別な戦没者慰霊施設? 小泉純一郎参拝用かよ!

靖国神社が駄目なら別な施設
 論理の飛躍と言うのか脳味噌の迷走と言うのか、日韓首脳会談を終えて靖国神社参拝問題が別施設建設へと論点が流れている。何を根拠にその方向に流れていくのかまたく理解できない。戦没者を慰霊する施設を別途作るって歴史観そのものが日本の文化を腐らせていく。
 先の戦争が終わって60年。いまさら亡くなった人々をあっちに移すこっちに移すの話は無いだろう。それ以前に昔の日本には国の宗教として神道があり、各地にある神社が国営であった。その政治統治制度が軍国主義を支えた象徴である事実を見えなくするって姑息な手段に見える。歴史を否定する発言が「新たな慰霊施設の建設」ってことだ。歴史は過去の事実であるが故にリセットしたり無かった事にはできないのだ。
 そもそも中国や韓国から外交カードの1枚として行使された言動にオロオロして首相の靖国神社参拝問題を議論の土俵から棚上げし、小泉純一郎参拝用施設を創るって発想が物事の本質を捻じ曲げ、正面切って議論することを避け、公共事業利権行使でゼネコンの手下化してる政治家が考えそうなことだ。
税金を使って別の施設を創るかどうかを議論するまえに、今回の事態に至った経緯を今一度しっかり土俵に乗せて議論を尽くすべきだろう。そもそも、あと2年で辞める小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題と、60年に渡る日本の戦後の歴史と、どちらが重いのか。
 小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題を理論武装出来なくては日本の一人前の国際社会における外交は無いのだって別な危機感が自民党筋に無いのか。別な施設を作って最初に参拝したあとで、中国あたりから「やっぱり、戦没者を敬うのは先の戦争の美化だ」なんて言われたら、どうするのか。理念無き政治家をヌクヌクと当選し続けさせた国民にも責任があるぞ。

靖国神社参拝問題はあくまで国内問題
 が、それを中国や韓国に向かって言うのは、逆に相手国への内政干渉。こんな議論のイロハからボタンを掛け違えている。これも小泉純一郎首相のお立ち番会見の悪い面が出たのだ。説明責任よりも自分の発言に酔うのだからたちが悪い。しかも深慮遠謀からの発言では無くその場限りのボケとツッコミなのだから政治家としての品位を疑われる。これは国会答弁で散々見てきた小泉純一郎首相の性格的欠陥だ。
 説明責任を果たすってことは、その場を切り抜けるウイットでも無ければ誤魔化しのボケでも無い。それが解らないのはボケてるのかなぁ(苦笑)。
 あくまで国内問題と言っているのは国内世論説得をもって対外的対応を計るって戦略が必要って意味。国内で国民もソッポを向いてる問題を逆に外交のカードに使おうとしても単なる「小泉純一郎の我が侭」でしかない。まして、奇人小泉純一郎は国際外交の場で理解される訳も無い。唯一、国内世論を味方に付けた段階で小泉流が国際社会で通用するのだが、今の小泉人気は奇人をおもしろがるキワモノ文化でしか無い。残念ながら自ら「国内問題」と言ってる小泉純一郎首相が「個人問題」にしてしまっているのが現状だ。
 その意味では別施設建設論を唱える多くの国会議員は「小泉勇退の花道に神社でも作ったろか」って政教分離が不得意な面々に散見される。政治問題を宗教問題に落ち着かせるって逃げ道は政治には無いってことすら解ってない。これは与野党問わずに見られる不勉強、もしくは意図が別な所にあることが露呈する行動だ。

