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復興ビジョンが見えてこない
福島第一原発への対処で忙しいのか肝心の復興ビジョンが見えてこない。そもそも大震災の正式名称すら決められない内閣だから復興ビジョンを求めても無理なのかもしれない。関東大震災の2日後に帝都復興院構想を作った前例と比べれば対応の遅さに国民は苛立っているだろう。今回の東日本大震災の物的被害額は概略25兆円と言われている。阪神大震災の経験から物的被害の復旧(復興では無く復旧)には全体被害額の1/3程度の税金が必要と積算される。予算の確保もさることながら、その予算をどのように使って復興するのかが大きな課題になる。逆に言うと復興ビジョンが出来て、それで必要な予算が積算されるとも言える。 福島原発に振り回されて枝野官房長官からは復興ビジョンが説明されることは無い。東日本大震災から今月末で3週間にならんとするのに、避難所の手当てに終始するだけではとても政治家の行動とは思えない。そもそも、立法を通して復興をはかるのが政治家の責務だが国会での議論が大切だ。議論の土台である原案の取りまとめは政府与党の仕事だがそれに着手した形跡も国民には伝わっていない。 国民の税金の投入額は総額25兆円の物的被害の仮に1/3としても8兆円である。8兆円の使い方によって日本を再生する復興が出来る方策を考えなくてはいけない。現状に戻す復旧に8兆円もの税金を投下するのでは国民の理解は得られない。 巨大防潮堤の設置とか、地盤沈下した土地の傘上げに税金を使っても国家100年、いや貞観地震から見れば国家1000年の大計にはならない。もっと、大きな計画が必要だ。 先の関東大震災では震災後1ヶ月で帝都復興院が設置され後藤新平総裁により帝都復興計画が提案されたが、後藤新平総裁は復興院総裁の意向を伝えられると自宅にこもり一晩で復興計画の草案を作成した。その内容は東京を防災都市として道路の拡張による火災対策を考慮したもので、後の第二次世界大戦での東京空襲にも威力を発揮したものだった。 つまり、防災都市再建が先の関東大震災の復興ビジョンであった。 残念ながら、帝都復興院は実行予算を持たず既存の各省庁に予算を持たせたため、必ずしも成功したとは言いがたいが、先の阪神・淡路大震災と合わせて手本にする事例はしっかり歴史に刻まれている。 にも関わらず、今回は復興のふの字も見えてこない。 |
2011.03.31 Mint
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