そろそろ福島第一原発事故を裁判として考える時期(2)

初動の誤りは取り返しが付かない
 アメリカの初動体制が大げさに見えたのが日本の対応の拙さにも繋がっているだろう。アメリカの初動対応はアメリカの危機管理のシナリオに準じて行われたと推測される。アメリカが福島第一原発の状況を何処まで把握していたかがポイントになるが、それ以前に「マークTの全電源喪失」でアメリカの危機管理データベースをググッテみれば答えは見つかったのだろう。GEの内部告発でマークT型の全電源喪失時の危険性は1988年頃には既に解っていた。沸騰水型原子炉を潜水艦や空母に搭載して全世界を航行するアメリカ軍にとって他国の領海で原子炉事故を引き起こした場合の危機管理のレベルは日本の原子力発電所の危機管理の比ではない。そのアメリカの初動対応は文字通り世界一だ。
 先にA級戦犯として菅直人総理大臣(当時)の判断ミスを上げたが、その判断ミスを幇助したのが東京電力の役員達だろう。その初動の拙さは、「不在」である。
 3.11当日、清水正孝・東京電力社長は夫人同伴で東大寺(奈良市)のお水取り観賞を予定していた。対外的な発表は「関西財界人との会合」となっているが、アポを入れた痕跡は無い。観光旅行と平城宮跡での平城遷都1300年祭への「電事連会長」としての出席だった。地震発生後、タクシーで愛知(一説には神戸空港)に向かい航空自衛隊小牧基地から輸送機で東京に向かったがその輸送機が引き返し、翌日の12日午前になって民間ヘリをチャータして東京に戻った。
 また勝俣恒久会長も中国出張で東京には居なかった。勝俣恒久会長は大手マスコミの幹部やOBを引き連れてのこれも中国観光旅行であった。しかも、マスコミOBについては旅費の大部分を東電が負担する接待旅行で東京に不在であった。のちに過去も含めた参加者名簿が暴露されると、その中に「週刊文春」元編集長の花田紀凱氏も居た。最近「たかじんのそこまで言って委員会」に出てないのはそのためか。ま、余談だ。
 震災後、北京−成田の直行便を手配したのだが成田が閉鎖中で当日は戻れず、12日の早朝に同行していた副社長の鼓紀男氏と会長秘書の元田宏輝氏がJAL便で帰国した。
 つまり、当事者である東電の幹部は事故当日(3月11日、16:00以降)は不在で、実質指揮権を執れたのは翌日の午後になってからだった。既に最後の砦の一号機のICの稼働時間は終了(操作員が断続的にバルブを閉めていた)しメルトダウンに向かって12時間以上経過している。

「カミソリ勝俣」の院政下の東電
 企業のトップが不在でも企業は動き続ける。これを「事業継続性の担保」と安全管理では言う。危機管理は「想定外」からのアプローチを行うので安全管理とは別な方法論だ。先に書いたアメリカの危機管理は厳密には高度な安全管理の範疇にある。
 71歳の勝俣恒久会長が東電の最高責任者であることは社風面からも間違いない。逆に言えば勝俣恒久会長の逆鱗に触れるような意見は通らない。資源エネルギー庁長官だった石田徹氏を顧問にし、先は副社長に起用する予定も、マスコミから天下りの指摘を受けると勝俣恒久会長は激高して怒鳴り返したと言う。
 そのようなトップが作った社風が危機管理において処理能力を発揮出来ず、しかもトップ待ちの無作為を生んだ。
 最後の砦のIC(アイソレーション・コンデンサー)が稼働中に電源の復旧の目処は無く淡水を注入するがその量には限界がある。海岸に面しているメリットで海水を原子炉圧力容器に注水して核燃料を冷やす準備が急ピッチで進められていた。準備が整い海水注水可能になったのは12日15時頃。ここで海水注入に政府へのお伺いとなる。一刻を争う事故現場で政府の返答待ちの待機が発生した。現場の吉田昌郎・福島第1原発所長は返答を待たずに独断専行で海水注水を始める。本社から海水注入中断の指示が来たが「みんな、これから言うことは聞くな。政府から海水注水を停止しろと言ってきた」と伝えたが海水注入は続行した。
 既に核燃料被覆菅のジルコニュウムと水が反応して水素が発生し一号機は12日15時36分に水素爆発を起こした後ではあったが。
 ここで、経営のトップとしていかなる危機にも対応できる体制を構築しなかった勝俣恒久会長をA級戦犯としてリストアップしておく。他の役員も優柔不断であるが、その社風を作った最高責任者がリストアップされて当然であろう。しかも本来業務と関係の無い接待旅行や慰安旅行で会社を離れた責任も重い。