国民はキッチリした説明を待っている
 国民全てが朝日新聞では無い(笑い)。だから、まず、小泉純一郎首相が靖国神社参拝の説明責任を果たすことだ。個人的な感情の露土に終始し「総理大臣が靖国神社を参拝する意味」を述べていない。公人だ私人だでは無い、総理大臣が靖国神社を参拝する意味を自ら語らなければ駄目だ。議論を避けていてはいけない。ただ、2年も出来なかったことがここに来て直ぐできるとも思えないのが。
 再度になるが総理大臣であるが故に靖国神社訪問を自粛する必要は無い。その影響の多寡をもって自粛を呼びかける人間は物事の本質を見極める能力に欠け、相対的な調整能力のみで生きてきた人間だろう。今回このような行動を取っている中曽根康人、河野洋平あたりがこの枠にはまる。
 一方、本日(2005年6月22日)の衆議院予算委員会での民主党の岡田克也代表の質問も的を外したもので、議論で相手を追い込む能力に欠けた時間の無駄であった。岡田克也氏は「戦没者慰霊用の別の施設建立に賛成」の立場であるらしい。明治維新から先の太平洋戦争を経て現在の靖国神社まで、時々で靖国神社に担わせた立場や存在事由も時代と共に変化している。それを戦前の靖国神社信仰が60年も経た現在となんら変わらないと思っているのが中国や韓国の曲解、いや自己に都合の良い歪曲だ。
 日本は国際社会に向けて現在の日本の考える靖国神社の解釈を説明すれは良いのであって、何も現在の靖国神社をリセットする必要は無い。その国民合意は問題意識のある国民(そもそも、若年層を含めて現在の日本と靖国神社については何も教育も情報提供も受けてないから問題意識も生まれない)には共通する。明日から新しい神社を拝んでねってのは通用しない。まして、拝む施設は公共財で宗教とは関係無い、故に政教分離に違反しないって憲法解釈自体に無理があるだろう。
 まずは、イデオロギーを離れて、戦没者慰霊の象徴である(と、現代日本は認知してると思うのだが)靖国神社を外交の局面から切り離すべきだろう。野党の民主党も「戦没者慰霊の別施設建立」なんて政教分離に抵触する事柄を理論武装も無く表明しないことだ。
 説明責任を果たしたものが、国民の支持を得られるマターが靖国神社なのだが、説明責任はそっちのけでダム作りと同じ公共工事感覚で議論されてるのはヤレヤレな奴としか呼びようが無い。

立法府が議論すべきこと
 先に書いたように新慰霊施設問題は高速道路建設と同じように公共事業と利権って旧来の構造そのものの土俵で語られている感をいなめない。ハコモノ作りで問題解決って手法は税金の無駄使いとして様々な局面で弾劾されているのだから。
 民主党も姑息に別施設なんて言う前に勉強してもらいたい。たとえばインドの要人は靖国神社を参拝してる。東条英機はドイツ独立の父として尊敬されている。太平洋戦争がアジアの覇権主義からの解放って断面を(あくまで、1断面だが)持っていた象徴だろう。
 外国の要人が靖国神社を公式に参拝しているいるにも関わらず、国内で総理大臣は駄目って論点の根拠は何処にあるのか。それすら外圧以外の断面で説明できる国会議員は居ない。国民への説明なんて眼中に無いのかもしれない。
 やるならやれば良い。「現職総理大臣の靖国神社参拝を制限する法」なんてのを議員立法で提案してはどうだ>民主党。
 「靖国神社に替わる戦没者慰霊施設建立に関わる時限立法」てのもどうだ。
所詮、旧来の手法が通用しなくなったときに政治家が出来るのは新たな仕組みを新たな法律で支えることだ。加えて議論は政治家の土俵である立法施策で戦わすべきだ。
 郵政民営化のポスターを随意契約で1億5000万円で知り合い企業に発注したなんてスキャンダラスな話題で予算委員会や郵政民営化審議会議で行っているが、正直立法府の仕事の範囲外だろう。
委員会での質問に終始するよりも、代替法律を議員立法で本義会にあげていくのが政治家の責任だろう。

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2005.06.22 Mint