観光産業振興、北海道新聞への投書の再掲
北海道新聞のホームページからの投書
北海道の観光はどうあるべきかってコーナに締め切り間際に投書したので、掲載されなかった。その内容は以下のようなもの。
遊興の場から脱していない北海道観光
21世紀の北海道観光は水と森と青空のハードウェアとペンションのような個別対応のソフトウェアが折り重なったものと描かれます。
しかし、北海道の観光産業は、温泉を中心にした遊興の場の提供から未だに脱していないと思います。歴史を辿れば森林、石炭に代表される一次産業の後背地として遊興から始まった温泉宿が21世紀を迎えて客層が大きく変わったにも関わらず19世紀的な一次産業の遊興の場から脱していないと感じられます。
山奥の温泉宿でマグロの刺身が出るのがその典型でしょう。贅沢三昧が「おもてなし」と考える発想では観光産業は伸びて行けません。大きなホテルにゲームセンターまがいの設備があるのも違和感を憶えます。収入アップのためなのか、なにもゲームするために訪れているのでは無いのですから。
利用者の質的、量的変化に対応できずに戸惑っているのがいまの北海道の大手業者ではないかと感じます。
宿泊と遊興を提供する姿勢から脱して、ここを訪れると何が得られるのかを、個々の観光業者が個人へ情報提供を行わなければ北海道観光は地に足の付いた産業には育ちません。
NHKの大河ドラマで下関が一大ブームに沸いているそうです。武蔵、新選組と来て来年は義経。この3連続ブームに乗って観光客の入り込みが伸びているとか。
なんとなく感じませんか。義経と言えば北海道には義経伝説がその功罪は別にして点在することを。北海道開拓の歴史と義経伝説あたりをテーマに北海道の観光開発を考えられないかと思っています。
また、先に書いた石炭・森林産業の産業遺産も大いなる観光資源と思います。本州の大手旅行業者に仕掛けを任せて、宿泊と遊興の提供では「北海道の観光産業」とは呼べません。自らの足で立ってこそ、産業なのですから。
北海道観光はグローバル化しているのだが
北海道の都市部に住んでいるとあまり気が付かないが観光地では外国人のそれも団体客とでくわすことが多い。3年ほど前に大沼公園へ行った時も、レストランが韓国ツアー客で満杯で入れなかったことがある。雪祭り会場でも道路を横断していると回りが外国語で札幌に居るのか解らなくなってしまう。
もっと身近な例ではフリーマーケットに行ってみると良い。必ず外国人が居る、それもアメリカと言うより東南アジアやアフリカからの外国人だ。実際に札幌に住んでいるってことだろう。極端な話、売る側にも外国人が居る。中国のオバチャンなんかファミコンのソフト売っているのだけれど、中国に送ったほうが金になるのではと思うのだが。
どうも話が逸れた。
北海道の観光業ってのは「温泉・芸者・宴会」のメインフレームから脱していない。法人が宴会場として温泉宿を使っていた習慣が温泉宿側に残っていて、新しい客層の開拓に成功していない。実は北海道観光の資源は先に書いた「湖・森林・青空」がメインフレームなのだ。これは外国人に限ったことでは無く、アジア的な高湿度の気候と違った自然が身近な北海道にあるから本州からも、台湾からも、韓国からも観光客が訪れる。
北海道の旅館業ってのは地元密着の遊興提供型から脱していない。これでは観光を考える役人だけの政策であって産業の拡大には繋がらない。観光産業となるためには競合他地域の状況と自分たちの状況を比較して、自分たちに有利な部分をより強化する必要がある。
つまり、マーケットリサーチが必要になる。地元の遊興の場の提供から脱するには多くの情報が必要になる。
井の中の蛙、大海を知らず
これも、日本に典型的な狂歌だが、下の句がある「井の中の蛙、大海を知らず、されど、空の高さを知る」である。NHKの大河ドラマの新撰組で脚本家の三谷幸喜氏が近藤勇役の香取慎吾氏に言わせているが、この「空の高さを知る」ことでより広い事を知っているって逆な意味になるのだ。
同じように「情けは人の為ならず」も「情けは人の為ならず、回り回って全て我が為」と上の句を下の句で補っている。しかし逆な意味に解釈している人が多い一因が下の句知らずなのだ。
北海道に観光産業を根付け、産業と呼べるまで拡大するためには、「井の中の蛙」が何を知り、何処に向かって志しを持っているか、この両面からの強化が必要になる。そのための施策が北海道の産業育成に繋がる。しかし、子役人の天下りのような各地の観光協会(
ホームページの一覧はここにある)を組織しても観光を産業に出来ない。
観光事業従事者の専門学校を作っても観光を産業にはできない。結局、表面をなぞっただけの皮相的な施策でしかないからだ。観光の本質は地域のホスピタリティにあると言える。
北海道が夏の自転車旅行のメッカになるのは、そこに住む人のホスピタリティの高さにある。これもまた都市部で生活していると感じないが、過疎地では人と人のふれ合いを大切にする。よそから来た客人を大切にする。これは北海道が開拓以来過疎であった文化土壌だろう。だから、自転車で旅行する旅人は他の地域を知っているが故に北海道の人々のホスピタリティを敏感に感じる。
遊興の提供による金儲けから脱して、ホスピタリティはいかにして醸し出されるかを真剣に考えることが必要だ。
成功例は各地にある
これもまた、札幌に居て北海道を語る弊害なのだが、広い北海道各地での取り組みが解っていない。同じ事は東京で地方の施策を考える時にも生じている。現場が今、どうなっているかをシッカリ知らなくては良い方策は立案できないのだ。
地方の市町村が積極的に取り組んでいるのに夏のシーズンのスポーツ合宿の誘致がある。オホーツク地域が特に熱心で、役場の横に大きく看板を掲げて年間の実業団の合宿予定を張り出しているところもある。これは合宿であって観光では無いと言う向きがあるかもしれないが、修学旅行の誘致と同じでリピートを狙った立派な観光事業なのだ。
遊興の提供に走る既存の観光産業の限界をブレークスルーしているのが合宿、修学旅行誘致に代表される新しい北海道の観光のあり方なのだ。サッカーの2002年日韓共催ワールドカップの時の中津江村のことをおぼえているだろうか。
詳細なリポートがここにあるが、あれが地域ホスピタリティの原点であり、観光産業の原点なのだ。
北海道の観光産業育成を語るのなら、絶対に既存の遊興提供産業からのアプローチでは無く、地域に根ざしたホスピタリティに着目すべきであろう。