日本の官僚支配はギリシャを超え国家存続の危機

律令国家の正当性
 人類の歴史の中で「国家」の概念は比較的新しい。世界的にはギリシャのアテネあたりが「国家」のルーツだろうか。日本では大化の改新が日本が「国家」たる原点と言われる。
 古代では「国家」の概念は領土の明記(地図)、国家建立の歴史と現在の支配者の正当性(履歴書)、運営の仕組み(経理簿)あたりがあれば「国家」として成り立った。
 逆に部族の長が支配する地域は国家では無く国家を構成する部品であり必ずしも国家と比べて継続性があるとは認められなかった。
 この中で「経理簿」の仕組みが現在まで1500年を経てもなお様々な形態が存在する。アラブの王様がオイルマネーを供出して「収入の部」に計上する方法から律令制(納税制)により「収入の部」に計上する方法まで千差万別である。背景にある宗教観も含めて金に関する概念が多様なことの要因だが、一般的には税金の徴収による国家運営が定着している。
 国民が憲法に定められた(保証された)生活を営むには実現のために費用がかかり、国民は何らかの方法で費用の拠出が必要である。そのために
1)「国家」は税金を徴収して、その運営費に充てる。が律令国家の基本理念だろう。
 これが拡大して、国家の経済を発展させると資本本位制の経済社会では富の格差が発生する。弱者を生みやすい資本本位制の経済社会では
2)富の再配分の機能も律令制に組み込まれる。
 ここで出てくるのが大きな政府と小さな政府の議論になる。上記の2)を拡充(拡大解釈)すると何事にも国家が手を突っ込むことになり、国家の経理簿は大きな金額を扱うことになる。一方、1)であれば、さほど拡大解釈の余地は無く、国家の経理簿は2)に比べて少額を扱うことになる。
 しかし、1)であっても2)であっても必要な費用の執行には事務費が伴う。それが公務員であり、先のギリシャでは国民の10%が事務を行う公務員で、労働人口と対比すれば20%の労働者が公務員である。しかも、政府の支出の40%が年金も含めた事務費になっている。
 国家の方向が1)であれ2)であれ、公務員は増殖する。この様を述べたのが「パーキンソンの法則」である。
 第一法則は仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張するであり第二法則は、支出の額は、収入の額に達するまで膨張するである。
 つまり、公務員に当てはめると予算は消化できるまで拡張させる(第一)、赤字国債が発行できればそれに見合った官僚組織の拡大を目指す。である。

日本では数では無くて額の官僚支配
 日本は国家として上記の2)であることはいなめない。何故なら先の大東亜戦争(日本国政府使用名称)の敗戦から経済を立ち直らせるために資本本位制の経済を極限まで高めるためには2)の対応が必要だったから。それ自体、国家運営の是非を論じる以前の問題だろう。
 但し、国家の律令制に組み込まれた富の再配分実施のための「事務費」は公務員で賄うのでパーキンソンの法則による公務員の増大がついて回る。最悪なのは外郭団体を多数立ち上げて相互に仕事を造り合い国民に向けて使われない事務費すら増大する。
 一例をあげれば、今回の消費税増税に伴う事務費の増加が現行の消費税徴集事務費と同じ割合で増大すると予算化している点だ。消費税が5%から10%に増加したら事務費が倍増するって感覚は何処から出てくるのか。コンピュータの「税率」ってパラメータを5から10にするだけだろう。誰に恥じることもなく「試算」では事務費が倍増するって言ってくる感覚はおかしいのだが。
 先のパーキンソンの法則ではないが、日本では集めた税金の再配分に政治家が関与するが実際には官僚が用意した枠(予算枠)で作られた利権を政治家と共有すると表現するのが正しいだろう。その証拠に政権交代したにも関わらず民主党が目指した脱官僚は進まない。これは、政治家が日本を支配しているのでは無く、官僚が日本を支配し、その構造の上に政治家が乗っかっているだけだった事の証左だ。これが解っただけでも政権交代に意味はあったのだが。
 律令国家の名の下に集められた税金が官僚の手のひらで細工されている。そして、足りなくなれば消費税増税等で時間と金の枠を用意し、それが満たされるまで組織の拡大を続ける。それを養護するために政治家を利用する。まさに、パーキンソンの第一法則そのものである。

立法府と行政府を絶つのが国の行き先
 上記の構造が明らかになったが、その構造は何時の時代から日本に浸透してきたのか。実は戦後の経済復興の成功とともに官僚支配が拡大し右肩上がりの経済がそれを支えたと言える。多少の官僚の采配ミスによる税金の無駄遣いも放置しておけば経済が拡大し負債額は実質目減りする。公共工事が想定工事費を大幅に増えても、原因はインフレとして当初の積算の誤りを追求されるのを逃れることができる。
 そして、経済の拡大こそが政治の主たるテーマで有ったから官僚と政治家の二人三脚は上手く機能した。大事なのは経済を中心とした時代背景がこのような構造の培養土だったってことだ。
 日本の経済が無限大で拡大する訳では無い。世界経済も製造から金融にシフトして今までの工業社会では発生しなかった新たなリスクへの対応に四苦八苦している。日本を取り巻く環境が官僚と政治家の二人三脚で進めて成功した時代と大きく変わっている。
 そもそも議院内閣制では官僚と政治家の二人三脚が起きやすい。先輩格のイギリスで議院内閣制が高度に機能しているのは、官僚(行政府)と政治家(立法府)の間に壁を設けて相互依存体質を作らないように配慮しているから。厳密に三権分離を実現するためには三者の間に強固な壁が無ければならない。その壁が相互睨みの構造を造り三権が独立して切磋琢磨し競争原理が発揮されるのだ。
 そこで、政治の構造を大きく変える必要がある。既存の自民党が作った政治の構造をそのまま世襲して民主党が椅子へ着席することが政権交代では無いだろう。新たな椅子のレイアウトを造り、椅子を再配置することが本当の政権交代の効果だ。
 民主党は江戸時代のお城に引っ越しただけだったから自民党に同化するだけになる。近代的なインテリジェント・ビルを建てて、そこに引っ越さなければ政権交代による改革は起きえない。
 政界再編成のトリガーが引かれたが、一度遠心力で飛び散った政界は、今後「みんなの党」を核にして再編成されるだろう。
 それが、日本をギリシャにしない最後の砦だ。

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2011.12.28 Mint