政権交代とは何かを一番知らない民主党
昨年夏に政権交代が起きたが大政奉還と明治維新のようなドラスティックな変化は無かった。自民党の不人気に乗じた民主党だったが、いざ政権を取っても日本の屋台骨が替わるほどのインパクトを出し得なかった。
その大きな要因は参議院選挙を直近に控えて、選挙中心の政治に邁進したのが要因だ。先に書いた「
2010年の参議院選挙が最終決戦の場」にあるように、政権交代にも係わらず1年弱で再度ひっくり返ることを恐れて政治が選挙対策にばかり目配りし、本来の国家観、政治主導の政策立案等に意識が行っていないからだ。
選挙に向けての政策立案を行い、その是非について国民の審判をあおぐにはあまりにも参議院選挙は近くにあり過ぎた。そこで、小沢一郎氏を中心に選挙管理体制を構築した。これが国民の求めた政権交代の現実であり、国民は大いに失望した。これでは自民党と何も替わらない。しかも、民主党の中核は実質自民党の田中派が占めている。政権交代では無くて派閥交代でしか無い。
ここに来て、政党とは何かが強く求められる。
内閣、衆議院、参議院は憲法にも明記されているが、政党は日本の民主主義の仕組みとして憲法に明記されたものでは無い。派閥も同様である。諸外国の文化では政党は文化を象徴する存在で、国家の基盤を何処に置くかで大きく意見を異にする。時にはイデオロギーだけでは無く、背景に宗教感が控えていたり民族を背負っていたりする。
おおむね単一民族・単一文化の日本では諸外国と同等な政党制度の存在は難しいが、では民主党と自民党は何が違うのかは明確にする必要がある。政権交代でまず民主党がやらねばならなかった事がここにある。実際には実力不足と勉強不足から自民党の日替わり定食的でしか無かった。
政治の仕組みは相変わらずで、とても明治維新のようなドラスティックな変化は起きえなかった。それ故に、坂本龍馬ブームであり、新党ブームに繋がった行く。
政党は政策基盤を持ち議員は構成員で
政治家と選挙を分離する必要がある。選挙で当選を重ねた「政治屋」を排除する。特に参議院においては解散が無いのだから任期は1期とする。
地方議会中心の地域主権(言葉だけ捕らえれば「主権」が地方に有るのは連邦国家ってことだが)を実現するには多選で中央に集中する国政を外交と防衛を中心とした立法府として国会議員の数を減らし完全人口比の代議員制度とする。
衆議院は多選を禁止し、年齢制限を設ける。これも国民の年齢構成比率で枠を調整する(比例ブロックでは無く、世代ブロック制を採用する)。
代議士の入れ替わりが激しくなるが、これをまとめるのが政党の機能となる。政党は政策集団で選挙対策は行わない。もちろん、政党比例ブロック制度も廃止する。
かつての自民党の党是は自主憲法制定であった。しかし結党の精神はすっかり忘れられて中道保守政党として運営されて来た。つまり、政党の機能が選挙機能になってしまい、本来政党が国民に訴えかけるものを利権に変化させてしまった。当然立法府にも係わらず行政府の利権を取り合うことになった。
残念ならが民主党は「目指すもの」が明確では無い。かつての自民党結党時のような大きな「この国をどうする」が無い。(もっとも、自民党もそれを実施は出来なかったのだが)。
選挙制度の改革によって2大政党制は必須である。であれば、政治家個々は専門分野を持つエキスパートで、政党がゼネラリストとして政策を取りまとめ国民に国政の行く末をアピールしなければならない。
菅直人総理が一番やらなければならないのは小沢一郎氏への「排除の論理」では無く、新しい日本の政治の仕組みを作り国民にアピールすることだ。その結果、民主党の党是と自民党の党是が同じになってしまうのなら、大合併を行えば良い。
何が違うのか、それを国民は知りたがっている。