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復興に向けての誓い
今回の東日本大震災で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りします。また、家族・親族を震災で失った方々のご心労は想像を超えるものですが、少しでも悲しみを分かち合い、互いに明日に向けて復興に努力したいと考えております。何処の何から手を付けたら良いのか未曾有の大震災の復興には多くの項目がありますが、福井第一原発について忘備録として書き留めておきます。
震災の名前が決まらない
震災の名前が決まらないのは、気象庁が「東北地方太平洋沖地震」と命名したものを内閣が正式名称にする必要があるから。現在マスコミでは「東北地方太平洋沖地震」以外にも「東日本大震災」、「東日本巨大地震」、「東北関東大震災」などの名称がつかわれている。復興に向けての募金活動も共通の名称が内閣から発表されないのでバラバラな名称になっている。ここでは最も実情に近い名称として「東日本大震災」の名称を使う。 福島第一原発については何時も言われているように初動の誤りが事態を悪い方へ悪い方へと導いている。原子力発電は安全管理の徹底が基本だが、それだけで住民の安心までたどり着けない。住民の安心のためには安全管理を超えた事態にどのように対応するかの危機管理の徹底と実績の積み重ねしか無い。本来であれば危機管理が必要な事態にまでたどり着かないのが理想だが全ての事柄に絶対は無いのと同様、危機管理は必ず必要になる。 危機管理は想定される全ての事に対応しなければならないので、結果的に起きている事象に優先順位を付けてさばいていくことになる。これを「手際」と呼ぶ。「手際」とは佐藤一斎氏の「重職心得箇条」によれば適材適所で適格に物事をさばくことである。 自分が見たいからとヘリに乗って出かけ、その対応で現場を混乱させ、東電に乗り込んで「テレビで見てから1時間もたって官邸に情報が届く」と怒鳴り散らすのは「手際」が悪い典型だ。 「俺は原子力に強い」と自らおかめ八目で現場に口を出すのも考え物だ。「原子力に強い」なら放射線を浴びても大丈夫なんだからホースを引っ張って福島第一原発の3号機の使用済み核燃料プールにホースで給水すれば良い。 武士の情け、総理大臣の個人名は書かないが危機管理で最も重要な「手際」がことごとくボタンの掛け違いを起こしている。しかも「東電がいらないと言った」と言い訳して国民の生命と財産を守る使命すら放棄している発言はダウンタウンの浜田ではないが「死んだらええのに!!」と言いたくなる。 |
2011.03.18 Mint
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