Wiiが拓く新しいゲームの世界

新コントローラが新世界を
Wiiに付属する新感覚のコントローラ。家庭内にあるリモコンと比較すると、必要なのかどうか疑問に思う扇風機とか空気清浄機のリモコンみたいな感じだ。
ゴロンとしていて「置き場所に困るなぁ」なんて直感的に感じた人も居るかもしれない。理工系の素養のある人なら「出来そこないの電池ケース」に見えるかもしれない。
答えは少し後にして(おいおい!)我が家の家庭用ゲームの歴史を話をしておこうと思う。身につまされる方も多いと思うので。
実は我が家はファミコン家庭で、初代のファミコンのドンキーコングのカセット購入からゲーム黎明期を迎える。その前にビデオゲームの骨董品と言われるテーブルテニスや任天堂のゲームウオッチなんかも有ったが、あくまでおもちゃで家庭の文化まで到達することは無かった。
ファミコンが家庭にと言うか居間のテレビを占有しはじめたのは子供が小学生になる前だったと思う。
やがて、ドラゴンクエストに出会い、電話の横のメモ用紙はセーブした「もはごれ やまやし それおに たのいか」みたいな意味不明の文字の羅列に使われる異常な世界に入っていく。
実は私も子供と交代でドラクエ6、ファイナルファンタジー(FF)8くらいまでは居間のテレビを占有し、妻の苦言を背中に受けながらも「早く寝ればいいのに」なんて思いながら週末は徹夜状態でロールプレイングを楽しんだ。
妻からの提案で当時始まったばかりの、いわゆるアウトレットモールで中古のテレビを購入して、我々ゲーマ(娘と私です)は居間のテレビを使わなくても、各自の部屋で冷たい視線を浴びることもなく、ゲーム三昧の日々をむかえたのである。
で、楽しくない。自由とはこれほど無味乾燥な世界なのか。十分な時間が許されるロールプレイングゲームって、ゲームをクリヤーして向かいの洞窟で終わり無い戦いをエスタークとするほど味気ないものだった。
加えて、自分の部屋でゲームをする頃に自動車レースものでは最高峰の評判の高いグランツーリスモを入手した。車の操作方法にマニュアル車とオートマ車があるのだが、正直マニュアル車を操作するには片手に指が8本は必要と言われる航空自衛隊のF15戦闘機のウェポンシステム並みの技術が要求される。
自家用車は軽自動車なのだが、断固マニュアル車派で最近三菱自動車のEKワゴンに買い換えたのだが、これもEKワゴンにマニュアル車タイプが出たので買い換えた。同じ三菱のiはマニュアル車が出てないのでパスしたのだ。その私がグランツーリスモのマニュアル車には手も足も出ない。それはコントローラの限界なのだろう。ゲームがリアリティを目指す割りに操作する人間はオートマ車で参加している。このギャップを感じた。

で、我が家にゲーム氷河期が訪れる。

フリーマーケットも含めて古き良き時代のゲーム機とソフトを集めだす。我が家ではファミリーコンピュータ(ファミコン)、スーパーファミリーコンピュター(スーパーファミコン)に加えて、中古だが、セガサターンも現役で活躍してる。さすがにナショナルの3DOは数年前にMS/DOSパソコンと一緒に産廃処分したが。
で、我が家では回帰はしたが最新のゲーム機はプレステーション(PS)でとまっている。ニンテンドウ64もPS2も我が家には無い。必要を感じなかったのと、複雑なコントローラ仕様でマニアックになるゲームに何故か魅力を感じなかった。
最初のドンキーコングで落ちてくる樽を飛び越えるボタン操作をマスターした感動、単純なキー操作で画面のキャラを動かせるのが複雑になり過ぎたので最新は敬遠していた。

で、長い前振りは終わり(おいおい!)

Wiiのコントローラは何にでもなるセンサーだ。いやボタンの少なさから解るように単にセンサーでしか無い。これを何に見立てるかはゲーム製作者とゲーム利用者に委ねられている。
我々昭和の時代の人間は「忍者部隊月光」なんてのを見て缶の蓋を金切り鋏で切って手裏剣を作ったり、木の切れ端に十字に板を打ち付けて「忍者刀」なんか作って遊んだ。
ナショナル・キッドの光線銃は松下電気下で制作されたピストル型の懐中電灯だった。今考えると、なんであんな物を光線銃と呼んでいたのだろう。
想像力がリアリティを凌駕した時代。
道端で拾った棒が、あるときは隠密剣士の刀でありあるときは水戸黄門の杖、そして、また、あるときはスターウォーズのサーベル(って、当時は無かったが)。
この三次元加速器を内蔵してる小さなコントローラは道端に落ちている棒切れ。だから、無限の世界を提供できる。
Wiiスポーツではテニスではラケットであり、ボーリングでは球であり、野球ではバットであり、ボクシングではグローブである。そうそう、ゴルフでもクラブになっている。
押し付けられるイメージでは無く、自分が想像する道具になるのが、このコントローラだろう。
リアリティをヴァーチャルな世界で極めるのが最高のゲームでは無くて、アナログを極めるデジタル技術がWiiの魅力なのだろう。
Wiiは沈滞するゲーム業界のマーケットを深くするのでは無く、新しいマーケット形成に挑戦した機器としてゲームの歴史で語られる存在になるだろう。
もう一度、このWiiのコントローラを見て欲しい。実はこの記事を書こうと思ったのはある古い映画のオープニングとこのコントローラが重なったのだ。

映画「2001年宇宙の旅」。

岩穴に生活し、豹の恐怖に怯えながら朝を迎えた猿たち。起きてみると正体不明のモノリスが住居の前に建っている。その啓示を受けて動物の骨を使って今まで弱く逃げ回っていた者が力を得て進化していく。その猿の一人(一匹?)が白い動物の骨を大空に放り投げると「美しく青きドナウ」の曲とともに宇宙船になる。あのオープニングである。
まさに、あの映画のオープニングのように、このコントロラーを放り上げた先には何があるのだろうかとコントローラを見ながら感じた(考えたでは無く)。

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