8月が巡り来て終戦記念日特集が繰り返される

J-COMが終戦60周年特集を始めた
 どうも8月って月は落着かない。「終戦記念日」って何故休日にならないのかは置いといて、やはり8月イコール「終戦記念日」ってトラウマがある。別に先の太平洋戦争に出兵したのでは無い(生まれは日本国憲法発布前なので、占領軍統治時代生まれなのだが)が子供の頃の「戦争体験」がトラウマなのかもしれない。
 生まれは北海道の小樽市なのだが、この街にはお祭りが多い。神社の規模が大きいこともあるのだろうが、大きなお祭りだけで5回ほどある。当時はそれぞれのお祭りで小学校は半休になっていた。その最初のお祭りが招魂祭。5月のお祭りだったと記憶している。小樽グラウンドの近くの丘に招魂碑が建っている。これを神社のお祭りの一環と思っていたのだが、中学生の頃に初めて先の太平洋戦争の「招魂」だと解った。
 シーズンの最初のお祭りで招魂碑から花園町まで屋台が並ぶ。その屋台の間にいわゆる「傷痍軍人」の物貰い(放送禁止用語で「乞食」)が立っている。当時から既にヤーサンの資金源とも言われていたのだが、白衣を着て片手が無かったり、片足が無かったりの形相は、それ事態、当時小学校低学年の身としては強烈な「戦争体験」であり、それに対して「戦争はもう終わったんだ」と食ってかかる大人とのバトルは自分が知らない時代の強烈なメッセージで、いったい太平洋戦争って日本人にとって何だったのかってライフワークにならんとする強烈な体験でもあった。(野坂昭如風でこれから書きます。何故か、はまるんだよね、激動の戦争中の書き方としての野坂流)

映画「軍閥」が描く時の指導者象
 順番に話を進めないと解りずらいと思うのだけれど、軍閥って映画は実際の時代を描き切れてないと思う個所が多々ある。今の時代だから言えるので「歴史を今振り返って、当時を批判するのは卑怯だ」との指摘は受け入れるが、東条英樹と昭和天皇の決済の関係が不明確なまま映画は作られている。帝国国策要綱は御前会議で承認されたってプロセスだけに着目しがちだが、御前会議とは何だったのか。米英と戦争をするって決定は本当に昭和天皇がしたのか、それとも、とりまきの暴走だったのか。実は、この歴史検証が日本は出来てない。
だから個人的見解を述べるが、キチガイ東條英樹の暴走てのが先の戦争の根源にあると思う。もっとも個人プレーでは無く帝国陸軍の世界知らずに担がれた御輿って側面もいなめないのだが。
だが、それを支持したのが格好付けのマスコミだった。マスコミ(当時は新聞)が東條英樹を支持していたのだ。だから、いまさら加山雄三にマスコミの良心みたいな役回りやらせても無意味だろう。
 正直言って先のトラウマから続けて研究を重ねると東條英樹の選択は沢山あった。ただ戦争は外交の1カード、本来の窮鼠猫を噛む状態を外交によって覆す一手段としての戦争であり、時期を見て終結に向かうって感覚が東條英樹に無かったのが日本の不幸だった。これも、日本陸軍に無かったって遠回しの表現をしても良いと思うが。
で、加山雄三が演じる新聞記者なのだが、ま、この映画は駄作なのだ。何故この映画を駄作と言うかと言えば、映画全体を貫くポリシーを感じない。戦時内閣を批判したいのなら「事実を国民に伝える」って行動だけがポリシーでは無いだろう。事象をそのまま伝えるってのはジャーナリズムでは無い。旗色鮮明にしてから自らの意見を述べる報道がジャーナリズムだ。大本営発表はレトリック過ぎる、我々は事実を伝えるって姿勢は古い時代のジャーナリズムで、実際は「反戦」くらいの旗を立てないと大本営発表を覆せないのだから。永久的に中立で語れるジャーナリズムは定年退職してから個人で語れてことで、これはこれで楽しみなジャンルだ。

