コップの中の嵐を国政に持ち込んだ民主党

どっちも総理の器では無い
 小沢一郎氏が民主党の代表選挙に立候補するらしい。何を今さらの感がぬぐえない。そもそも、反小沢グループに民主党を牛耳られて急速に求心力を失う小沢一郎氏が窮鼠猫を噛む勢いで立候補するのだろう。ところが政権交代した今では民主党の代表イコール総理大臣な訳で、結局最後まで数の論理で押し切って小沢一郎氏が総理大臣になっても何も日本に良いことはない。
 もっとも現在の総理大臣である菅直人氏も代表選挙にばかり関心を持って国政をないがしろにしているのでこれまた総理大臣を続けることは日本に良いことでは無い。
 政治家が総理の座を賭けて政治ショーをやっているあいだに、日本はドンドン世界から取り残されている。そもそも先の二人は総理大臣になるのがゴールで総理大臣になって何をするのかのビジョンはまったく無い。学芸会に一生懸命で受験に失敗した高校生のような力量しか無い。
 政治屋ばかりになった日本の国会の醜態が今回の民主党の学芸会だろう。国民の代表として政治を預託されているのに、本当、やってることは学芸会だ。
 これで確実に政界再編成が進むだろう。小沢一郎氏得意の数の論理が結局新たな数の論理を構築すべく政界再編成へ繋がるだろう。選挙の結果がどうあれ、負けた側は民主党を割って自民党の一部と合流して新政党となるだろう。いくら政権政党って引力があるとしても、野党としての気楽さにはまって、国政の重圧に耐えきれない民主党議員が古い層に数多く居るのが事実だ。彼らは、国民の生活を担うなんて気概は無く、「センセー、センセー」とおだてられることだけに生き甲斐を感じている政治屋なのだから。

政治屋からは何も生まれない
 国民のほうがよく学んでいる。小泉純一郎元総理以降、政治屋が総理大臣をやっては投げ出してきた。日本の閉塞感は歴代の自民党政権が制度疲労を起こしたのが原因だが、その制度疲労が多量のオミヤゲを残してきた。それはもう誰にも解決できない。国債が大量に積み上がり、政策を実行したくてもタマが無い状態が今の日本だ。自民党が政権を担おうが、民主党が政権を担おうが、国の借金の多さに税金を使って日本の舵取りを出来る状況に無い。
 そして、国民の税金だけで無く、借金も含めて政治屋は無頓着で結局国民の利益では無く、自分たちの利益のために国民を食い物にしてきた。そんな政治屋が今回の学芸会の主役だ。もはや国民不在を口にするのもはばかられる。まったくの、民主党による民主党員に向けた学芸会なのだ。
 去年の夏は衆議院選挙にあけくれ、今年の夏は民主党代表選挙にあけくれ、その前からここ数年、必ず夏には総理大臣が交代して国政の空白期間は延べで1年以上の期間になるだろう。政治はもはや何も出来ないのか。それを一番知るのが国会議員の当事者なのだろうか。だから臨時国会が2日しか開催されない事態を「いい、骨休めと」遊んで過ごしているのか。まったくの無作為に責任を感じないのか。
 「いやいや、学芸会の準備で忙しくて」ってのは本末転倒だ、何故、国会議員になったのか志が低すぎる。

政治家に再チャレンジは無い
 過去の民主党代表の顔ぶれをみると必ず辞任している。しかも、その代表が国務大臣になったりしながら代表の座を虎視眈々と狙っている。鳩山由紀夫元総理すら、再チャレンジしようとしている。
 先に書いたように(消費税発言は政権担当能力を隠す意図か)、政治家には再チャレンジは無い。成果を積み重ねて勇退するのが政治家だ。総理大臣はその代表格でなければならない。ドングリの背比べの中で代表をたらい回ししてきた民主党では誰が代表になっても良かったが、政権政党となった今は、国を動かせる人間しか代表が務まらない。それを選ぶのが民主党の国会議員なのだが、これがまた学級委員を選ぶ程度の緊張感しか無い。
 日本の政治の閉塞感は老害の蔓延である。民主党が政権を取ったのに野党根性のままなのは、この老害のなせる技だ。旧来の政治手法の継続でしか無いから国政を放りだして代表選挙にうつつを抜かす。
 もはや自民党も民主党も世代交代を早めるべきだ。特に先の衆議院選挙で当選した1期生は始めから与党議員として国会に登壇している。この若手(かどうか知らないが)が与党国会議員かくあるべしと活躍しなくては民主党の明日は無い。まして、日本の政治の明日も無い。

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2010.08.26 Mint