政党の機能は選挙のための烏合集団でしか無い

政権交代から学ぶもの
 自民党政権から政権交代を経て民主党政権に変わったけれど何が変わったのかを具体的に表現する説明は少ない。逆に未曾有の国難である東日本大震災に対して政府の対応は「無能」だと指摘されるのが今の民主党政権による政府だ。
 政治勢力地図の中で行政を担う政党が替わった政権交代は単なる政党勢力図の塗り替えでしか無かった、所詮政権政党が替わっただけで政治の本質は替わっていないってのがここ数年で我々が学んだ政治の実態だろう。
 つまり、政権政党が替わる政権交代だが、それが何なのかってのが見えてきたのが今回の民主党と自民党の間にあった政権交代だろう。そもそも「政党」って組織は日本の政治での位置づけが明確では無い。政党交付金も理論的根拠は不明確なまま法律として存在し国民の税金が政治家に流れる。そもそも「政党」とは何かを明確にしないまま国民の税金を手にする行為は高度な知恵を持つ乞食も集団なら法律すら作れるって証左でしか無い。
 政党とは何か。これを政権交代から考えてみると、政権交代は行政府の政権政党の変更でしか無い。それを国民はこの2年間で経験した。政党が替わっても行政の本質は何も替わっていない。それが現実だ。逆に未熟な新政党は行政の仕組みに寄り添い前例主義を継承しているのが実情だろう。
 日本で一番継承している制度、それは天皇家だ。世界で一番長い家系を維持している。で、二番目はたぶん「官僚」だろう。明治維新の徳川幕府に替わって出来た明治政府を動かす因子としての官僚は日本が大東亜戦争に敗れても連綿と生き延びてきた。ちなみに「大東亜戦争」と呼ぶのは現在の政府に連綿と続く「太平洋戦争」表記の拒否を継承している。太平洋戦争はアメリカが付けた名称で現在でも日本政府は先の大戦の名称は「大東亜戦争」の呼称である。これも連綿と続く官僚主導国家の好例だろう。
 民主党は政権交代をなし得たが国家の仕組み改革は小泉純一郎元総理ほどにも出来ていない。もちろん明治維新のような変革の足下にも及ばない。単に総理大臣(立法府で選ばれる行政府のトップ)の選択権を「数の論理」で得ただけだ。
 日本の立法府は替わったかもしれないが行政府は何も替わっていない。それが政権交代だったのだ。

政党は国会議員のために有り国民は不在
 政権交代とは行政府を担う政党の交代であることは周知の事実だ。しかし、議院内閣制における第一政党が首班指名で総理大臣(行政府の長)を選ぶ制度が上手く機能しているのだろうか。イギリスなんかでは割と(あくまで、割と)上手く行っているようだ。アメリカは大統領制なので議院内閣制では無い。
 自民党に替わって民主党が行政府のトップを担うことになった。ただそれだけである。立法府で最大多数を得たから出来たのであって、行政府はそれに必ずしも連動しなかった。それは何故なのか。
 それは政権交代しても公務員制度改革しなかったからだ。そもそも選挙の集票マシンに逆らえないと政治家は考えている。何故なら政治家の最大使命は次回も当選だから。
 ここに基本的な志の無さが現れている。選挙に勝つのは戦術だ。当選するかしないかは時の運。政治家の志に比べれば選挙は短期的な試合の結果でしか無い。しかも負けたら再挑戦の道は残されている。選挙は単なる試金石でそれで当選してからは戦略が必要だ。当選した後に何をしたいかの志に起因している。だが、政党交付金に明らかなように国会議員は手段と目的をはき違えて当選したら安泰、あとは次の選挙対策が大切となる。
 それを支えているのが政党交付金を握る政党だ。
 そもそも、国民の税金を立法府に政党交付金って形態で支出する根拠は無い。政治家が勝手に決めた「政党交付金」制度だけがよりどころだ。
 繰り返すが「政党」ってのは日本国民が広く認知した組織、制度では無い。議会制民主主義は憲法に明記されているが政党は何処の法律にも明記されてない。過去の明治維新まで辿ると政党は政治にもの申す集団で機関誌を発行し、これが現在の新聞社のルーツだ。だから、新聞社は今でも社長では無く「社主」がトップに居る。
 ところが、現在の立法府では選挙で当選しないと国会議員を続けられない。だから必死で選挙対策をする。それを後方支援するのが政党だ。政党助成金制度は牢名主みたいな歪んだ税金の着服制度なのだが、政党にとっては甘い汁なので誰も文句を言わない。
 国会議員は政党に属して居てこそ次回の選挙での当選が補償されるって今の政党政治はまったく国民不在な政治の元凶なのだ。

国民は一匹狼が沢山居た方が良い
 様々な議論を積み重ねるのは有意義だと思う。ただ、政治家は政党って「数の論理」に属した段階で本来の選挙での国勢の預託って使命を失っている。
 政党には「党議拘束」なんてSMか! と言いたくなるような選挙で投票を行って政官を預託した国民を無視した「数の論理」がある。繰り返すが「政党」なんてのを正当にする法律は皆無なのだ。唯「一盗人に追いゼニ」の政党助成金制度だけが政党を明文化しているだけだ。
 政党に所属しなければ次の選挙で当選出来ないなんて考えている国会議員は今すぐ辞めろ。小沢派に多い「選挙に強い」から小沢派なんてのは国民を欺いている。国会議員とは何かの品格に欠ける「馬鹿議員」だ。
 そもそも日本の国会は「馬鹿議員」が多すぎて税金の無駄使いだ。国会歳費も政党助成金もはたまた国会議員1人に年間1億円もかかっている。無駄な税金の浪費はまず国会議員の数から是正したら良いと思う。
 とりあえずの大同団結はパフォーマンスとして良いだろう。だが、国民主権の政治を実現したいと思うのならば、少子高齢化社会に向けて国会議員の定数を半分にすべきだ。
 大同団結によって民主党の無能な国会議員の半分と自民党の無能な国会議員半分を排除の論理で排除し、定数を半分にすることだ。
 次回選挙で当選するための機関が「政党」の実態ではないか
 現職の国会議員の反論を求める。

button  政党助成金こそ事業仕分け対象にすべきだろう
button  選挙と政策を分離してこそ政党の存在価値



2011.08.20 Mint