会社は誰のもの、結論は出ている
上場企業は乗っ取られる
企業は誰のものかの議論する前に資本本位経済社会の中で企業とはどのような機能なのかおさらいしておく必要がある。株式会社制度は極論すれば起業時の方式であって、運営時の方式は株式会社形態である必要は無い。そのいため非上場の大企業は日本国内にも結構ある。ましてや、資金調達を必要としないにも関わらず店頭公開や上場を目指す起業が後を絶たないが、株式会社の上場の目的を理解していない暴挙としか思えない。
証券会社の業務拡大に乗せられて過去、多くの企業が上場を果たしてきたが、それは、他社もやっているから上場しないと信用が保てない的な、本末転倒の選択肢だったのではないだろうか。そして今、企業は誰のものと悩んでしまう。
企業は誰のものか分からないで企業を経営している者を経営者と呼べるのか、今頃セミナーに駆け込んで情報収集してるなんて経営者になる前に自分なりの見識は無かったらしい。まったく経営者としての素養に欠けるのではないだろうか。
たとえば会社の経営の中で大きいのは決算時の利益処分である。もちろん株主議決事項なので経営者が勝手に決めることはできないが、多くの企業では内部留保を選択する。これが積もり積もって発行株式額を超えた場合どうなるか。
株式が公開されていれば株式を過半数取得し経営権を金で買って内部留保を全て株主配当にして会社を解散しても株を取得した資金を上回るインカムを得ることができる。そんな事件が東京スタイル乗っ取り事件であった。
市場に出ている株式総額と自社が保有する資産価値を天秤にかけて企業経営を行わないと「会社は誰のもの」と禅問答をする前に、制度的には会社は議決権を持つ株主の私物って現実が覆い被さってくるのだ。
こんかいのニッポン放送買収劇もニッポン放送の持っているフジテレビの株式の価値がニッポン放送の総株式額を上回り、ニッポン放送の経営権を手に入れればフジテレビの株を市場調達するよりは廉価でフジテレビの経営権も手に入れることができる公開株式と自社資産のネジレを狙われたものだった。
資金調達方法のひとつが株式方式
事業をスタートするには事務所の開設とか商品の仕入とか初期費用が必要になる。投入した資金の回収までに時間差がある。その期間、会社を食いつなぐのは資本金しか無い。ま、正確には長期借入金でまかなう方法もあるが、銀行は担保のある場合しか貸さないので起業当初の利用は不可能である。
この時期を乗り切るために出資を仰ぎ資本金を積み上げ、この資本金を食いながら会社を軌道に乗せて経理上のバランスシートを右から左に左から右に資金が流動して会社が立ち上がっていく。
通常状態になった段階で資本金はバランスシートに右側の重石でしか無く、実際はキャッシュフローが経営指標の大きなウエイトを占める。製造業などで新たな設備投資を必要とする場合、株式の第三者割り当て等で市場から資金を調達し設備投資にあてたりする。その意味で資本(株式)は借入金と大差なく、どちらかと言えば広く投資を集める意味で市場にて流通させて大きな資金調達手段にすることができる。
調達した資金は株主配当を払い続ける必要があるが、担保を必要とする金融機関からの調達に比べて廉価で大量の資金調達が可能になる。
と、ここまで読むと分かるが株式公開が必要な企業は産業革命に代表される工場部門なことが分かると思う。21世紀の情報化社会において、産業革命時に考えられた株式流通の仕組みが歪みを持っているのが昨今のニッポン放送とライブドアとフジテレビの三つどもえの株所得合戦であり、究極、「会社は誰のもの」なんて自明の命題を問い直す結果となった。
会社は誰のもの、株主のもの
これは、株式会社の仕組みから揺るがない。株式会社は株式で成り立っているので、会社の所有者は株式(株券)の所有者と同じである。ただし、複数人が株券を保持している場合は、その量が少ないと所有権もゼロに近い面はある。それが、いわゆる単独で議決権を持たない一般投資家が保有する株券になる。一部業種によっては外国人所有者も議決権を持たない場合がある。
つまり、会社の所有者は株主であり、会社の経営者は株主から経営を預託されたオペレータであるってのは制度運営上の揺るがない事実である。ワンマン社長であれオーナー社長であれ、株主から預託された社長なのだ。
ここで重要なのは、その社長に預託した株主は誰かってことになる。まさにオーナー社長ってのは株主であり社長でもあり、株主の立場である自分から社長の立場である自分に経営を預託した状態を指す。
あくまで、株主である自分が会社の所有者として前面にでるのであって、社長としての自分は株主である自分の傀儡政権(と、まで表現するのはどうかと思うが、実態はこれに近い)なのだ。
一生懸命働いている社長が株主の傀儡政権だなんて言い過ぎでは無いかとのご指摘を受けるかも知れないが、実は社長は株主に逆らえない。株主は社長が逆らえば馘首できる権利を有してるのだから。だから、先の東京スタイル事件のように株主から会社を解散して会社の保有する資産を全て売却して株主に分配せよって手法も成り立つのだ。
会社は誰のものに、したいの
で、最初に述べた、結論は見えているに繋がるのだ。会社は株主のもの、が揺るがない真実なのだから、会社の経営者は「会社は誰のもの」なんて知識を模索する時間は無駄で、会社は株主のものと受け止めなければならない。
そこから戦略がはじまる。
では、「会社は誰のもの=株主のもの」ならば、誰を株主にしたら良いかを経営課題として考える必要がある。「会社は誰のもの」なんて悩んでいる時間は無いのだ。
逆な言い方をすれば、会社は株主のものだが株主は経営者が選ぶこと(正確には株主総会の承認が必要な定款が多いが)ができるとすれば、株主選びの結果が「会社は誰のもの」の結論でもある。
一般市場からの資金調達を目的とした株式会社ならば、社債や増資で資金調達を行う道もあり株はその道具として有用だ。ところが、特に資金調達(運転資金はこの資金調達に含めないことにする)を必要としないIT系の会社の場合、上場した株式は誰に持って貰うのが良いのだろうか。実は人材こそが財産の情報産業にとって工場のような設備も無ければ担保になる土地も無い場合が多い。そのために株式を上場して資金調達しても旧来のように土地や設備を購入する必要も無い。ま、創業者利益で終わる場合も多々ある。
実際には一定数の自由流通株式が無いと上場出来ないのだが、それでも大株主を誰にするかで「企業は誰のもの」の結論が出る。例えば現在のライブドアはホリエモンのものでは無く、リーマン・ブラザースがライブドアのオーナ状態にある。「ライブドアは誰のもの」と問われれば「リーマン・ブラウザースのもの」ってのが正解だろう。
その意味で株を持つ人(ここが大切で、企業間の持ち合いは株式会社の基本趣旨に反する。あくまで意志を持った人が所有すべきだろう)を選ぶ会社経営が株主名簿を見て「ああ、この会社はXXのものなんだ」と分かるのである。基本である。
この基本を忘れて」「会社は誰のもの」に右往左往するのはちとおかしいのではないか。