現場で日々行うべき危機の想定
 何故原発は海岸線に立地されるのだろうか。海外では河川敷を利用した内陸型の原発も多い。原発は運転中はCO2を出さないと言われているが、運転中は熱をいっぱい出している。現在の原発の安全性を考えると発電用のタービンで利用される水蒸気の温度と圧力には上限があり、発電効率は30%程度である。
 天然ガスコンバインド発電だと70%の高効率でエネルギーを電気に変換できる。これは高温・高圧の水蒸気を作って、これに耐えうる材質があるから。原発は原子炉で水を温めて水蒸気を作るので原子炉の温度や圧力の耐性に限界があり無制限に高くできない。原子炉で作られたエネルギーの30%程が電気に変換され残りに70%のエネルギーは温排水として海に捨てられる。
 つまり、原発はCO2を出さないが温排水を出す。地球温暖化防止にCO2を出さない原発が一役買うような誤解があるが、温排水で海を暖めてしっかり地球を温暖化し、なおかつ海水の温度を上げることにより海水に溶け込んでいたCO2を大気中に戻している。原発が地球温暖化防止に貢献してるとは作られた都市伝説である。
 この原発の燃料棒が高温になりジルコニュウムと水蒸気が反応して水素の発生、その水素が格納容器の外部に漏れての爆発による建屋の損傷、たぶん、圧力容器や格納容器に出入りするパイプは損傷しており、そこから放射性気体が今も漏れていると思われる。
 核燃料のメルトダウンに伴って水素爆発が起きるってのは東電のマニュアルに無かったようだ。吉田昌郎・福島第1原発所長も福島第一原発の一号機が水素爆発を起こした時に免震棟に居て、何が起きたか把握できなかったと語っている。
 全電源喪失でもIC(アイソレーション・カウンター)が動いて最後の砦の役割を果たしてくれる。その稼働時間内に電源復旧は可能。との「想定外」と言うより「判断ミス」が今回の事故の拡大につながった。アメリカ軍は続く水素爆発を想定していたようだ。ただ、建屋が「放射能を閉じこめる」構造で建屋には水素のベント機能が無いので、アメリカ軍としても充満した水素ガスを抜く手段は無かっただろう。
 現場で頑張っている吉田昌郎・福島第1原発所長には気の毒だが、日々の作業と非常時を想定する想像力において危険箇所を把握し事前に的確に対処を具申をしていなかった面で彼もA級戦犯に名を連ねることになる。


拡散する放射性物質からの退避
 福島第一原発の事故が国に通報されてから菅直人総理大臣(当時)はベントしろベントしろと叫び続けた。まだ、IC(アイソレーション・コンデンサー)が機能しているにも関わらずだ。
 原子炉の圧力容器の圧力を抜くのがベントだ。圧力容易の中の圧力源は水蒸気である。ベントの方法にも数種類あるが最初はウエット・ベントと呼ばれる手法を使う。圧力容器内の水蒸気を格納容器の下にあるドーナツ状の調整タンクを経由して外部に抜く。この方法だと水蒸気が調整タンクで冷やされて放出される気体の体積が減少するのと含まれる放射性物質がタンクに留まり外部に漏れる割合が減少する。
 この「ベントしろ」は福島第一原発の一号機の水素爆発以前の発言であり、翌日(12日)の早朝に菅直人総理大臣(当時)がヘリで現地に乗り込む以前に発せられていた。当時、周辺住民には11日19:03半径3km以内に退避指示、3km〜10km屋内退避。12日5:44には半径10km圏内に退避指示、18:25には10〜20kmに退避指示が出されていた。実際に20km圏内の住民の退避完了が確認されたのが15日の14:00頃である。
 つまり、周辺住民の被曝よりも原子炉の爆発(実際には考えにくいのだが。後述)を恐れて放射性物質を放出しろと総理大臣命令を出していたわけだ。しかも、同心円に退避範囲を決めSPEEDIの予測は見てもいない。そのため、12日の一号機の水素爆発以降、放射性物質が降り注ぐ経路に従って避難する非合理的な事が起きた。
 ベントよりも海水注入に全力をあげるべきであったのだが現場の作業を振り回して的確な措置を妨げた菅直人総理大臣(当時)は再度A級戦犯にリストアップされる。
※圧力容器、もしくは格納容器が水素爆発もしくは水蒸気爆発で吹き飛ぶ可能性は少ない。当時の状況では徐々に圧力が上がり配管接合部から漏れ始める。現に水素ガスはこのような仕組みで漏れた。仮に爆発しても構造上上部に抜けて周辺での作業員をなぎ倒すなんて爆発にはならないように設計されている。現に1号機や3号機の水素爆発の映像を見ると垂直に抜けている。設計時の構造強度に沿っていることが解る。
 さらにその(3)へ続く。

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