納税者の感情を優先したオバマ政治
雇用契約は民間の契約
契約社会によって社会秩序を保っている多民族国家のアメリカで、民間の社員との雇用契約をアメリカ政府が反故にしようとの動きが起きるのは珍しい。1920年代に禁酒法を制定したアメリカの理性では無く感情に立脚した政治の流れの片鱗とも感じられるが、契約社会の建前を崩してはアメリカ社会の特徴が失われアメリカの活力も失われるって理性は何処に行ってしまったのだろうか。正直言って非常に日本人的な世論の動向に、逆に新しいアメリカを感じるのだが。
そもそも民間の契約が不履行になった場合は裁判で決着って文化が主流のアメリカでオバマ政権が先頭に立ち「ボーナスを返上しろ」ってのは不思議な話で国民がそれを後押しするってのは共和党政権と民主党政権の大きな違いだけでは済まされないアメリカ国民の文化に変化が生じ、それがオバマ大統領と共に民主党的になったのかもしれない。
大きな政府、小さな政府にスローガンが転化されてしまうが、基本的に共和党のネオコン主体の政策は自由原理主義経済を目指しており政府の(国家の)市場への介入は極力行わない。市場のことは市場に任せる政策であった。その結果が「博打経済」に進んでも、そしてその実態が明白になっても共和党政府は市場に介入しなかった。唯一、行き詰まった段階で税金による救済を始めただけであった。
ボロボロになったアメリカ経済を立て直すために経済政策中心にした船出を余儀なくされたオバマ政権は税金の投入ってシビアな問題を背負って納税者である国民感情に配慮せざるを得なくなった。その矢先に160億円にもおよぶAIGの幹部へのボーナス支給の表面化であった。
「金返せぇ!」の国民の声に直接的に変換せよと述べるのはちと行き過ぎだろうが、そう演説しなくては国民感情を抑えられないアメリカの新しい世論に着目したい。
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契約には法律で対抗
どうも日本的な自主返納要求みたいな流れになるのが不思議でしょうがない。法律や契約に明文化されていない個々人の判断に委ねられるのは旧来のアメリカ社会の掟に反する行為なのだから。
その意味で「政府の資金投入対象になった企業のボーナスは100%課税とする」って法律を作ろうって動きはアメリカ的だ。民間企業は好きなだけ雇用契約に沿ってボーナスを出せば良い。しかし、それは税制によって100%国庫へ返納されるんだよって仕組み作りだ。民間の契約を反故にするもので無いし、アメリカ的な法治の精神が前面に出ている。
こと富の再分配に関しては律令国家は大きな政府(本来の意味を若干逸脱する表現だが)であらねばならない。公的な行いは国民の総意を持って預託された立法府の立法の権利を保障するし、立法の多くは律令(税金)に関する運営制度に反映される。何故国家は税金を集めるかの説得力ある論理は富の再配分にあるのだから。
拙著「税金はなんのために徴収されるのか」参照。
税金は公金であり国民に広く平等に使われなくてはならない。それが民間企業の個人のボーナスに化けるのは律令国家の根本にかかわる。公共事業の分け前を政治家が政治献金として受け取っているのと大差ないのだ。
その意味で今回のアメリカ議会(立法府)の対応はオバマ政権(行政府)の感情的な発言をフォローする画期的な方針だ。立法府と行政府がそれぞれの役割を認識し最善の方策を模索する結果、100%課税方式が下院、上院、そして行政府を兼ねる大統領の署名で実行される時、さすがアメリカは民主主義国家だと受け止められるだろう。若干、社会主義的全体主義にも見えるが、これはブッシュ政権の揺り戻しの範疇に収まるだろう。
日本が救ったリーマン・ブラザーズ
話は逸れるが、東京都の副知事だある猪瀬直樹氏が
フランスの行革担当大臣から生の声を聞くでおもしろい話を照会している。もちろん歴史のIfの話なので真に受けてはいけないのだが。
日ロ(パリーグの日本ハムvsロッテの試合では無い。日露)戦争の当時に戦費を必要とした両国は戦時国債を発行した。当時のロシアの戦時国債は引く手あまただったが日本の戦時国債は評価も低く売れ残る状態だった。
この時に日本の戦時国債を一手に引き受けたのがリーマン・ブラザーズだった。もしあの時に(歴史のIf)日本がロシアに負けていれば、今回の世界恐慌のトリガーになったリーマン・ショックは起こらなかった(リーマン・ブラザーズは既に倒産していたので)って逸話。
ま、歴史のIfと言うか物事は個々の事象の積み上げだって歴史のおもしろさだろう。
結局、AIGも原因を作った張本人としてアメリカ国民に説明する責任があるだろう。その様子をアメリカ議会では「日本の企業の代表者のように頭を下げるか辞職するか自殺しろ」って過激な発言で顰蹙を買ったりする。
しかし、歴史のIfなのだが、リーマン・ブラザーズやAIGの事件が無ければ共和党も安泰でアメリカ初の黒人系大統領(黒人大統領では無い)オバマ政権の成立も無かった訳で、評価は歴史が下すとして、アメリカ人的では無い感情論もアメリカ社会の揺り戻しとして好感を持てるのかもしれない。
自主的返納に応じるのは何故
複数のAIGの幹部がボーナスを返上済みになっている。契約に沿った行動に反して自主返納したのは何故か。非常に微妙なのだが「世論に屈した」と同じように「テロに屈した」とも言えるのではないだろうか。
モラルに起因するか脅迫に起因するかは紙一重で個人への圧力(生命への恐怖)として働くのは決して望ましいことでは無い。現に議会で「ボーナスを受け取った幹部社員の名簿を公開せよ」ってめちゃくちゃな要求がなされているが、会社側は「生命が危険に晒される」と拒絶している。
考えてみると僅か200年前の西部開拓時代は法律が及ばない地域での私刑が常識だった国アメリカなのだから、それに近い圧力を自主返納した幹部職員は感じたのかも知れない。これも社会正義の観点からは好ましくない現象だ。
法律で100%課税するのが民主的で合理的で経済的な法治国家の選択肢として落ち着くだろう。