何故、廃炉にしなかったのか
日本には技術的に実現不可能な「核燃料サイクル構想」がある。もはや意地と建前だけで国民の税金が投入されて行くが、実用化は2050年頃かなぁってしろものである。
アメリカが高速増殖炉の研究を辞める決断をした時に、カーター大統領に経産省の役人が共同でやろうって話じゃなかったのかと持ちかけた。元々軍で原子炉に携わっていたカータ氏は「アメリカは高速増殖炉から手を引くが日本はトリウム原発に方向を変えたら良い」と提言した。しかし、当時の役人には「トリウム原発」なるものが何か解らなくて、日本は孤立してでも意地と建前で「核燃料サイクル構想」に猛進することになった。
実は「核燃料サイクル構想」に似た「原発サイクル構想」がある。
廃炉にした原発は最終処分し、立地していた土地には新しい原発を建てるって構想だ。つまり、既存の原発用地は「建設→稼働→廃炉→跡地に新原発建設」のサイクルを想定している。この「原発サイクル構想」を30年周期と決めておけば、今回の福島第一原発の事故は3号機だけに留まったかもしれない。歴史にIF(イフ)は無いが、国の無作為による先延ばしであったのは事実だろう。国の責任が問われる。
英語では1ジェネレーション(1世代)は30年を表す。
福島第一原発が稼働した40年前(1世代+10年)の技術とはどんなものだったろうか。大阪万博が開かれ「人類の進歩と調和」がスローガンであった。カップヌードルが初めて世に出た。原子力船むつの放射能漏れ事故。アメダスが運用開始。ベトナム戦争終焉。
パソコンの世界では1976年にNECがTK-80を発売した。
そんな時代の技術で作られた原発が現代でも現役なほうがおかしい。
役人の無作為で放置されてきたとしか思えない。現状維持を続けることは、技術について言えば劣化の一途なのだ。それに気がつかない程日本の理工離れが進んだのだろうか。そして小利口ばかりはびこる。
確立された技術、発展する技術
残念なことだが、航空機が現在のように不安無く乗れるようになったのは多くの事故の教訓が生かされたから。もちろん、コンピュータによる自動制御の信頼性の向上も含まれる。そもそも、マイクロソフト・フライトシュミレータでジェット旅客機を手動で飛ばすのは至難の業だ。オートパイロット無しでは飛ばせない。
発電については火力(水蒸気タービン発電)や水力(噴流タービン発電)は確立された技術である。今後、何処に火力、水力の発電設備を建築しても大差は無い。
原子力発電は未だに沸騰水型と加圧水型が混在している。原子力潜水艦や空母の原子炉が沸騰水型なのは小型高性能の特性による。建屋に設置する原子力発電は加圧水型が最適なのだが、技術継承の面とマーケットの広さから原子力発電にも沸騰水炉を使う。
発展する究極の原子力発電は地域分散型のトリウム原発なのだが、実用試験から30年間放置されて、実は1世代過ぎてしまった。
太陽光発電も確立された技術とは言えない。とにかく変換効率が悪い。コンバインド天然ガス火力発電が70%の効率を誇るのだから、せめてこの水準でなければ太陽光発電は太陽エネルギーの無駄使いである。
風力発電は確立されたものだろう。但し、風の吹いている地域から風の吹いていない地域にまで全国に渡って電力融通が出来ない現状を改善しなければエネルギーとしての利用価値は下がる。
当面、電気エネルギーは原発抜きには考えられない。ストレステストなんかうさんくさい。事は単純だ、不足する電力を補うには最新の原発から順に古い原発に向かって再稼働させる。その上で、古くて不要になった原発は廃炉にする。廃炉後の土地にトリウム原発を建設すべく技術開発を今日から始める。実はトリウム原発は確立された技術の範疇に入る。政治的、軍事的に採用されなかっただけで、技術的には高速増殖炉に替わる核サイクルを形成できる原発なのだ。
あとは、高線量の放射能廃棄物を核種変換できる技術の確立だ。これもトリウム原発なら出来る。
当面、20年ほどは天然ガス発電の時代だろう。その間にトリウム原発の実用化が求められる。