福島第1原発に設計責任は問えない

津波だけが原因では無い
 福島第1原発が安定していないので事故原因究明は全然進まないが一部のジャーナリストが現地で収集した情報が散見される。
 川中中学校の避難所で従業員にヒアリングした情報は貴重だ
 老朽化により大潮の時には地下二階の床に海水が染み出す状況だったってのは衝撃的な事実だ。海水が建屋内に侵入していたのだ。コンクリ−トは年数が経つと劣化するが、建屋の特に土台部分はかなり劣化が進んでいたようだ。
 また40年前の技術で設計された福島第1原発の1号炉の技術的な老朽化も指摘されている。そもそも福島第1原発は1号機から五号機までアメリカのGEが設計したマークT型の格納容器を使っている。テレビで図解が示されているがマークTは3Dにするとフラスコ型の格納容器だ。今回の事故を受けて実は35年前にGEの科学者3人がマークT型の脆弱性を指摘して抗議のために会社を辞めている事実がアメリカで再報道されている。実はアメリカでもGEのマークT型格納容器は23基も利用されているのでアメリカでは福島第一原発の事故がマークTで起きているので、国内問題にもなっている。
 NRC(米原子力規制委員会)は1972年に「この格納容器は許可すべきでは無かった」と、そして1975年には「90%の確率でマークT格納容器が駄目になると想定される」と発表している。ちなみに福島第1原発は、1号炉1971年発電開始、2号炉1974年発電開始、3号炉1976年発電開始、4号炉と5号炉1978年発電開始、6号炉1979年発電開始である。2010年には3号炉のプルサーマルが始まっている。
 上記の建物の劣化と技術の欠陥は直ちに事故を引き起こす要因では無い。しかし、人類の経験則で言われるように「欠陥があれば何時か誰かがそのトリガーを引く」。
 それが今回の東日本大震災でトリガーを引いてしまった。しかも、その後の福島第1原発への対策が後手後手になったのは安全神話がしみ込んで過酷事故の想定を行っていなかったのが原因だ。
 前述の「大潮のときは地下2階に浸水があった」が、まさに高濃度の汚染水の海への流出につながっている。海水の浸水があった時点で対策を講じていれば少なくとも高濃度の汚染水の海への流出は無かっただろう。

意外と事故が多かった福島第1
 必ずしも福島第1は安全が長く続いた訳では無かった。
 最初は1976年の2号機の火災である。当初、東電は発表せず田原総一郎氏への内部告発で明るみに出た。溶接の火花が布に燃え移ったと発表されたがパワープラントの電線火災だったようだ。
 1978年には3号機での臨界事故が発生した。この事実が発表になったのは2007年になってからである。実に29年に渡って隠ぺいされていた。そのとばっちりを受けたのがJCOで、1999年9月の東海村での臨界事後が「日本初の臨界事故」として扱われた。実は日本初の臨界事故は福島第一の3号機だったのだ。
 1990年3号機の圧力が上がり中性子が増大して自動停止になった。
 2010年2号機で電源喪失による水位低下で冷却機能が働かなくなった。この時に2号機の燃料棒は損傷していて今回のメルトダウンの被害が1番大きい原因につながったのではないだろうか。
 決して40年間安全に運転されてきた訳では無いが原子力発電特有の情報の隠蔽体質はあった。ただ、3号機のプルサーマル化に向けて他の原子炉への注意が散漫になっていたのは事実だろう。だから安全信仰の蔓延から「起きてほしくないことは起きない」と安全ボケが生じていたのかもしれない。
 隠蔽された情報が他にもあるのかもしれないが、同一形態の原発6基が稼働している福島第1原発では相互の利用状況から事故を未然に防ぐ体制も容易であったろう。ただし、情報が正しく共有されていればだ。
 例えば1号機と3号機では同じような場所でも放射線の強さが違う。1号機のほうが古いので線量が高いなんて現象もある。1号機はやがて廃炉になる前提で設備投資を怠ったのが大きな原因かもしれない。
 また、安全対策として事故時の指揮命令系統と責任の所在が明確になっていないのも問題だ。当初政府は東電任せで東電の判断を受けてアメリカの支援を断っていた。事故の規模が大事故につながると解っていながら(事前に東電から10条から15条になったと通告された時点で「原子力緊急事態宣言」を行っていた)専門家を動員して国家レベルの対応を取らなかった。「原子力災害対策特別措置法」に従って住民の避難誘導をしただけだった
 紙に書かれたことだけやる。まったく、役人仕事である。日米の関係を考えれば事前に取り決めは無かったにしろアメリカの支援を受け入れるべきであったし、その時点でアメリカの知見から水素爆発の回避策が取れただろう。アメリカでは1980年代にGEのマークTで全電力供給停止時のシミュレーションを行って水素爆発の可能性を把握していたのだ。この情報を原子力保安院は「知らなかった」と証言している。なんと勉強不足なのだろう。不勉強で予知もできないのなら「無駄飯食い」だ。建屋の水素爆発による破壊が防げればここまで大事にならなかったのは自明だ。

