コンサドーレ>柱谷を切った男、田中良明
市役所の役人出身者と思えない快挙
前に批判しているので書きにくいのだが、田中氏は高校の先輩に当たるので甘い判断になるかもしれないが、今回のコンサドーレ札幌の柱谷監督更迭はプロサッカーチームを運営する北海道フットボールクラブの英断と言いたい。それはコンサドーレ札幌が市民球団であるために必要な経営者の判断なのだ。
それを田中良明氏は行った。通常、役所からの天下りみたいな状態で現桂市長からの指名で就任しただけの元助役では出来ない行為だろう。経営者はある場面では孤独に決断を迫られる。それを回避して責任の所在を曖昧にして和を重視するのが旧拓銀(北海道拓殖銀行)に代表される「経営責任無き経営者」である。
企業が公器であるためには、経営者は社会に責任を負う。社内にのみ責任を負う経営者がいかに多いことか。「みずほフィナンシャル」しかり「山一証券」しかり「先の拓銀」しかり、内部の保全のための経営者が結局会社を社会から見放された存在にしてしまったのだ。
その最たるものは役所だろう。自らの組織保全のために組長を選挙で推薦し条件闘争を行い、勝利した後は安泰って現在の役所の職員の姿勢。民主主義の利点である直接民主制を破壊している。社会に組織を晒さず、内に隠った閉鎖的組織によって組織存続のみの邁進する。地方公民そのものが公器で無い。そんな企図がまかり通っている。地方では一番大きな事業体が役場ってパターンも有るわけで、その事業体が閉鎖的で自身の組織の論理でしか動かないとしたら、社会の公器として認められない。そのことを公僕たる公務員は全然解ってない。
その意味で田中良明氏の決断は北海道にとって新たな発想と賞賛に値するだろう。当たり前と言えばそのとうりなのだが、北海道は当たり前が出来ない風土なのだから(ムネオ・ハウス?)正論を賞賛したい。
コンサドーレは札幌のみの財産では無い
コンサドーレ札幌が地域に根づくためには北海道出身の選手を育て、チームを構成する選手も含めて本当の北海道球団になる戦略が必要だ。そのためには「エァ・ドウ」の二の舞になってはいけない。「エァ・ドゥ」が何故経営的に苦戦しているのか、それは支持基盤形成に失敗してるからだ。コンサドーレは支持基盤を失ってはいけない。それが北海道フットボールクラブが気が付くかどうかがキーポイントだろう。
北海道の特性としてコンサドーレが戦う球技場は函館、室蘭と分散している。今後、北海道内の他の地域での開催も増えるだろう。コンサドーレは「どさんこ」の逆読みなのだ、札幌をフランチャイズにしてるが北海道を代表するクラブチームに育たなければならないのだ。
それを社会の公器として守るために経営者は何を決断しなければいけないのか、それを考えると今回の柱谷監督更迭は成績不信以前にサポーターの意志を受けた迅速な対応と言えるだろう。コンサドーレが最後に頼るのはやはりサポーターなんだって姿勢を明確にしたってことだろう。方や「エァ・ドゥ」は最後に頼るのは道庁だって感覚なのだから反面教師なのだ。
地域密着は結局「阪神タイガース化」
今回の柱谷監督の更迭で、勝っても負けてもコンサドーレは北海道民の支持を得続けるだろう。今回の処置はJ2降格を前提にして先手を打ったと思ったら、意外や意外、新しい監督を外国人監督に求め、J1残留を最大目標に設定しているのだ。
確かにJ1とJ2では経営に占める収入の額が違う、そのためにJ2想定体制なのかJ1想定体制なのか経営判断の別れるところだ。そのあたりが経営の課題と株主でもあるサポーターの支持とのバランスの問題だ。ただ、北海道フットボール協会はJ1残留を至上命令として選んだのだろう。
北海道にこだわりのチームが有っても良いだろう。それが活躍するかどうか以前に「こだわりのチーム」なのだ。関西のこだわり「阪神タイガース」と同じく、北海道もコンサドーレにこだわろう。
プロ野球では日本ハムが札幌を2004年からフランチャイズにするそうだが、東京馬鹿へのアンチテーゼとして地方が「こだわりチーム」を持つことは意味があるのだ。
「東京ヴェルディnnnn」なんか見ていると、結局サッカーの文化は「地方発」なのだと感じる。その芽がワールドカップで着目されてる今、まさに「コンサドーレ100年計画」が必要なのだろう。その一歩として今回の柱谷監督更迭を理解したい。
一言、前監督の岡田氏に言っておく
日本代表の監督を狙っているのかワールドカップの解説で各局(NHKだけか)で、ご活躍だが、自分の監督したチームの話しはいっさい無いじゃないか。解説でテレビで講釈たれるのも良いが、自分の実績はどうなんだ。コンサドーレをJ2からJ1に昇格させた功績は認めるが、それはまぐれだったのでは無いのか。エメルソン一人に助けられただけじゃないか。後継者に柱谷を推薦して去って行ったその「目」は節穴だってことを弁明しないのか。
柱谷がメロメロでチームは惨敗を繰り返しJ1最下位。その事態に責任有る発言が有っても良いのではないか。もう「日本代表監督気取り」である。
「岡ちゃん」は「岡ちゃん」なのだ。弱いチームは「和で勝利を目指す」。これはコンサドーレがJ1昇格を得た方法論だ。岡田氏が現ガンバ大阪の吉原を単独専攻させながらチームの不満を焼き肉パーティで説得していた事実は札幌の近郊の家から漏れ聞こえてくる。
岡田氏とトルシエの違いは「チーム統率感」である。トルシエは強いチームは「勝利で和を作る」のだと思っている。岡田元監督は「和で勝利が得られる」と思っている。前者では成功したが後者ではとても成功する資質が無いと思う。既に柱谷と岡田は同列で、北海道で一山当てて中央へって感覚なのだったと北海道民は気が付かなくてはいけない。過去の北海道の歴史が語っているのは「北海道を踏み台にし、自分の利益ために働いた輩達の歴史」なのだ。別に鈴木宗男を例に出すまでも無く、偶像化している「青年よ大志を抱け」のクラーク博士だって、過程としての「ホッカイドウ」でしか無いのだ。
言っておくが、北海道を踏み台にする人間を北海道は許さないってことを勉強しておけ。「石狩平野」を読めば黒田清隆が北海道人からどのように見られているか解るだろう。NHKの朝のドラマの「萌え」が描いたのは北炭が北海道に何をしたかってことだ。石炭を安く掘る、それしか念頭に無い。もっとも、それで潤った地域が「次のビジョン」を考えられなかったって自身の問題点もあるが。
岡田さんよぉ、現在のJ1最下位、柱谷更迭に何か一言無いのか? それを無視してるあんたの態度に、あんたの人間味の薄さを感じるのだがなぁ。