北海道の産業構造は一次産業から脱却不全

ジャンボジェット機の後輪論
 昔からって、B747が就航してからだから1964年以降だと思うが、北海道の景気動向を差してジャンボジェット機の後輪論ってのが有る。離陸では最後に地面を離れ、着陸では最初に地面に設置する。
今回のバブル後の空白の10年を経た景気の動向で全国では「日差しが見える」程度まで上昇機運だが北海道だけは相変わらず「夜明け前」と言うか永遠に夜が続くのかもしれないって様相だ。
 景気回復の牽引要因にもよるが、IT関連製造業が牽引する今回の回復基調ではIT関連製造業の躍進がめざましい。しかし製造業が少ない北海道の産業構造では機運に乗れない。資源としては広大な土地と少ない人口密度、ここから導き出されるのはバブルの頃のリゾート開発とかの原野を農地を越えて工場並みの生産性へ持っていく観光開発。これが、軒並みバブルで吹き飛んだのだから、ジャンボの後輪は何時までも離陸しない。
 産業構造の変革が必要だとの論調も多いが、これは逆だと思う。産業構造の特徴を踏まえた変革が必要なのだ。例えば「観光産業育成」なんてのを掲げているが、少子高齢化の進む地方では人海戦術的な観光事業は望めなく、雇用の確保には繋がらない。せいぜい温泉のボーリング業者が潤う程度だろう。交通機関だって夏の間は本州からの出稼ぎ観光バスが北海道に駐留して稼いでいく。冬には需要が無いので撤収ってことになる。
 観光がパーソナルな志向を強めている時に、既存の観光業者が望むような大量画一ツアーの拡大は望めない。加えてパーソナル観光では産業拡大に結びつかない。観光産業への産業構造の転換は主役を担うだけの力は無い。

北海道歴史遺産に着目して欲しい
 先の観光では北海道は「水と森の大地」と言われている。湖と森林が売りなのだ。有名観光地は湖と山と温泉が有る地域に開ける。北海道では、本州のような華厳の瀧が瀧単品で観光地になる例は少ない。振り返ってみると北海道の産業構造の歴史は一次産品の切り出しから始まり、その後、公共事業に代表される土建経済に流れてきた。
 明治維新直前の砂金に始まり森林伐採、鰊に代表される漁業、大規模北洋遠洋漁業、戦後の引き揚げ者の吸収先としての国鉄と石炭発掘とこれは昭和30年代まで続いてきた。産業構造の転換と一言で切り捨てることが出来ないほど「昔は大きな町だった」って所が沢山ある。特に産炭地の既に消滅している部分も多いが、炭坑跡地、その搬送に利用された鉄道跡地が各地に残っている。産業構造の転換の歴史を伝えている。
 そもそも、北海道の廃線跡地は後背地として森林か石炭を抱えていた。その需要に旅客がくっついただけで、石炭や木材輸送の大動脈として整備されてきた。だから、鉄道こそが産業構造の転換とともに採算性を悪くし廃線になっていった。
 この「朽ちていく物から知る歴史」を北海道の観光資源として活かせないだろうか。実は小樽市の運河観光はかつて大正初期に北のウォ−ル街と呼ばれた小樽の「朽ちていく物から知る歴史」の観光だ。これが何故、脚光を浴びているか考えると「水と森の大地」だけでは無い、北海道の観光が見えてくる。

