コンプライアンスが必要な社会に何故なった
コンプライアンスの適語が無い
極力日本語を使おうってんで、コンセンサスとかスキームとかを役所で使わないようにしているらしいが、コンプライアンスだけは使っても良いらしい。「遵守規定」が用意されている日本語だが、必ずしも遵守する対象が決められている概念ではないので日本語化するのに適語が無いのが現状だろう。
コンプライアンス経営なんて造語があるが、法令遵守にとどまらず、商道徳遵守、社会倫理遵守まで含まれる。別な表現をすれば「社会を騒がせるようなことはしない経営」ってことで、さしずめ、ホリエモンや三木谷楽天会長兼社長なんかはコンプライアンス経営をしていないことになる。
ま「世間を騒がせる」ってのは日本「的な」表現をしたが、日本「的な」表現には「他人様に後ろ指さされる」とか「お天道様に顔向けが出来ない」とか古来の農耕民族独特の集団社会の掟みたいな道徳文化があって、意識するとかしないとかの問題以前に「暗黙のコンプライアンス」が社会の掟であった。
二宮尊徳に代表されるように農耕民族の最高のコンプライアンス生活は「清貧」って言葉に代表されるように貧しくても人に後ろ指さされない生活なのだろう。これは時の幕府の政策誘導とは別なところから来ている農耕社会の村文化なのだろう。
昨今のカネボウの粉飾決算に見られるように商道徳に反する行為を外国からの用語を持って来てコンプライアンス欠如なんて言うのはいかがなものか。
実は前に書いたことがあるが狩猟民族の西欧諸国ではコンプライアンスの最も進んだものがスポーツで道徳では無くて規則(規定)で明文化し、同じ土俵を形成し、そこで競争しようとしている。その文化土壌を指して初代Jリーグの川渕チェアマンは「日本にスポーツを根付かせたい。今の日本のスポーツはみんな体育だ」と述べた。
まさに、明文化されたコンプライアンスが世界標準だが、日本もそれを必要とする社会になっているってことは旧来の日本文化が壊れているってことだろうか。
都市化が暗黙のコンプライアンスを壊したか?
都市への人口集中で農村にあった暗黙のコンプライアンンスが壊れたのか。時代を明治維新頃にまで戻して考えて見よう。日本が近代工業国家を目指してスタートラインについた時代だ。
靖国神社を持ち出すまでも無く、日本は先の戦争で負けるまで神国不滅の精神で全国民が表現は悪いが一丸となって富国強兵そして領土拡大(市場拡大)に戦争も辞さずって動きをしていた。その是非を論じるまえに、その時代背景を考え見ると興味深い事実が浮かび上がってくる。
明治政府の「富国強兵」の国是を支えたものは実は義務教育制度、当時の尋常小学校の普及だったのだ。
1872年(明治5年)に学制がひかれ全国に50,000校の小学校開設を目指す。1886年(明治19年)には学校令が公布され、このまま戦前の教育体系が続くことになる。1907年(明治40年)には尋常小学校は6年間の義務教育となる。
このような教育の布石を行っておいて、富国強兵の国づくりを天皇中心に行う国是に従うよう国民に教育したのだ。今でも皇居のことを宮城と呼ぶ世代がこの尋常小学校世代である。
で、この時代にも都市への人口流入はあった。家内工業的生産で女工と呼ばれる人々も地方の中核都市へ集まってきた。でも、コンプライアンスを叫ぶほどの道徳の崩壊は無かった。
話は全然関係無い方向に飛ぶが、韓流ドラマを見て安心できるのは決してベッドシーンが無い(ま、四月の雪にはあるが)ことだ。どうころんでも恋愛がプラトニックなのだ。これが日本のドラマだと、やれ誰と誰は寝たとか、誰が妊娠したとか、なんと表現したら良いのか野生の王国の動物の交尾を見ているようなドラマに唖然とする。
話が飛び過ぎた。
いわゆる戦後の都市化もすさまじい