東條英樹の苦悩は負けたから描ける
 サイパン玉砕のシーンがあるが、先に現在の天皇が戦没者慰霊に訪問したサイパンのバンザイ・クリーフのシーンもある。描きかたは残念ながら当時の雰囲気を出していない。アメリカの戦争映像をカラーで撮り続けたモーパックの映像を見ると波打ち際に累々と浮かぶ死体。その死体に向けて身を投げる人々が映っている。それくらい凄かったのだ。ただ、サイパンは多くの軍属が居たからこそのバンザイ・クリーフだと僕は考えているのだが。
 洞窟に逃げ込んだ民間人と兵隊。泣き叫ぶ赤ん坊を自らの手で生き絶えさせた母親のシーンは沖縄戦のガマ洞窟でサイパン戦でも有ったかもしれないが、少し違っているだろう。しかも、無く赤ん坊を絞め殺した母親が絶望の余り絶叫するってのは赤ん坊の泣き声を止める目的と本末転倒だろう。なんで、あんな演出をしたのか誰が考えても演出の不手際だろう。
 そのサイパン陥落を何とか防ぎたいと2個師団の緊急輸送を東條英樹が指示したことになっているが、どうもこの解釈は映画の拡大解釈に思える。
 サイパンを本当に絶対防衛圏と考えたのなら、全力投球をすべきで負けたら講和(敗戦)くらいの判断が必要だ。だが、東條英樹と言うか帝国陸軍はあくまで本土決戦を想定しており、このあとの戦略的には最重要な硫黄島攻防戦でもひたすら本土決戦のシナリオに準じているのだ。
 正直言って、昭和19年からの日本の選択は自滅への道だった。戦争に負けて国がアメリカの占領下、公用語が英語のアメリカの1州になってもおかしくなかった。しかも、その1州を巡って冷戦の時代、現在の南北朝鮮と同様な分裂国家になってもおかしくない。
 それを止めたのは昭和天皇の玉音放送に見る英断と歴史学者は見てるのだろうか。
 僕は、本土決戦前にやることは沢山あろうだろうって歴史認識なのだが、映画「軍閥」では一気に終戦まで走るので、歴史認識が良く解らない。

結局歴史を30年程進めた先の大戦
 僕は先に書いたように戦中派では無い。戦後派なのかもしれないが昭和29年生まれの妹とは決定的に違う占領時代の生まれ(別に、それがなんら人生に影響してないけど)なのだ。
 自分自身決して過激な左翼でも無いし、過激な右翼でも無いと思っているが、やはり学生時代と比べると、当時の感覚からは右翼的になっているのかもしれない。ま、若さって自分の時代の構築を求める故に反体制になるってことかもしれないが。
 60年前を想像してみよう。当時のアジアと現在のアフリカは重複しないだろうか。実は60年も前に日本はアジアで唯一自国で作った戦闘機でアングロサクソンと戦った国なのだ。現在の中国もこの件については技術後進国だ。
 不勉強でアフリカ諸国の情報が勉強できてないのだが、ヨーロッパに近いアフリカ諸国はヨーロッパによって仕切られてる。方やアジアは中国が仕切るのか日本が仕切るのか微妙だが、先の太平洋戦争の恩恵をこうむっているアジアの国々がたくさんある。そもそもベトナムがアメリカ軍に勝利したのは日本の先例があったからではないのか。アジアの各国が植民地から独立国家に向かったのは日本がアジアを侵略か進出か言葉は別にして、自主自立を戦って得るって洗脳したからではないのか。
 当時、昭南と呼ばれたシンガポール、政治体制の遅れを傘にきてアングロサクソンは植民地政策をアジアで展開してた、その目の上のこぶの日本を叩いておけばアングロサクソンの世界制覇が出来ると信じたアメリカや西欧各国に対して日本はアジアを代表して戦ったのだ。多くの戦没者はアジアのための犠牲だったのだ。
 だから、靖国神社参拝でガタガタ言ってるのはおかしい。日本は多大な血を流してアジアって勢力地図を確立したのだ。
 話は戻るが、映画軍閥が描くジャーナリズムは時代の「刺し身のつま」でしか無い。大きなうねりを描いていないて感じだ。

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2005.07.15 Mint