衆議院解散をちらつかせての通常国会
極論だが、今年の通常国会は民主党が政権を担っての最後の通常国会になると予言する。もはや、自民党政権から政権交代した民主党に政権維持の力は無い。
寄せ集め集団の民主党が政権交代時に一番配慮しなくてはいけなかった事は、それまでの野党根性の一新であった。つまり、党内の多様な意見は個人の胸に仕舞って、国政を担う責任の意識を持つことだ。残念ながら当時の鳩山由紀夫総理大臣にはその意識が無かった。だから政治資金の「子ども手当」とか「最低でも県外」とかのしがらいみを切れなかった。「全て野党故の脇の甘さだった。責任を痛感するとともに、与党としてしっかり国政に対処したい」なんて発言があれば良かったのだが、その発想が無いのか事態の収拾に手こずる。
野田佳彦総理大臣は党内をまとめるリーダーシップ、国会運営を円滑にするリーダーシップ、共に欠けている。基本的な立ち位置は官僚の決めたシナリオの追従だ。
国家の運営は企業の経営者が抱える問題意識と違った運営が必要になる。律令国家を支える税金は国家運営の必要経費だ。その収益源は民間企業や国民の所得に応じて徴収する。富の再配分が律令国家の基本でなければならない。
社会主義でも何でも無い。国家の運営は市場原理により富の集中に走る資本本位経済国家の流れを抑制する方向にはたらくべきなのだ。
その意味では消費税は富の再配分に一番遠い税金の徴収方式だ。取りやすいところから税金を徴収するって考え方そものが「富の再配分」に反する国家運営の最大の過ちだ。それを選挙のネタにする感覚は民主主義と律令国家に反逆する国民への冒涜政策と言わざるを得ない。
戦わない民主主義が戦後政治の誤り
戦後復興は白洲次郎のような優れた官僚のリーダーシップによるって考え方が広まっているが、実は官僚による経済先導は傾斜経済政策までだ。戦後復興に向けて何もかも失った日本には「選択と集中」しか選択肢が無かった。だから、傾斜経済で復興を成し遂げたのだが、結果論としてではあるが、これしか選択肢は無かった。
その後の自動車業界再編成、コンピュータ業界再編成、YS-11の国産旅客機計画と、ことごとく失敗した。結局、政治家の既得権益造りに悪のりしたのが戦後の経済政策だろう。
それがまさに破綻しているのが現在の日本の経済政策だ。官僚が作ったシナリオに政治が振り回されているのだが、官僚は既得権益は政治家の意向なのか温存し、増勢も産業改革には手を染めず、消費税だタバコ税だと取りやすい所にばかり着目する。
これからの世界の動向を見据えれば、発展する産業は1)エネルギー需要への対応、2)農業生産性の向上、そして先進国の少子高齢化を見れば3)医療の分野である。
この分野の産業を育成し国際的に打って出るのが日本のこれからの産業政策に必須だ。しかし、そのためには戦わなくてはならない。
1)は原子力村との戦い、2)はJA(農協)との戦い、3)は日本医師会との戦いが必要である。戦いってのは過激な表現かも知れないが既得権益のフィールドでの「選択と集中」が必要になる。その分野との戦いを避けているから結局消費税増税に陥る。
長年の既得権益の「むら」と戦わなくては新しい産業構造は生まれない。新しい産業構造の構築無くして日本の経済の閉塞感を脱し得ない。戦わない民主主義が現在の民主党に政権交代しても続く閉塞感の元凶だ。
消費税を政策に衆議院の解散を行うのは大いに歓迎だ。そして、戦う民主主義の原点に着目すれば「みんなの党」の一人勝ちも、これまた既に見えている。
民主党の一番駄目な所は、既存の「むら」の解体が産業再生に必要なのだと気がつく議員が居なかった(既に、過去形にしておく)ところだろう。