人材枯渇の菅直人内閣
小沢一郎への「排除の論理」の菅直人総理にはいくらポストを作っても振り向ける人材が居ない。内閣特別参与を乱発するのも人材不足が原因である。そして機能していない。
今回の災害復興は既存の組織をいかに上手く使うかが要だ。新しい組織を作るにしても既存の組織の風通りを良くする機能を発揮する組織であるべきだ。学校教育の場でグラウンドの利用は文科省、給食の食材は厚労省、農産品の出荷停止は農水省と県知事と一つの現場で縦割り行政の弊害が出ている部分をトータルに対応しなければ復興なんて成し遂げられない。通常時の組織を非常時対応に代えていくのが復興のための機能であり組織である。
既存の組織を萎縮させるようなタカビーなチームドラゴンクエストでは現場を混乱させるだけだ。
政権交代を成し遂げて民主党が国民の期待に応えられないのは「経験不足」と言われているが経験を積むまで国民は待っていられない。既に政権交代から2年を経ているのだから。一番の問題点はマニフェストに代表される野党としての公約がイデオロギー化して柔軟な対応を阻害していることだろう。
政治主導がその最たるものだ。戦後の歴代の自民党政権での首相およびその側近を見ると官僚出身者が多いのが解る。戦後の民主主義を前提とした選挙制度で多くの官僚が政治家へと転身した。その面々が総理大臣を務めて政治を行った。功罪多々あるだろうが、少なくとも膨大な経費を消費する公務員を効率的に運営したのは事実だ。
アメリカのような二大政党制で大統領の政権交代がおきると多くの公務員を入れ替える。常に政権を取った時の運営組織予備軍を用意しているから出来ることだ。日本の場合は政権交代しても立法府の国会議員の構成は変わっても行政府の公務員の交代は無い。行政府の長である総理大臣は立法府の国会議員が選ぶ。
つまり立法についての「政治主導」は可能でも行政における「政治主導」は既存の組織を生かし切れないって無理、無駄を生んでいる。それに2年もたってまだ民主党は気がついていない。
行政を回せない最高責任者は総理大臣
議員内閣制の政治制度では立法府と行政府の境目が明確にならない。このため自民党は政治家の口利きで行政に介入し利権を構築してきた。行政は国民から集めた精勤を「配る機能」を包含するから、ある意味で利権が欲しい自民党と「連立政権」だった。
民主党は政治主導、脱官僚と自民党と同じ「連立政権」を反故にしようとしたが、逆に行政責任も反故にしてしまった。立法府の政権がどうあろうと行政に責任を持つ議院内閣制では立法府と行政府は良い意味での「連立政権」でなければならない。それが2年も経てまだ民主党が学習していないのが現状だ。
松本龍復興担当相問題はその象徴と言えるだろう。担当相として行政府の一翼を担っているにも関わらず立法府の政治家気取り(事実政治家なんだが)で行政府の知事に対峙する。なんとも意識の低い担当相だ。そして、これが歴代の民主党政権の勘違いなのだ。
議員内閣制では国会議員は立法府の機能としての政策立案を担うとともに選ばれたら行政府と長として汗かいて働かなければならない任務もある。発想の転換を迫られる。それを今の民主党で解っているのは馬淵澄夫氏と原口一博氏くらいだろう。
現在の政治状況で民主党の代表になると言うことは総理大臣になるってことで、それは立法府から選ばれた行政府のトップと言うことだ。その意識が無い人間、意識はあるが機能しない人間は辞めて貰うしか無い。それが内閣不信任案だ。立法府が行政府を牽制する機能だ。
加えて行政府を効率的に運営できない行政府のトップを生み出した民主党は国民に説明責任と謝罪をすべきだ。全員内閣府辞職で総理大臣を交代させるのが民主党の責務だ。
今回の松本龍復興担当相事件は民主党が行政府を運営できてない象徴的事件だ。