結局、政治家の関心事は選挙での当選のみ
議院内閣制の日本では国会(立法府)で数を集めれば内閣(行政府)を組織できる。本来、国のありかたを語る立法府であるが、実際には立法府の最大勢力が国の運営も同時に担う矛盾が議院内閣制には潜在的に存在する課題だ。
議院内閣制での政治家の関心事は「利権」に代表される行政府の税金配分への関与だ。別に政治家が金儲けを目的としているのでは無い。税金配分に主導的役割を演じることが次の選挙での当選に繋がるからだ。
つまり、天下国家は政治家の関心事からかけ離れて、次の選挙での当選にしか意識が行かない。いわゆる「地盤、看板、鞄」の拡充が政治活動の主流になっているのだ。
ステロタイプに批判したくは無いが、多くの政治家は天下国家は官僚に任せて自分は次の選挙での当選のみに意識が行っているのだろう。だから、特に内閣から距離のある野党では選挙対策以外の意識は拡充しない。それが、民主党政権のここ数年の活動に如実に表れている。加えて、小泉純一郎以降の自民党の政権でも同じ事が生じている。
もはや政治家は民主主義の手段である選挙に特化した政治屋集団になっているのだ。そこには国家観は無く、国民が期待するのは選挙対策でばらまかれる税金の再配分の恩恵にあずかれることだけだ。しかも、それは一部の利権を獲得した国民に限られるのだが。
そもそも、定数まで政治家を選ぶ必要があるのか。旧来のいわゆる陣笠議員で数を揃えておけば健全な民主主義なのか。実は、日本の議院内閣制の課題はここにある。立法する技術も度量も無い国会議員が烏合の衆となり政党や政党内でグループを形成し、結局、選挙民から預託された事項の実現の責任をうやむやにしてしまう。言い方を変えると責任者を不明確にしておけば、次回の選挙で責任を追求されずに当選を繰り返す手法になる。
そして代々受け継がれ、マンネリ手法で積み重ねた「地盤・看板・鞄」で親子孫三大政治屋なんて議員が生まれてくる。
そもそも「地盤」が議員に有利なのは、同じ「地盤」で地方選組長、地方選議会議員、参議院選、衆議院選と一粒で4回おいしい機能を発揮する点だ。一度当選すると他の3回の選挙への影響力を得られる訳だ。そのためだけに政治屋をやっている議員も多数散見される。
国務大臣が勤まらない議員は即刻馘首(クビ)
人材が居ないのか、はたまた人材が薄いのか、民主党が繰り出す国務大臣は適格性に欠ける政治家ばかりが出てくる。あえて、絞り込んで適格性の無い国会議員を選んでるとは思えないので、誰が勤めても今の国会議員に国務大臣が務まる器は居ないってことだろう。
昔は、シャドーキャビネットとして政権交代に備えて経験を積み重ねる余地があったが、毎年、下手すると数ヶ月で入れ替えでは次のポストに就いて席を温める暇もない。即戦力の国務大臣が枯渇しているのだ。ならば、小泉純一郎氏のように民間人の国務大臣への登用を行えば良いが、民主党はその人脈すら持ち合わせていない。
議院内閣制の制度の下では国会議員は国務大臣の即戦力でなければならない。専門分野があるからオールラウンドに対応できるのは難しいが、複数分野の国務大臣が務まる度量を兼ね備えなくては選挙に立候補すべきで無く、国民も代表として選ばないことだ。
それを可能にするには、現在の野党分の議席数を廃止すべきだ。歳費の削減や定数削減は思い切りやれば良い。国政になんら責任を持たない立ち位置の国会議員は不要だ。議員内閣制の議会では副大臣程度でも務まらないような議員は不要だから、現在の半分は「野党に安住」なんだから切り捨てて良い。これが国会の無駄なのだ。
地域を代表する地盤も廃止すべきだ。先に述べたように4回おいしい政治屋の肥やしになっている。マスメディアやネットが普及した時代にアメリカの大統領選挙みたいに地方で取りまとめて国政へって考えは前近代的だ。全国一律立候補地で良い。投票の結果上位250名を国会議員とすれば良い。ついでに、参議院と同日選挙にして、参議院の廃止も含めた制度改革も一気に行えるようにする。新しい国政を造るとともに、地域に根ざした地方自治は現行の方式で選挙を行う。
これくらいの船中八策が無ければ日本の政治の洗濯は進まない。