靖国神社参拝の戦犯問題はB、C級も含めて
A級戦犯は日本の法律に無い名称
戦後(って、表現も既に死語だが)A級戦犯って用語は試合に負けた元凶みたいな場合にしか使われず、インタネで「A級戦犯」で検索しても半分はこの用法が多い。
戦争犯罪とは、第二次世界大戦までは戦時国際法違反者のことを指したが、極東国際軍事裁判(以下、東京裁判)では、
A.平和に対する罪
B.戦争による殺人
C.通常の戦争犯罪及び人道に対する罪
とA、B、Cに分類される。しかも、国際法違反では無く、広く国策遂行から人道的な部分まで拡大解釈されて戦争犯罪と定義されている。
そもそもA級戦犯って区分は日本の法律には無く、敗戦後、東京裁判にて分類された呼称である。
A級戦犯に分類された25名(控訴時28名)で有罪判決を受けて絞首刑7名、終身禁固16名、禁固20年1名、禁固7年1名の判決と刑の執行された話は前に書いた。
靖国神社へA級戦犯が合祀された経緯と昭和天皇参拝の真実を参照。
靖国神社合祀の経緯も先に書いたが、戦犯と分類され処刑された人々の中にはこれ以外にB級戦犯、C級戦犯と起訴された人々も居る。その結果処刑された人々も靖国神社は合祀している。時期的にはA級戦犯よりも早く、1959年であった。
BC級戦犯の裁判の実態は各所に散見されるが、通訳無し、弁護士無し、審査は平均2日程度で、判決が下される。しかも、それぞれの国が行った裁判で公正さを著しく欠くものだった。その数値は
被告数 | 5,606名 |
絞首刑または銃殺刑 | 937名 |
自決及び獄中死 | 131名 |
終身刑 | 385名 |
無期懲役 | 1046名 |
有期懲役 | 3075名 |
事故死及び死因不明 | 32名 |
これだけ多くの日本人が外国(当時の占領地)で処刑されている事実を我々は忘れてはならない。
戦争責任って個人が担うものか
調べていて気になったのは「戦争犯罪人」って考え方そのものがおかしいのではないかってことだ。日本の戦後(また使ってしまった)教育では戦争は犯罪と教えているが、どこの世界に戦争を犯罪としている国際法があるのだろうか。日本の憲法9条では「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と書いてあるが、自衛のための武力行使は自衛権として国際法上認められている。もちろん、先の大戦はこの憲法が無い時代のものだった。現在は戦争は憲法違反だた、当時は国是であった。それに従った者が戦時国際法違反に問われるのでは無く、人道上の事由で裁かれる。特に国是としての戦争であり上官の命令で行った者までを裁くってのは尋常では無い。
同時期、不可侵条約を破って参戦した旧ソ連、市民に対して焼夷弾攻撃や原爆投下を行ったアメリカ。これらは国際法上「人道に関する罪」にならないのか。
しかも戦勝国として裁く側に居る(本来公正であるためには戦争当事者は裁く側に居てはおかしいだろう)。
有史以来の敗戦に動揺していたとは言え、ここで正論を吐く人間が居なかったのだろうか。
当時の風潮で戦勝国には逆らえないって雰囲気だったとして、それにしても戦後60年を経て、東京裁判のやりなおしみたいな動きが無いのは何故だろうか。靖国神社に国の為に亡くなった人を参拝に行くのなら、その人々の名誉回復も進めるべきだろう。現に1953年に国会は全会一致でA級戦犯も含めてすべての戦死者を国に殉じた戦没者として認めている。この決議を受けてのA級戦犯なのだから、合祀するかどうかは靖国神社の問題、参拝するのは日本人として当然。と、中国に言ってやればよい。まさに、内政問題なのだから。
戦争は弱者に犠牲を強いる
BC級戦犯は戦争の犠牲者だろう。靖国神社に合祀するとかしないとかの形式論では無くて、戦争に負けるってことはこうゆうことだと割り切るのでも無くて、戦後処理の中で戦争が終わったにも関わらず犠牲になった人が居る。しかも戦闘で死んだのでは無くて犯罪者と決めつけられ合法的に殺された。なんとも、「戦犯」って呼び名そのものがむなしい。
拡大して考えるとA級戦犯と呼ばれた人々も同様ではないか。戦争責任を押しつけて事足りたとした日本の戦後を象徴するような事象だ。考えてみると日本人は自ら先の大戦を裁いていない。そして平和憲法、平和憲法とお題目を唱えているだけで、戦争状態とは何かを知らないし、戦争が外交の1カードであることを認めない。そんな状況が60年も続いて「平和ボケ」って用語に象徴されるように水と空気と平和はタダで手に入ると信じ続けている。
今回の靖国神社問題を契機に、今一度昭和を振り返って学ぶ必要があるのでは無いか。