政界再編成は国家観を同じくする複数政党が理想

亀井静香氏が暗躍しているようだが
 産経新聞の記事だから多分に憶測が混じっているがTPPでジャブ、消費税増税でストレートのパンチを浴びた反野田佳彦総理の勢力は年末に向けて政界再編成を仕掛けるエナジを高めている。野党だけでは無く与党の民主党も巻き込んだ政界再編成を亀井静香氏は狙っている。
 亀井静香氏の仕掛ける政界再編成は昔のタイガースの「お家騒動」、ま、今ではジャイアンツも該当するのかもしれないが、国会の「お家騒動」程度だろう。
 「がんばれタブチ君」って漫画が昔あって、タイガースのお家騒動も描かれている。
 退任する吉田監督の壮行会を行おうとタブチ君が同僚に声をかけるのだが「俺より給料の多い○○から集めたらどうです」とか「来期の契約が決まった△△が出すべきだ」とかで進められない。で、吉田監督にタブチ君が「監督、話がまとまらなくて..」と言うと、「そうかい、俺はその事情が一番良く解る」と答えるのだが。
 亀井静香氏をタブチ君と比べるのはタブチ君に悪いが、政界のドンキホーテを自認する亀井静香氏らしい立ち回りをしている。
 東京都の石原都知事、愛知の大村知事と名古屋氏の河村たかし市長、状況によって大阪市の橋下(市長)等と連携した新政党を立ち上げるのが亀井静香氏の構想らしい。
 地方自治と連携した国政政党。なんか違うのではないだろうか。
 国政の最低必要条件は国防と外交だ。この領域は地方自治体は手が出ない。日本が国家として世界に対峙し存在を示すのが国防と外交だから。その機能が弱いのはかねてから指摘されている。国政は国内を向くのでは無く国外を向いた政治を行わなければならない。地方自治とは明確に棲み分けなければならない命題が国政にはある。
 つまり、国政を預かる国会議員には明確な国家観が求められる。昨今の言葉で言えば国政CSRである。国家の存在理由を対外的に表明(CSR)できない政治家は、この国家観の無い政治家だろう。そして、多すぎる国会議員の多くは「勝ち馬に乗るにはどうするか」しか考えていない陣笠議員(ググッテ意味を調べよう、死語ですから)だ。
 最低限、自らの考えを情報発信することで国家観を国民に表明する努力は選挙の前後を問わず政治家の正しい政治家活動の基本だろう。

国政から地方へ移籍は人気投票を助長
 アメリカでは州知事経験者が大統領選挙に立候補する例が多い。これはあくまで大統領であって上院や下院の議員は必ずしも地方から国政への流れでは無い。ま、多くは支持団体から押されているのだが。
 日本は議院内閣制なので大統領のように国民が直接選ぶ国政のトップの席は無い。ただ、国政では1議員であっても地方自治では大統領制のように住民の直接選挙でトップが選ばれる。
 国政では将棋の駒でも地方自治に行けば有る意味トップ経営者だ。これに魅力を感じて国政から地方自治に向かったのが愛知県の大村知事であり名古屋市長の河村市長である。だが、これは国政の地方自治介入の悪習を残した。二人とも国政での閉塞感が個人的にそのような行動に走らせたのかもしれないが、国民から見たら国政を担う重圧に屈して敵前逃亡したA級戦犯だ(ま、用語の用法は誤用だが)。
 本来、明確な国家観を持ち国政の場で国防と外交に活躍すべく国会議員を選挙民から預託されたにも関わらず職場放棄してしまった。
 つまり、亀井静香氏が連携しようとしている地方自治のトップは「国内組」なのだ。国政の場では「国際組」を必要としている。残念ながら国際組が世界に通用しない程の弱小ではあるが、強化育成していくことが国是だ。
 内向きの「国内組」は国内組で編成し、あくまで日本の国政に必要な国際組政党の編成が望まれる。国内&国際両道政党なんてのは、結局、どっち付かずで何も出来ない政党になってしまう。
 国政と地方自治には「地方自治→国政」は可、「国政→地方自治」は職場放棄と見るのが筋が通っているだろう。
 国政で適当にテレビに出演して知名度を得て地方自治のトップになる。それで、どんな成果を生むことが出来るのか、大村愛知県知事には着目しているのだが、国政並みのチャランポランしか見えてこない。

「国家観」を発信する政治家
 政治の世界は説得である。「演歌」の語源が政治的アジ演説であったように、明治の時代から日本人は演説が好きであった。現在のカラオケ・ブームはこの日本人の特性に由来しているのだ。そもそも「カラオケ」を発明したのは日本なのだから。もっとも、初期の演説は情報伝達の機能も持っていたので日本人は演説するのも演説を聴くのも好きだった。これが昨今のカラオケと違う所だろう。最近のカラオケが好きって言う人の10人中9人までが自分が唄うのが好きなのだから。カラオケを聞くのが好きって人は希少価値だ。
 政治家が地元で行う国政報告会なるものもこの「演歌」である。政治資金集めが目的化してるが彼らはあくまで「演歌」だと思っている。
 昨今、「演歌」はインターネットに移りつつある。選挙の度にホームページを更新し選挙の事前運動を行っている政治家は多いが当選しても落選しても更新が滞る政治家もこれまた多い。
 積極的に「E-演歌」を行っている政治家を見極めるべきだろう。政治家は次回当選するために存在するのでは無く、在任中にどんな成果を上げるかが勝負だ。その意味で前者の政治家にはこの際、ご退場いただくのが良いだろう。最大の事業仕分け対象なのだ。
 先に書いたように国会議員と地方自治の組長は決定的に担うべき目的が違う。地方自治なら「お伺いを立てる」姿勢で良いが国政では自ら情報発信して国民に防衛と外交を選ばせなくてはいけない。小沢一郎氏の「数の論理」が及ぶ所と及ばないところがあるのだが、小沢一郎氏は全てが「数の論理」と思いこんでいる。それは違う。
 ドイツの宰相であったビスマルクが「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったが、まさに今、学ぶべき歴史は明治維新から日露戦争に至る時代である。
 そこには「数の論理」ではなくて明確な国家観とそれを実行したエリート達が居た。今の財務省官僚のようなエリート気取りでは無くてイギリスのジョンブルに通じるエリートである。
 そのエリート達は明確な国家観を共有していた。高橋是清に代表されるアジアにおける日本の独立の堅持と国際社会へのレビューである。その手段が不平等条約の解消であり国力のデモンストレーションであった。
 国家観を同じくする者が集まり団結したのが明治維新だった。敗れた者もあったし勝利したものもあった。ただ、「ノーサイドにしましょう」見たいな脳天気では無かった。西洋列国と対に渡り合うためにあえて聖徳大使の「和」を超えて内外含めて国家観を持ち寄り集散した。
 自ら情報発信してこその政治家だ。それが「E-演歌」でも。だから、国家観の志を同じくする戦士が集う新しい政界再編債を望む。

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