも、不可能の家でペ・ヨンジュを迎えに来た電動カートの運転手がソフトバンクの孫正義氏に似ていたのは笑えた。唐突にソフトバンクの孫氏が出てくるストーリー展開なのだから。

シリーズ化がなんともトホホな話
 韓流ブームとかで、韓国ドラマが民放でも放映されているが、折角チェ・ジュウが出演してるのにベタな吹き替えで疲れてしまう。また、監督も悪のりで季節シリーズとかで「夏のxxx」とか「秋の×××」に手を染めている。
韓国ドラマは正直予算と時間との追いかけっこで、極端な話、前半を放送中に後半の編集が終わってないなんて事もある。そんなドラマを買ってきて放映する民放には頭を傾げるが、それに付くスポンサーもどんなもんだろうか。
 韓国のドラマ・スターは映画へと進出していく。過酷な体力勝負のドラマ制作の現場から離れると、戻ってこない例が多い。ここが日本の映画と違う所だ。日本ではテレビは「電気紙芝居」と揶揄され、映画よりもランクが低いものとされていた。映画が5社協定にあぐらをかいている間にテレビはスポンサーの力を借りて大きく飛躍してきた。韓国では映画とドラマを比べると、映画は国際産業でドメスティック(国内)なドラマと違いマーケットも評価も国際舞台と勝負できる。
日本の映画が国際舞台への進出を怠った結果と対照的だ。
 韓国ドラマは皮相的で薄っぺらい。これは紛れもない事実だ。ただ、その中でビデオ視聴って手法で「冬のソナタ」は日本で注目された。テレビドラマの枠を出て、新しい視聴手法がかいま見られるのが「冬のソナタ」ヒットの特徴だろう。日本でも一般的にテレビ放映、DVD化、ライブラリー化とマルチユースを目指した作品が多いが、是非は別にしてそれぞれが、例えばNG集付きとか付加価値を得意分野で生かしてメディアを攻める方法が出てきている。同じく正月の「踊る大走査線 レインボーブリッジを閉鎖せよ」は、テレビドラマの域を出ていない。1時間番組が2時間になっただけではスペシャルドラマでしか無いのだから。
 「テレビでは解らなかった部分がDVDを何回も見ると解る」みたいな、難解と単純のストーリー構成のバランスの良さが「冬のソナタ」が作品として優れている点だ。この2面性を上手に演出してこそ海外でも通用するドラマになる。加えて役者や演出の丁寧さが求められるのだろう。チェ・ジュウ主演で無い冬のソナタは、ペ・ヨンジュ主演で無い冬のソナタ以上に考えられない。配役を替えて映画版「冬のソナタ」を作るそうだが、キワものとならないことを願う。

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