瀬戸際の管理技術、危機管理

社会的影響が大きい事故事件
 北海道の苫小牧出光石油の火災事故、中央線終日不通事故等最近社会的影響が大きい事故や事件が多発している。印象批判をするつもりは無いが最近新聞紙上を賑わす事件の傾向に複雑化したシステムの保守ミスの傾向が現れている。そんな事故や事件は昔も有った、との反論もあると思われるが、かつてのものは先端技術部分や意図的なそんな事をするはずが無いって「ミス」に起因していた。今は、あたりまえに作業して破壊を招く例が増えていると思う。
 各地のバス運転手の飲酒運転が告発されるのも見てもバスの飲酒運転があたりまえになってしまった結果なのだ。異常が日常化し、事故への坂道を転げ落ちているって意識も欠如してしまった「あたりまえ」の先に巨大な社会的影響を招く事故が存在しているのだ。
 通常の作業をしているのにも関わらずある時は事故になりあるときは事故にならな。そんな事象が昨今の事件や事故の後ろにかいま見られる。
 マスコミでは「効率を追求するあまり安全管理が疎かになってる」ってヒョーロンを流しているが、それは社会現象では無くて個々の会社の経営姿勢に辿り着かなければいけない。安全管理も効率の一パーツなのだ。企業経営全体のバランスの中で安全管理を疎かにして効率が上がる訳は無い。安全管理を手抜きして事故が多発すれば効率もおのずと落ちるのだ。その原則を踏まえないで皮相的なヒョーロンを流すのはいかがなものか。

安全管理と危機管理
 原発問題でいやになるほど語られたが、安全管理と危機管理はその立脚する背景(シチュエーション)が大きく違う。この違いを前提に今自分はどのシチュエーションで話しているのか、相手はどのシチュエーションで土俵に上がっているのかが明確で無い議論に多くの時間が無駄に費やされた。
同様に安全と安心の違いも明確にされないまま多くの無駄な議論に時間を費やしている。
 「安全管理」はこれを守れば安全であるって視点で安全を脅かす要因をことごとく排除する方向で検討され実施される。交通安全運動が典型的だがそこには「遵守」の原則が守られれば事故は起きない、もしくは拡大しないって哲学から発してる。
 「危機管理」は安全管理が破綻した時の対処に立脚している。「遵守」の原則は無く、どちらかと言えば事故拡大を防止する「対処」が基本になる。だから危機管理にはそうなった原因はあまり意味を持たない。例えば航空機が原子力発電所に墜落したとか、新幹線が軌道を外れて惰性でビルに突っ込んだとか、はたまた船舶が陸に乗り上げて電車と衝突したとか、そんな原因はどうでも良い(と、言うか起こった災害の様子を知るためには必要だが)のだ。今、そこで何が起きてどのような対処が必要なのかを出来れば事前に考えておくのが「危機管理」なのだ。
 また「安全」と「安心」も違う。安全は他に害を及ぼさず当初の機能を発揮すれば良い。安心は他に危害を及ぼす恐れが無いことの証明が必要になる。だからそれぞれ別物で「安心だが安全でない」ものもある。例えば長距離ドライブに備えてポリタンクにガソリンを入れて積んでおけば直距離走行には安心だが、万が一の事故で炎上するかもしれず安全では無い。安心を得るために危険を冒すって事例は結構あるのだ。
 前に書いたが「原発の放射線は自然界の半分」って広告は原子力発電の安全性を安心にまで高めようとして物事の本質を見失った広告だろう。事実は原発の放射能+自然界で1.5倍ってことなのだから、安心できないのだが。
 実は昨今の事件や事故は起点に人間が居ることも大きな特徴である。機械が勝手に暴走したのでは無く人間が的確な対処を取らなかったことに起因する。出光興産のタンク炎上などはまさに「事故の基本は地震に有る」が地震って危機に対して対処を誤った「危機管理」の責任は地震だろうがテロだろうが企業として免れるものでは無い。

技術の軽視や盲信に安全は無い
 中央線の不通事故は信号回線の配線ミスが原因らしい。人間はミスをする、だからチェックする。その最終段階でテストランを何故行わなかったのか。これはコスト削減では無くて技術への盲信が有ったからだろう。配線版をテレビで見たが、いまだにピアツーピアの結線を行っているのに驚いた。パソコンの蓋を開ければ解るが最新の配線はソケットで束ねられ、現場では結線せずにソケットを差し込むだけにして効率と正確さをはかっている。JRの機材の設計思想が古いまま放置されいるのではないのか。
 出光興産の苫小牧も同じような技術の盲信である。地震後数日風が強いにも関わらず消火剤で蓋をする。しかも満タンに近いタンクの上部で消火剤が風に吹き飛ばされることを考えなかったのだ。付近の住民がガス臭いと言っている段階でナフサが気化したガスがタンクから周辺に流れていたのだ。少なくとも消火剤が蓋の役割を果たすように若干のナフサはタンクから抜くべきだったのだ。その判断は周辺住民の「ガス臭い」の通報で十分だろう。何故、それに気が付かないか、「消火剤でで蓋をすれば安全」を盲信していたとしか言いようが無い。 フローティングタンクの構造はここ
 先に書いた「効率優先で安全が疎かになっている」は、もう少し別な表現が的を射てると思う。「経費削減で安全が疎かになっている」であれば良い。実は安全に対するコストは保険のようなもので事業を継続するためには削減出来ないコストなのだ。削減できると考える人は技術の軽視か技術に疎いのだ。現場を知らないと言っても良いだろう。
経済が低迷する中で一般的な用語用法で言うところのリストラを行って企業の収益率を向上させて一見、経済が立ち直ったように見えるが、実は日本経済全体で必要な保険すら削ってしまったのだ。そのつけが昨今の事故や事件に現れてくるのではないだろうか。
 25年も前の話だが、大学を出て出光興産に就職して、朝から晩までプラントのメータ読みをさせられて辞めてしまった友人が居る。新入社員でプラントの現場を知ることもなくただただメータを読まされたのでは、このメータの異常は何に起因するかも解らない。そんな使われ方に嫌気がさしての退職だった。
 安全管理のコストを削減して収益を上げる会社では危機管理もコストゼロだろう。事故が起こる、対応が後手後手になる、社会の不信感が増す。これって数年前の雪印食品と同じではないのか。その時に気が付けば後戻りを防げたかも知れない。残念なのは、この傾向はまだ数年続くって事。
 国民の安全を守るために、政治が今果たさなくてはならない命題のひとつなのだ。残念ながら政治家にも技術に明るい人は少ないのだが。

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2003.10.05 Mint