テルル132が3月12日時点で発見されていた

6月3日の夜になって3月12日のデータ
 福島県が行っていた測定結果を原子力保安員が発表したもので、原子力保安院は「隠すつもりはなかった。国民に知らせる発想が無かった」と述べている。
 つまり、国民は無知だから知らせても意味がないと判断したのだろう。まったく公務員は公僕だってのを忘れた上から目線だ。
 テルル132が産総研で検出されたページはここ。ページの下の方に核種分析結果が掲載されている。
 実は放射能が検出されたって速報値はそれなりの意味を持つが複雑な核分裂を繰り返す原子炉では漏れた核種が何であるか、その全体に占める割合はどの程度かで原子炉の状況を把握できる。
 テルル132は融点450度、沸点1390度で普通は固体である。これが初期段階で浪江町で検出されたってことは沸点を超える温度にさらされて飛び散ったのだ。その温度とは核燃料が熔ける2800度を超えたためだ。
 それぞれの核種に半減期があり、構成割合が時間と共に変わってくる。たとえばテルル132は3.2日でヨウ素132になる。
 3月12日の午前中はウエットベントが行われる前なのでテルル132が検出されたってことは原子炉が損傷し隙間から放射性物質が漏れて6km程離れた浪江町で検知されたことになる。つまり格納容器の「とじこめる」は事故尾翌朝には機能しなくなったのだ。先に書いたように半減期3.2日のテルル132は自然界には存在せず原子炉内部でしか存在しない。しかも通常は燃料棒内に収まり半減期を迎えるので燃料棒の外に出ることは無い。
 唯一、温度が2800度以上になり燃料棒が熔解すると外部に出てくる。
 つまり、12日午前中にテルル132が検出されたって事は原子炉が損傷して外部に核物質が漏れている。加えて燃料棒は熔解しているって原子炉の状況を推測できる貴重な観測記録なのだ。ただ、解釈によっては燃料棒の一部がとも言えるが、封じ込めが既に出来ていないことは裏付けられる。
 それを隠す意味はメルトダウンを隠すことで原発は安全にコントロール下にあると見せるレトリックだった。

メルトダウン前提の処置が行われていない
3月11日
 もう遠い昔のような気がするが3月11日の14:46分に地震が起きた時まで遡ってみよう。地震が福島第一原発を襲った時点でかなりの部分に致命的損傷が生じていたはず。
 主排気筒が機能しなかったと思われる(後述)ので復水器あたりから一次冷却水が漏れたのではないかと考えられる。福島第一原子炉は沸騰水型なので一次冷却水が直接発電タービンを回す。その後、復水器で蒸気が水に戻されて再度炉心に向かう。
15:35には津波で重油タンクが流出しディーゼル発電装置も冠水し全電源が止まる。東電と保安院の計算結果が違うがおおむね地震の5時間後にはメルトダウンが始まっていた。
21:23に菅直人総理は福島第一原発の半径3kmに避難命令、半径10kmに屋内退避(待機)を命じた。既に復水器からはかなりの放射性物質が放出され北西の風に運ばれ始めていた頃だ。
 テルル132が約6km先の浪江町まで風で運ばれるには1時間程要しただろう。また、重いテルル132が風で運ばれたってことはかなり高温な上昇気流が発生していたはずだ。これも一次冷却水の沸騰によったのかもしれない。原子炉建屋が水素爆発で飛び散るのは12日の15:36であるから浪江町で検出されたテルル132は復水器から放出されたと思われる。
12日
12日の1:20になって東電は原子力災害対策特別措置法の15条の特定事項(原子炉格納容器の圧力が下がらない)を国に通報した。
3:05に海江田通商大臣はベントを行うむね記者会見を行った。
朝には避難指示が半径10km、18:20には半径20kmに避難地域が拡大された。
 原子炉格納容器の圧力が上がってベントを試みたが動かず、最後は手動でベントしたのが14:30になる。それまで放射性物質は格納容器の中に閉じこめられていたはずだが、実際には表に漏れ出ていた。しかも、格納容器の水素は主排気筒から排出されるはずが、建屋内に充満してしまった。これも主排気筒が停電で機能していなかったからだろう。
 住民に避難指示が出たのは、特に半径20kmまで拡大されたのはベントが始まったあとだった。正確にはベントに手間取ったのでスムースに行けば海江田通産大臣の3:05の会見でベントをしますと発表されてから数時間で行われただろう。この時点では半径3km避難である。
 しかもこの日の朝には先のテルル132は浪江町に届いていた。
 初動のまずさとは原子炉に対する処置以外に住民避難にもあらわれていて、同心円の避難地域の指定すら後手後手だった、さらに、SPEEDIはまったく生かされず放射能に沿って避難した住民も多数出てしまった。

12日にはメルトダウンが解っていた
 12日(事故発生翌日)はいかにして原子炉を冷やすか、使用済み核燃料プールを冷やすかであたふたしていた。実際には原子炉は圧力容器の底に熔解した燃料棒が崩れ落ち設計温度を超えたのでパッキン等も溶解し格納容器に燃料が漏れ出ていた。その格納容器すら底部に穴があいている状況だ。ここに海水を注入し続けた結果、高濃度汚染水が貯まり一部は地下水系に漏れている。
 壊れた水位計のみで注水を行って燃料棒を水没させていると信じていた日が1ヶ月も続く。この段階で燃料が崩壊し圧力容器の底に貯まっている状態だと正確に知れば(その状況証拠は多々あった)圧力容器の温度と圧力のコントロールを行えば良く、大量に海水や真水を投入することは無かった。
 事故からの復旧を考えると大量の汚染水を発生させない工夫が必要な時に水位を保つためにジャブジャブ水を注入し続けたのだ。これも人災である。
 情報を国民から隠すよりも、状況証拠を集めきれず、正確な判断が出来なかったのではないのか。
 メルトダウンを認めないが故に事故復旧が遅れたのではないか。そして一番の復旧の壁は水素爆発であった。停電で主排気筒が機能していない状況でベントを行えば何が起きるかは想定内だろう。少なくとも1号機で経験を積んだのだから、主排気筒の復旧なくしてベントは無いと学習しただろう。特に3号機の水素爆発は「想定内」では無くて回避可能であった。それが回避されればどんなに復旧作業が好転したことか。

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2011.06.14 Mint