子ども20ミリシーベルトは官僚支配政治

誰の意見も聞かない菅総理大臣
 国民の生命、財産を守るのが政治の使命だ。
 今回の福島第一原発の事故を巡って政府は国民側に立っているのか、官僚側に立っているのか、その「立ち位置」を考えると概念でしか存在しない「国家」を優先し現実の「国民」を無視している。
 概念でしか存在しない「国家」を後生大事にするのが官僚の悪い癖だ。過去の大東亜戦争(これが、現在の日本の内閣の正式呼称で太平洋戦争って文言は政府の記録には無いと言う)を遂行するために知恵を絞って国家の運営を担ったと同じように、今回の未曾有の災害も最高責任者である総理大臣の意向に沿ってシナリオを組み立てる官僚の「国家観」が随所に現れてる。
 福島第一原発の状況は短期的な避難から長期的避難に切り替えて考える必要がある。何故なら東電が発表した「工程表」に沿うなら地域の放射能汚染は年単位で考えるマターに変化している。にも関わらず「屋内待機」なんて短期的な対応を見直すのに50日も費やしたのは政治の「不作為」である。
 その間にSPEEDIの情報も公開されず、自己責任を支える根源である情報も公開さない。被曝が管理区域(年5ミリシーベルト)を上回ってる市町村の対策が放置されてしまった。具体的な市町村名は避けるが、3月15日の福島第一原発の2号機の爆発は風向きから予想される方面へ大量の放射性物質をまき散らした。即刻退避の状況の市町村が特に情報伝達も無く大量の放射性物質が降り注いだままである。
 その降り注いだ放射性物質により汚染された地域が福島第一原発が放出した放射能物質が1/100になったにも関わらず放射能汚染値が高いレベルを継続している。文科省のSPEEDI積算線量
 しかも、公表されている移動モニタリングポストの測定値は地表から10mの「空中線量」で空中に漂っている放射能は測定しているが、降り積もった放射能の測定は行われていない。放射性物質は既に「漂うもの」から「降り注いだもの」に考え方を変えなければならない時期なのに緊急時と同じ思考で空中線量の測定が漫然と続けられ居ている。
 地面の汚染を測定したデータは公表されていない。一部で石巻市で校庭の放射線量を測定し表土を除去したら除去前が3μシーベルト/時が除去後には0.6μシーベルト/時に下がったとの報道があるが、文部科学省は「余計なことをするな」の対応。内閣府は「はぎ取った表土は放射線汚染物質で勝手に処分できない」とチグハグだ。
 そもそも文科省に教育現場で被曝する線量を指導する根拠は有るのか。
 しかも20ミシーベルト/年間は原発作業者の年間被曝許容範囲なのだが、小学生に原発作業に従事してる者と同じまで良いってなんなんだ。

政治的判断で安全基準を改変
 原子力発電については安全神話を構築するために国際的な被曝基準より厳しい規制値を採用したのは広島・長崎への原爆投下を知る国民感情への配慮かもしれない。しかし、心情的に決めたものでも法律は法律である。
 今回、福島第一原発に従事する者は緊急避難的に最大250ミリシーベルトまでの被曝を認めるなんてのを行ったが、5年間被曝累計が100ミリシーベルトの部分を改定していないので実質、福島第一で250ミリシーベルトの被曝をすると5年間原発関連の仕事に従事できなくなる。ただし法律には抜け道があり、年間被曝量の積算は毎年4/1日を起点とする。つまり、4/1日には新年度で被曝量はゼロにリセットされるのだ。法律は付け焼刃で改定できない好例だが管直人総理は評判通り「目先の些末な判断に終始する」のだ。
 放射線被曝の規制値は一般人で1ミリシーベルト/年間と福島第一原発の事故が起きる前には決められていた。もっとも、福島第一原発の事故以前に「これはかなり厳しいのではないか」との意見があり、提言として「もう少し緩和しては」との方向性があったのは事実だ。2007年のICRPの勧告を受けて1〜20ミリシーベルトの間で柔軟に対応するとの意見も背景にある。
 しかし、福島第一原発の事故によって日本人の放射線に対する耐性が高まった訳では無い。1ミリシーベルト/年間の状態だと福島第一原発周辺の特に北西部では基準値を超えるので退避が必要になる。逆に今の状況から積み上げると年間20ミリシーベルトになるので基準を実情に合わせ退避をしなくても良い基準に設定してる。
 そもそも現在の空中線量の測定も事実にそぐわなく地表面の測定に切り替える必要があるが、これもまた土を掘り起こして1kg持ちだし、含まれる放射能をベクレルで計測している。世界の常識は平方メートル当たり線量で比較するのが常識なのだが。
 地面からの高さも問題だ。冬期間に気象予報を見てると気温2〜3度で霜注意報が出ていることに気が付く。基本は地面から1.5mの高さで測定するので実際の地面と温度差が出来るからこのような霜注意報が気温がプラスでも出される。
 今、校庭は降り積もった放射性物質が表土に残っている。子供は背が低いのでより地面に近い。しかも走り回って土ぼこりを舞い上げてそれを吸い込む可能性が高い。吸い込めば内部被曝を発生させる。
 先の石巻の校庭で3μシーベルト/時なら年間被曝量は3μ×24時間×365日で26ミリシーベルト/年間になる。改悪した基準も超えている。しかも半減期の短いヨウ素131は既に半減期を迎えている。現在はセシュウム137が中心で、この半減期は30年である。

やるべきことは除染
 厚生労働省に福島瑞穂議員が「大人と子どもと同じ基準で良いのか」と質問したら「同じで良い」と返答があったと書いている。放射能は染色体を傷付けるので細胞分裂が活発な妊婦や子どもにはより厳密に適用する必要がある。現に女性と男性では基準は別である(正確には、妊娠の可能性のある女性と明記されているが)。
 石巻市が校庭の表土を除去して行った除染が何故国が率先してできないのか。基準を高くして偽物の安全で辻褄を合わせるよりも物理的に除染により放射線量を下げるのが政治の担う役割だろう。
 除染してより高濃度になった土は福島第一原発に積んでおけば良い。あなたのまき散らした放射性物質をお返ししますってことだ。雨が何回か降っているので道路の脇や下水道畑の排水溝などには高濃度の放射線物質が貯まっている可能性が高い。これも除染可能だ。室内も掃除により放射線量を下げることが可能だ。家庭でできる除染方法を広報すべきだ。
 農地ですら表土をかきとる事で除染可能になる。福島第一原発から出る放射能が初期の状態から1/100になっているのなら除染は有効な放射能対策だ。
 それでも1ミリシーベルト/年間を超えるなら
1)他地域への退避費用の東電の負担。
2)福島原発被曝手帳を交付し恒久的な健康管理を無償で東電が行う。
の、どちらかを住民に選ばせるべきだ。
 火事場泥棒のような規制値改悪は行うべきでは無い。百歩譲っても平時に規制値改正を議論すべきだ。

button  福島第1原発に設計責任は問えない
button  不毛な政治に翻弄される被災地の苦悩

2011.05.06 Mint