そろそろ福島第一原発事故を裁判として考える時期(3)

初動体制の過小評価
 アメリカの援助に対して日本政府として断った件は先に書いた。東電に聞いたら自分たちで対処可能と言われたが根拠だが、日本政府を差し置いてアメリカが東電と直談判することも出来ない。
 福島第一原発の主契約者は一号機がアメリカのGE、二号機が東芝+GE、三号機が東芝、4号機(震災時定期点検中)が日立となっている。本来建設が終わって商業運転に入った原発なのだから製造メーカーの責任は補助的なものだが震災後国内メーカは直ちに支援体制を整える。日立の原子力関連研究所は茨城県日立市にあるので震災の影響が出ているかもしれないと東芝(川崎)では日立の4号機も含めた資料を集め支援体制を作った。
 が、待てど暮らせど東電からの支援要請が入らない。東芝から見たら東電はユーザであり顧客だからアメリカのように支援受け入れ要請をするわけにも行かない。当面、待機だがテレビから得られる情報だけでも自分たちに支援要請が来ると確信した。急遽川崎から福島に向けて100名規模の部隊を向かわせた。正式に要請が来たときの即応体制を整えた。
 結局、東電からの要請で東芝が現地の三号機に取り付いたのは3月15日になってから。既に3月14日11時28分に三号機は水素爆発を起こしていた。
 東電が自分たちで対処出来ると判断した根拠は何なのか。根拠無く外部からの支援を受けることにプライドが働いたのか。それとも些末な話で外部に頼むと金がかかるからなのか。
 原発事故では拡大する被害(事故)を初動によって制御することが肝心だ。逆に手が付けられなくなってから元に戻すことはできない。原子力エネルギーは暴走する性質を持っている。宇宙の中で多くの恒星が核分裂、核融合が行われているのが原子力の自然な姿だ。最後は超新星となって爆発するか赤色矮星になる。ひとつとして制御された恒星は無い。自然の摂理は暴走側に倒れるので常に先を読んで制御する必要がある。
 「とにかくたのむ」と言えなかったのが東電の社風としたら、先の東電の勝俣会長を再度A級戦犯としてリストアップしておく。

国策にも関わらず国の無責任
 事件事故が起きた後に「実は私は危険性を知っていた」と意見表明するヒョーロン家が多いが、原子力発電は電力会社の利益確保とアメリカの国策に従った日本の国策によるものだ。原子力関連予算で国民の血税が湯水のように注ぎ込まれているのは周知の事実だ。また、地域独占により電力料金の形で国民が直接費用負担してるのも事実だ。
 原子力平和利用をうたって第二次大戦の原爆投下により被爆した日本人のアレルギーを払拭し原子力発電を推進したのは国策であった。1960年代に電力を安価に得るためには石油火力が一番安かった。将来を見通すと言うが最終処分費用が積算できない現在でも原子力発電が廉価だとは言い難い。但し、研究開発費や最終処分場を国が国民の税金で賄うなら。そして電力事業者は総括原価方式でかかった費用は電気料金に上乗せできるなら、電力会社も協力してもいいよ、って話になる。
 では、何故当時の原油価格と比べて民間ベースで採算に乗らない原子力発電を国策として推進したのか。福島第一原発事故の背景として考えてみたい。
 原子力発電推進の旗を最初に掲げたのは1954年3月に中曽根康弘氏を中心とした国会議員が原子力研究開発予算を要求したのが始まりと言われている。要求予算が23億5千万円なのはウラン235に掛けたシャレである。その後、1955年12月19日に原子力基本法が成立し日本での原子力利用の研究が始まる。1957年11月1日に電力各社と電源開発により日本原子力発電株式会社が設立されたる。
 日本の原子力発電の制約は例えば濃縮ウランはアメリカから70%は購入することとかアメリカ主導の原子力発電である。とりもなおさず、アメリカの国策に追従する形で日本の原子力利用はある。
 ここで問題にしたいのは当初の設計寿命である30年を超えて運用されている原子力発電所の延命策である。機械は設計時に想定寿命が提示される。想定寿命内には致命的な故障を起こさない設計をしなくてはならない。法律には規定は無いが個々の原子力発電所は社会的寿命、経済的寿命、陳腐化寿命等を考慮して経済性を加味して運用される。
 しかし、法律に定めは無くても技術の寿命は30年程度であろう。そのため30年を過ぎた原発は「高経年化対策」として10年毎に評価を行い、それに合格すればさらに10年使い続けることが出来る。それ以外に、原発は法的に定期点検が義務付けられているが、この間隔も2009年の法律改正により13,18,24ヶ月の中から選択される。
 問題は、今回の福島第一原発の稼働からの年月である。
原発稼働日稼働年数
一号機1971/3/2640
二号機1974/7/1837
三号機1976/3/2735
四号機1978/10/1233
五号機1978/4/1833
六号機1979/10/2432