観光活性化には情報発信力が必要
 下関市をご存じだろうか。小学校の時に社会科で「関門海峡」あたりで耳にした程度だろうか。時節的に下関のフグが取り上げられる程度だろうか。その下関が今、一大観光ブームに沸いている。門司港と下関のあいだを結ぶ関門海峡渡船は乗降客が減少し、いつ廃止かと言われていたのが、週末は大人150円の短距離のフェリーに行列を作らないと乗れないほど混雑している。
 実はNHKの大河ドラマ「宮本武蔵」のクライマックス「巌流島」(舟島)が下関にある。しかし、下関は細川藩の流れから佐々木小次郎の人気が高く、同様に平家の滅亡の地、壇ノ浦があり平家の人気が高い。つまり「敗者の美学」みたいな土地柄で全国受けする観光広報が出来ていなかった。そこに黒船NHK大河ドラマで一気に下関観光が全国区になった。しかも、今年の新撰組(高杉晋作は下関、市内には高杉晋作通りがある)、来年の源義経で壇ノ浦の戦いと、まるでNHKが後押しするように下関は観光で潤っている。
 今まで単発の大河ドラマブームは全国で起こったが、下関市だけは3年連続大河ドラマ関連の恩恵を被っている。つまり、佐々木小次郎、平家の敗者の美学を勝者側からスポットライトをあてることにより、情報が全国に発信された。NHKの大河ドラマに助けられただけでは無く、ある意味、上手に尻馬に乗ったのが勝因だろう。
 で、何故、下関の例を紹介したかと言うと、来年の大河ドラマは「源義経」だと知ってもらいたい。
 北海道に義経伝説が多いことはご存じだろう。僕が知る範囲でも岩内町雷電海岸の雷電岬、平取町の義経神社、そしてホームページの表紙にも有るが平泉武将の兜が出土する神恵内村。どれも伝説とかアイヌの懐柔策とか諸説あるが、観光資源である。特に平取町の義経神社は北海道の歴史を知る上で貴重な情報を含んでいる。
 また、既に来年を見越してこんなツアーも行われている。義経ミュージアム。北海道の義経伝説の裏と表を紹介する観光ツアーを企画してはどうだろう。市町村の枠を越えた広域義経観光ツアーを。この情報発信が観光には必要なのだ。だから、NHKの大河ドラマの尻馬に乗るのも、自ら情報を取りそろえるのも車輪の両輪として機能する。
 そこに「朽ちていく物から知る歴史」の視点を持てば他の大手エージェントと違った観光を提案できるはずだ。昭和を振り返る北海道産業構造転換の遺産。大切にしたいものだ。

長期に観光地になるには口コミ
 一過性のブームによる観光は先のバブルの二の舞で儲かった人と損した人の二極化を生み結局地域には何も残らない。まるで東南アジアのナタデココブームのように地域を疲労させる。
 旅は人間だけが持つ好奇心をくすぐるものである。現地まで足を運んでるにも関わらず、施設内で温泉に入ったり、宴会をしたりのツアーや団体旅行と時代は違う。そのための工夫が観光情報の発信には必要だ。誰でも行く全国区の観光資源に、あなただけしか知らない特別な観光資源をニッチ(隙間)に含ませるのだ。
 小樽運河観光の中にある古い建物ツアーも全部表示されているが個々人の興味によって複数のコースが案内されてる。今回はこのコースだが他のコースの評判を聞いて次回はどのコースにしようかと含みがある。
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 北海道の観光も「水と森の大地」からは、そろそろ卒業しても良いだろう。ホテルや旅館の接客業をレベルアップする研修や専門学校を整備する観光振興では先が見えている。役人の作文じゃない本当の産業興しとは「Plan Do See Check」のサイクルを回すことだ、役人は「PlanとDoしかしない」。
 北海道の産業は公共事業依存型と一言で言われるが、まさに、PlanとDoしか無い産業構造、そこの反省に立って産業構造の変革に取り組み、実績を積み重ねられる仕組みが必要だ。
 それは、以外と単純な方法で出来る。公共事業的PlanとDoだけで無く、その後の推移を見守り、見直し策を講じ、新たなPlanを興していく。このサイクルが回る産業構造を構築するのだ。
 産業構造の転換に工業団地を造って工場を誘致する時代は去った。国策としての産業構造転換に巻き込まれた北海道には、産業構造転換跡地としての資源が朽ち果てながら残されている。当面、これにスポットライトをあてて新シルバー世代に昭和を味わってもらう産業を興すべきだろう。

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2004.05.15 Mint