ミッドウェイの教訓を読めてない日本の国民感情

精神論はあえて避けておきたい
 ミッドウェイの敗戦の原因に「油断が有った」って意見があるが、僕は全然違うと思う。脇が甘いのは性格であって時代背景と関係は無い。しいて言えば弱い集団が緊張を維持できなくて油断したってのなら解る。
でも、それが最大公約数では無いだろう。基本的に「油断しやすい奴が油断する」のだ。それは人間の弱さなのかもしれないが、血液型がA型の多い日本社会では、互いに理解しあって、性格的に油断し易い人間に「時代背景だからなぁ」と許してしまう。
基本的に、油断は状況から起こるのでは無くて、性格から発するのだってのが僕の考えだ。それを表意文字である漢字を使う国では「失策」と「油断」を使い分けるのだ。どっちも結果は同じなのだが、プロセスの違いを表明して結果責任を曲げてしまう。それで、多くの「戦記的」なものは同胞に同情的である。そこには解り易い、ある意味互いを認める戦記になっている。基本的に戦記が担う「何故負けたか(勝ったか)」って知識の伝承を目的にしたものは少ない。その意味で「ミッドウエイ」の著者の淵田美津夫氏と奥宮正武氏の著書を読んでもらいたいし、ある意味、何故書いたのかってメッセージが伝わってくる。
 「脇が甘かった」って反省は全然違う。そもそも方針から戦略を経て戦術に至るプロセスにボタンの掛け違いが有ったのだ。

単純に技術理解が無かった
 良く比較されるのが「戦艦巨砲主義による守旧的海軍」ってのが有るが、これはスローガン的であって本質を突いていない。正確な表現をするとすれば「戦艦巨砲制度が航空母艦主導の海戦に意識改革が遅れた」ってことだろう。自らが真珠湾攻撃を筆頭に海戦は互いに戦艦の大砲を打ち合う以前に航空母艦による攻撃で決着するのだと開戦から半年で実証して見せたのだ。
戦艦大和の45センチ砲は先の3ステップで言えば、
1)敵に打たれる前に攻撃を開始したい。
2)アウトレンジ戦法を主体にする。
3)有効射程が長い大砲を戦艦に積む。
って流れだろう。ところが「2)アウトレンジ戦法」は3)の大砲では無くて雷撃機や急降下爆撃機の航空機を用いる戦術で確立していたのだ。先に、自らの役割分担を忘れて戦術が方針を語ってはいけないと述べたが、まさに、2)の戦略を忘れた3)の戦術が戦時の貴重な半年間を無為に過ごしたのだ。
 アマチュア無線を行っている身としては信じられないのが戦艦大和が情報収集(無線傍受)の面で先発空母群と情報交換していない点である。空母は大砲に変わるアウトレンジの武力だが、搭載している航空機の攻撃能力に比べて空母そのものは敵の攻撃に脆弱である。装甲が弱いって面に加えて航空機の離発着のための平坦な滑走甲板。離発着の邪魔にならないように極めて簡素な艦橋。電子機器が真空管の当時の技術では無線傍受の要は受信機では無くてアンテナに負うところが大きい。戦艦大和の艦橋に張られたアンテナは空母赤城のアンテナと比べて数倍の受信能力を発揮できる。高く張られたアンテナほど良く聞こえ(受信)、遠くまで電波を飛ばせるってのは電波を知る者の常識である。
 航空母艦だから絶大な攻撃力が有るのだから空母中心の編成を行い旗艦「赤城」を中心に最前線で活躍させるって考えは空母の脆弱性を知らない発想だ。脆弱性は2面ある。一つは文字どおり攻撃に弱いってことと、もうひとつは情報収集能力が弱いってこと。当時の情報収集は無線による敵情傍受だったことを考えると敵前に向かう艦隊の情報収集能力はあまりにも貧弱であった。そもそも、戦艦大和は当時既に、今のイージス艦のように情報収集旗艦としての役割を果たさなければならなかったのだ。
 巨艦巨砲であれ、航空母艦であれ、無線傍受と索敵による情報収集こそが戦機を助けるのだって情報収集に対する姿勢が欠如していたのだ。孫氏の兵法そのものが無視されていた。それは「油断」では無い。戦争は情報戦なのだと気が付かない発想の柔軟性欠如と無線傍受に代表される技術理解の欠如なのだ。
 で、結果として主力空母4隻を失って、海軍は行動不可能になってしまったのだ。

正直言って「軍人」って人達は
 「山本五十六は大将として最低であった」てのは前に書いた記憶がある。戦いに勝った実績が無い大将を偉大だなんて言う軍隊はどこかネジが外れているのだ。軍隊の武力行使は政治・外交のカードの1枚だ、しかも、行使したら勝利するってエースカードで無くてはならない。もしかして負けるかもしれないって武力行使カードを懐に外交は出来ないのだ。負ける軍隊は外交カードに組み込めないのだ。
 一般的な話しになるが、軍人に属する特別国家公務員やその他の公務員に共通するのは新しい事を企画するアイデア出しが非常に不得意なことだ。自衛隊の人々とお付き合いが有った時期に感じたのは、この人達は命令があれば全力で命令を遂行するが、命令を考える力は無いってことだ。例えば「今年の基地祭はどのようにしますか」なんて会議に出席願っても、最初の挨拶は「去年は北部方面隊から出たが今年は基地司令にしたい」とか、去年奥に設置したのだから今年は自衛隊直轄の展示は入り口近くにして欲しいって意見は出る。
 では、今年の基地祭のスローガンは何にしましょう、なんて場面では口を噤んでしまう。
 考えてみると真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦へと歩む半年、政治は何をしていたのだろう。先の考え方から言うと1)、2)を達成して、単に補填的武力行使がミッドウェイだったのだろうか。陸軍のインパール作戦と同様に国としての方針に沿った作戦だったのだろうか。意外と軍人って範疇の人は自ら考えて行動する体質に無いのではないか、それが、ミッドウェイの教訓の一部ではないかと思う。
少なくとも政治的にはミッドウェイ占領ってのは何の外交カードにもならないのだ、逆に相手に取引のカードを与えてしまうのだ。ミッドウェイ占領の軍隊を破壊するって外交カードをアメリカに与えてしまうのだから。
 太平洋戦争の4年間、政治は何もしてこなかった。それも軍部が恐くて。そんな政治家ばかりだから戦後多くの官僚が政治家になり、で、その元官僚達が作った選挙至上主義がますます日本の政治を崩壊させたのだ。
 田中角栄が斬新なのは、歴代の官僚出身総理大臣に国民はNoだったから。終戦直後の官僚が政治家になる時代を経て、官僚が政治家をコントロールする時代になりつつある。そして、誰も責任とらない「ミッドウェイ的なもの」は繰り返される。
僕にとって「ミッドウェイ海戦」は日本人のトラウマとして、表だっては語られないが内心に残像を残す「日本人的なもの」なのだと思う。この海戦で亡くなられた多くの方に我々は「ミッドウェイ的なもの」を払拭して行かねばならないとと思う。

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2003.03.17 Mint