 歴史に「if」は無いが、当初予定通り稼働30年を超えた原子力発電所は廃炉と決めておけば、今回の事故は無かったわけである。その根拠は技術は1世代30年を経て大きく様変わりするってこと。
 例えば、外部電源を引き込む送電線の鉄塔は地震によって倒壊した。この時に発電した電力を送り出す送電系から逆に給電を受ける仕組みは当時の技術では装備されてなかった。また、最新の設計では外部電源系統は2系統以上である。女川原発がそうだ。安全への知見は積み重なるので、古い安全への知見で作られた装置は安全性低下箇所が積み重なり、最後は危険になる。
 経済的に可能でも、常に暴走の要素をはらむ原子力では技術的寿命が何にもまして優先されなければならない。1979年当時と言えばアメリカのアポロ計画で月着陸を人類が成し遂げた時代から10年だが、今の時代に、あの宇宙船に乗って月に向かうのは自殺行為だと誰でも解るだろう。アポロ13号の事故の時は緊急操作手順を口頭で送って宇宙飛行士はマニュアル本の余白に手書きでメモしたのだ。電子メールも高速データ通信も無い時代の技術だった。
 設計寿命を超えて老化した施設を電力会社の都合で延命を認めた国の責任。特に当時の通産大臣もA級戦犯にリストアップされるべきだろう。

国の機関の不勉強
 福島第一原発の事故が起きた時に全電源喪失は「想定外」と言った役人は全てA級戦犯にリストアップして良いだろう。1988年当時、マークT型の致命的欠陥は論文として公表されており、特に全電源喪失時の暴走が問題視されていた。
 この論文を読まなかったとしたら職務怠慢である。日本の停電率とアメリカの停電率を比較して「日本ではありえない」と詭弁を重ねるだけで、「ありえない」事に対処するのになんぼの金がかかると言うのか。1988年時点でマークTの原子炉を持つ全ての原発を「ストレステスト」しておくべきだったのだ。それを「知らなかった」と言う精神が解らない。
 国民の税金で公僕として仕事をしている意識が欠落している。国民を守るのが公僕の使命だが企業の利益に貢献したり、事実をねじ曲げるために国民の税金から給料が出ているのでは無い。勘違いもはなはだしい。
 役人の判断の結果への刑事責任は問えないと法律解釈だが、先の薬害エイズ問題で最高裁は問えると判決している。今回の役人の無作為が国民の生命財産を侵害したのだからA級戦犯にリストアップされて当然だろう。


福島第一原発A級戦犯は現場にも背後にも居る
 ここが複雑な所で、書きは漏れてるなと思うのは、産・学・官・報・財のペンタゴンに代表される「原子力村」の存在。ここにもA級戦犯候補が潜んでいるのだが、具体的な罪状をあげると心情的になるので取り上げない。
 ただ、一つだけ書いておきたいのは電源三法の存在である。その意味で田中角栄をA級戦犯にリストアップしても良いのだが、ちょっと視点を変えてみる。
 この法律は原子力発電に限った法律では無く、電力の安定供給を担保するために制定されたことになっている。原子力発電の立地により地域に雇用と地域振興金が降ってくる。この地域振興金で箱物を沢山作ったり、はたまた、年限が過ぎると減額されるので電力会社に「おねだり」したりと地方自治の組長の二枚舌もA級戦犯だろう。
 福島第一原発の事故対応に追われる作業員の拠点であるJビレッジは誰が何時作ったものか調べるとわかる。「おねだり物件」なのだ。
 で、一番の問題点は電源三法で降ってくる金は「危険手当」ってことを忘れていることだ。誰もやりたがらない危険な作業は「危険手当」を払ってやってもらう。それが電源三法で法律化された「危険手当」だ。
 まともな組長なら危険に備えて必要な措置を講じる。例えば避難用の車両とか原子力除染センターとか。実際は飲み食い宴会とは言わないが関係ない事に使ってしまい、ガイガーカウンターの一つも市町村に装備されていない。これでは「危険手当」を飲み食い宴会に使ったと誹謗されてもしかたないだろう。
 しかも、この飲み食い宴会は立地市町村だけが使えて(ま、周辺地域の定義はまちまちだが)今回、放射性物質が降り注いだ市町村は「危険手当」無しで被曝に晒される。しかも、原発立地市町村は被害者面で、何の「危険手当」が無い市町村に謝りの一言も無い。
 安全神話と一言で片付けられない。危険なものを制御可能たらしめているのは何かの本質を理解しないで大きな被害が出たら原発反対でもなかろう。
 これは先の大東亜戦争にこりて戦争反対を叫ぶけど戦争の本質を学ばない現在までの戦後教育と共通するところがある。人類は第二次大戦以降、知恵を持って紙一重で戦争を避けてきた、技術も同じことが言えて紙一重で事故を避けてきた。それが今の航空機事故の少なさに繋がっている。原発も人類の知恵で紙一重の安全性を保つことが可能だ。それを慢心して努力を怠った例が今回のA級戦犯達の行動に表れている。
 漫然と怠惰に改革を怠っていたうちに、福島第一原発事故という途方もない被害を生じさせてしまったのだ。
 今日漫然と生きたあなたの一日は昨日亡くなった人が必死で生きたいと願った明日であった。
 肝に命じたい。

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