健全なる政治に健全なる官僚がやどる

最近はペンタゴンと呼ぶらしい
 日本を良い意味でも悪い意味でも動かしている原動力は「産・学・官・財・報」の5団体だと言う。実際に「産」(産業界)と「財」(財界)は重複するが、ま、妥当な表現だろう。
 官僚支配国家が脱官僚、政治主導を掲げる民主党に政権交代しても一向に変わらないのは民主党の未熟さに起因すると言われているが、ここに来て官僚がますます前面に出て来ている。
 もう民主党には任せておけないとの官僚の危機感だとの説があるが、あながち間違いではないだろう。民主党は政権交代後3人も総理大臣が替わり国の舵取りが出来ていないのだから。
 タイトルのように国家の健全性は政治にゆだねられる。しかも民衆主義国家ではその前段である国民にゆだねられる。その国民が健全さを失っては政治は健全さを保てない。ましてや行政府の官僚は「やる気」が起きない。
 国民の健全さをどのように保つのか。もう一度先のペンタゴンを見て欲しい。「産・学・官・財・報」である。特に「報」と「学」に国民は無関心だったと思う。その結果、自ら考えることを誰かに委ねてしまい健全さが失われた。
 今回は「報」を扱うが双璧に「学」があることは確実だ。人材育成は国家の基本であり文字が読めない国民が皆無の国家を作ったにも関わらず、考える国民を育成してこなかった「学」の責任は大きいのだから。
 「報」の範疇をマスコミに限定するには無理があろう。それは20世紀的な発想だ。既にマスコミは崩壊に向かっていると言っても過言では無い。

「報」が政治を支配する危うさ
 3.11からの福島第一原発事故のマスコミの報道に迫力が無いのは国民の多くが感じているだろう。マスコミは半公営の電力会社から流される広告料に配慮して報道の矛先を鈍らせているのが実体だろう。
 鉢呂経産省大臣を辞任に追い込んだ「放射能付けちゃるか」報道も闇の中で、そもそも会見に立ち会っていないフジテレビが第一報を流すって不思議さがある。また、各社立ち会っていたのに鉢呂経産大臣の発言内容が報道各社によって違う。
 脱原発を表明した鉢呂経産大臣に危機感を持った原子力村の意向を受けてマスコミが暗躍したとの説がある。先のペンタゴンの連係プレー説だ。もともと大臣になって浮き上がっている鉢呂氏にその連係プレーにはまる素養があったのはいなめないが、マスコミが大臣の首を取るって前代未聞なことが起きた。
 マスコミは気に入らない政治家に対しては「いまのデスクは何をやっているんだ。前のデスクならとっくにあいつは辞めさせてるぞ」なんて暴言が現場では日常会話として交わされている。
 鉢呂経産省辞任会見で暴言をはいた時事通信の記者のスタンスは特殊では無く、マスコミの潜在的感情と言えるだろう。
 「報」の都合の良いように政治を変えていく。これはあってはならないことだ。しかも直接対決では無く国民を媒体に政治を自己の都合の良いように変えていく。そもそも報道は不偏不党が基本だが、あきらかに自社の都合に変化している。
 もっとも別な考え方もあって、報道は立ち位置を明確にして主張するメディアであるとの考え方もある。しかし、テレビ放送を傘下に納める新聞社は放送法の「不偏不党報道」を覆す訳に行かないので、建前上は公正報道のスタンスを標榜している。


国民をミスリードするから政治が不健全になる
 昨今の政治部記者は立花隆氏の「田中角栄研究、その金脈と人脈」あたりを手本に政治のあら探しが仕事になっている。国民が政治に求めるものは税金の再配分だと思っている。本来の報道の姿勢とは、国民が知りたいことをサーベイし政治家に伝えその返答を受けて報道するのが使命だ。
 国政において一番大事なことは外交と防衛である。地方自治のように国民に直接接する場面よりも国家の成り立ちに重点を置くべきだ。
 福沢諭吉氏は外交下手な国は地方分権下手であると書いている。どちらも自立心と責任が無いと出来ないからだ。地方分権が進まないのは外交下手の精神に起因しているのかもしれない。
 現在の「報」にこのスタンスがあるだろうか。結局「学」にも言えるのだが自ら考えて報道するって姿勢が教育されていない。だから記者クラブのように渡された物を考えもしないで報道する。「ただちに健康に影響は無い」の「ただちに」とは何かを考えない。そのまま垂れ流す。
 20世紀の右肩上がりの日本経済の時代では、物事を先送りすればそれだけ経済の規模が拡大して復旧が容易になる。この時代は21世紀に入って既に過ぎ去っている。即刻手を打たなければ事態は悪化の道を辿る。その基本的発想の転換が必要なのだが官僚機構を筆頭に対応が先延ばしになる。
 残念な事に「報」もそれに準じて結論の先延ばしを「いつものこと」と聞き流す。その姿勢が福島第一原発の報道に色濃く表れていた。
 「報」が自ら考えて危機感を持つこと大切であり、情報源の「かけながし」では国民は健全になりようが無い。
 健全な国民を育成するには、まず「報」の健全化が必要だ。今回の福島第一原発報道、鉢呂経産省失言問題。国民に真実を伝える機能を失った「報」は健全とは言えない。

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2011.09.26 Mint