しかし設計責任を問うのは無理
 同じ海岸線で同じように地震と津波の被害を受けたのが福島第2原発(東電)と女川原子力発電(東北電)である。同じように原子炉は止まった。若干のトラブルはあったが現在(4/7)冷温停止中である。
 何故、福島第1原発だけが被害を被ったのかを推測する記事は多い。福島第1原発に欠陥があったから始まってGEの丸投げで日本にはノウハウが無いまで様々な意見が飛び交っている。
 被害にあった方、避難生活を余儀なくされている方、はては停電で生産活動に影響を受けている方、多方面の方々には申し訳ないが、設計責任を問えるとは思わない。
 「だって福島第二原発も女川原発も安全だったじゃないか」と言われるかもしれないが、設計の面から言えば今回の災害は設計者の善管注意義務(職業、地位、能力等において、社会通念上、要求される注意義務)の範疇の外にある。原発設計のノウハウが貯まるにつれ、その範疇が広くなった故に福島第二原発も女川原発も安全に停止した。
 しかし、設計側からでは無く事故のインシデント(事故一歩手前)側からアプローチすると両原発も危機一髪だったことが解る。事故報告書が出された時点で詳細が解るが、伝え聞くところでは女川原発では地震による緊急停止後に、津波による2号機の建屋の地下3階が浸水し、2号機の非常用ディーゼル発電装置が起動しなくなった。
 女川原発は高台の上にあるから助かったって論調が一部にあるがこれは違う。女川原発の想定津波波高は9.1メートルである。実際に襲った津波の高さは17メートルとの知見がある。つまり、想定外だったのだが、にも関わらず福島第1原発にようにならなかったのは、非常時の交流電源(外部電源)が2系統あり、1系統は停電したが残りの1系統が残り、これを2号機へも供給できた偶然の賜物だったのだ。
 福島第二については設計時に非常用電源設備をタービン建屋では無く原子炉建屋に設置した。タービン建屋はより海に近いが原子炉建屋はその海から見て後ろにある。また、外部電源については配電盤が津波から守られていたために東北電力からの交流電源が利用できた。海水を利用して原子炉から出た水蒸気を冷却する復水器のポンプは3号機のみ助かり他はすべて停止した。しかし3号機の復水器を利用して全原子炉の冷却ができた。こちらも紙一重であった。3号機の冷却水ポンプが機能しなければ福島第一と同じ事態に陥っていたのだから。
 設計の妙と運が福島第2原発と女川原発を救ったと言えるだろう。どちらの原発も設計条件を上回る過酷な津波に襲われたが、偶然、助かったのだ。こんな言い方は誤解を招くかもしれないが、そこは設計責任なんてものでは無く、神の摂理の世界だ。
 日本原子力発電の東海第二原発でも圧力抑制プールの水を循環させるポンプ2台のうち一台が動かなかった。ただ、残りの1台でかろうじて水を循環させることができた。
 ただ、東海第二では2007年10月に茨城県の津波浸水想定を受けて冷却装置を防護壁で囲った工事を完了させていた。これがかろうじて一部間に合った。実は工事途中で塞がれていない防護壁からの海水侵入はあった。
 機械は設計範囲で使う。設計範囲で動かなくなれば「故障」、しかし設計範囲外で動かなくなるのは「壊した」だ。
 設計範囲を超えて耐えたのは偶然だ。しかし、定められた設計範囲を許認可するのは国。国の許認可責任は残る。ましては「水素爆発は想定外」など不勉強で既存の報告すら知らない。A級戦犯の国はすべて東電に押し付けて逃げ切るつもりでいる。そもそも想定津波の高さが、福島第一原発は5.4〜5.7mで福島第二原発は6.1m、女川原発は9.1mで認可されている。それぞれが高さが違うのは何をもって説明できるのか。公務員の給与5%供出だけで良いのか。内閣が責任を取る事案ではないのか。今後の推移が注目される。

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2011.04.07 Mint