昭和30年代に入って池田内閣の所得倍増計画によって日本の人口の都市集中はいわゆる「太平洋ベルト地帯」の工業地帯を中心に増大した。中学卒業と同時に夜行列車に乗って上野駅や東京駅で東京への第一歩を記した世代が続出した時代だ。
この時代でもテレビよりも映画が全盛だったが、石原慎太郎の「太陽の季節」程度だろう。ま、男女の仲の話に限らないが、社会も病んではいなかったと思う。自己の保身のために他人を傷つける行為は糾弾されたし、テレビでも次郎物語のように「清貧」がもてはやされていた。
その時代の最後を飾ったのが小林綾子、田中裕子、音羽信子によって演じられた「おしん」だろう。じつはあの頃にすでに日本的暗黙のコンプライアンスは壊れていたのかもしれない。だから、レトロで「おしん」がブームになったような気がする。
で、本題だがどうも戦後教育の欠陥が西欧的な明文化されたコンプライアンスを日本に持ち込まなければならない風土を作ったのではないかと考えている(てまぁ、数行で結論を書いてしまっていいものか迷うが)
教育の荒廃は今に始まったことでは無いが、最近、医療関係者からショッキングな話を聞いた。いわゆる認知症の患者の職業を調べると現役時代に学校の先生が多いって話。まだ、学会発表段階ではないが調べてみると特に数学関係の先生が目立つって話だ。完全に非公式な話なのだが、なんか納得できる面がある。
新しいことを調べて教える学科と違い、数学は新しい発見を教育の現場に取り入れる機会も少なく毎日が、毎年が同じ事の繰り返しで脳を使う機会も少ないからかなぁ(とまぁ、独断と偏見)。それにしても、学校教師が認知症になりやすいって統計が世に出てきて認知(笑い)されたら大変なことだ。教育の現場が認知症養成の場と化してるってことは、そので学ぶ子供たちにはたまったものでは無い。
実は戦後教育の現場は共産主義、社会主義思想の普及の場と化し、これに文部科学省(当時の文部省)が絡んで生徒無視のイデオロギー闘争だった時期がある。僕も反対闘争を行っている北教組のビラ配りを抜けて教室で学力テスト(しかも、休日登校)を受けさせられたこともある。
そんなイデオロギー闘争の場が30年を経て、認知症養成の場とは。
教育を放任しては国家は成り立たない
教育問題はいつも議論の対象になるが結論が出ない。文部科学省もフラフラ揺れ動いて国家感の無い義務教育に無駄に国民の税金を投入してる。そして、結局、コンプライアンスを叫ばなければならない社会を作ってしまった。
このA級戦犯は誰だ! これも国会議員の不作為に起因してると考える。何故なら文部科学省関連の利権は金に結びつかず、常に次回の選挙ばかり考えてる議院には教育なんてどうでも良いのだ。だから、放置される。そして、荒廃の教育の現場で育った官僚に蹂躙される。高級官僚は教育の現場でも常にエリートで教わるより自ら学んできた経験の持ち主だ。当然、落ちこぼれなんか居ない。
教師なんか不在でも自分で勉学の場を切り開く力があったからこその今の官僚の地位だ。教育は現場主義でなければならない。先の認知症の問題(が、真実かどうか知らないが)も現場主義に立脚していないからだ。毎年毎年1年生が入ってくるが、どれも個性を持った人間で、毎回違う。これが教育の現場の特徴だ。
「行く川の流れは絶えずして、決してもとの水にあらず」「人を見て法を説け」それが教育の現場主義だ。それが崩壊して何も伝えてない、もしくは努力してるんだろうが何も伝わってない、そんな非効率な教育を日本は連綿と続けてきた。そして、その中で育った国民がコンプライアンスを諸外国から叫ばれるような国民になってしまった。
昔に戻せなんて言うつもりは無い。しかし、温故知新。60年も経ったのだから、今一度あれだけ多額の税金を納入した日本の義務教育の成果とは何だったのかからスタートして教育の再構築(リストラクチャリング)を考えないと手遅れになるのでは。