政治屋は「へそから下だけ」の存在

「迷言」、『へそから下』
 地方の活性化ってテーマで様々な所に呼ばれていた時期があり、その中で知り合った友人のエピソード。地元の地域おこしのメンバーを集めての講演会で彼は熱いハートは解るが知恵が足りないと言いたくて『今までの活動は首から下しか無い』と言う所を間違って『今までの活動はヘソから下しか無い』と言ってしまったのだが会場から妙に受けて訂正もしなかった。
 講演会が終わって懇親会になった時に地元の若手数人に取り囲まれて「さっきの発言はなんだ。人をバカにしてるのか」と詰め寄られた。そこで、真意をはなし「迷言」を詫びたが二度と呼ばれることは無かったとの話。
 ま、ヘソから下は言い過ぎにしても、今の政治家に首から上は無いのではないか。頭脳もさることながら説明責任の口(弁論)も無い。国民の意向を聞き取る耳も無い。そもそも数の論理で政党幹部の意向ばかり見て、ヒラメの上しか見えない目になっている。なおかつ田中防衛大臣に代表されるような空気を読む嗅覚すらも無い。
 では、何があるかと言えば「地盤・看板・鞄」の選挙向け三種の神器だ。経済成長が右肩上がりの時代には負の遺産は塩漬けしておけばインフレが進み負の遺産の実質的規模が縮小し解決は容易になる。先延ばしが最大の賢い政策だった。しかし、デフレの経済状況に陥ると先延ばしすればする程、負の遺産は拡大し、ついには福島第一原発の例のように制御不能に陥る。デフレの経済時こそ政治が主導的役割を果たさなければいけないのだが、政治が本来持つべき機能は長期政権の間に与野党とも首から上の重要性よりも「地盤・看板・鞄」のみ重要な世界に陥ってしまった。日本の議会制民主主義は政治の不作為が随所に見られる失敗民主主義に陥ってしまった。

首から上の機能を補完するもの
 実質的に官僚主導になるのは、政治家が首から上を失った隙間に制度的に無理なくはまるのが内閣府であり、内閣の実質的構成員である官僚であった。逆に官僚以外、政治家の首から上の機能を発揮できる仕組みは「今までは」無かった。
 立法府のトップが行政府のトップに就任する議員内閣制における政治家と官僚の癒着(これを昨今のトレンドで表現すれば「政治村の形成」)が起きたのは必然だった。しかし、同じ議員内閣制のイギリスでは日本で起きているような政治家と官僚のもたれあいは起きていない。
 大きな理由はイギリスでは立法府から行政府を担うようになった国家議員と立法府に留まった国会議員の間に大きな壁を設けたことだろう。政治家の口利きは通用しない。政治家は行政に口を出す存在では無く、立法権を武器に国家の行く末を決定する任務を担っている。
 そのためイギリスでは、日本では信じられないことだが野党が政策立案する時に行政府から資料を取り寄せたり、一部の官僚を使って立法活動を行う予算が計上されている。行政府を担う与党は現状肯定側に立ち位置があるので、この与党では出来ない改革を担うのが野党の最大の使命と位置づけられる。与党が立法するのでは無く野党が立法する。これは、議会が国民目線であり続けるために必須の機能だ。日本の国会議員は首から下しか無いので目(国民目線)の機能が無いのだ。
 野党の立法行為は国会で「数の論理」で否決する前に、国民への説明と国民の意向調査が行われる。これも首から下しか無い日本では口(議論)が無いので実現しない機能だ。

当面の首から上の機能
 アメリカでも政策スタッフは大統領のブレインとして存在するが大統領が替わると総入れ替えになる。日本の場合は公務員である官僚が総理大臣のブレインなので政権が交代したり、総理大臣が交代しても総入れ替えは無い。自民党長期政権が実質官僚統治政権であったことは、政権交代して新たな総理大臣が選ばれても総理大臣の所信表明演説の内容がほとんど変わらないことでも明らかだ。
 官僚の書いた作文を読み上げているのが総理大臣の所信表明演説だ。特に野田佳彦総理大臣にこの傾向が顕著なので国民は気が付いただろう。
 首から上の機能を個々の政治家の政策スタッフ(公設、私設秘書)に担わせるのも難しい。彼らは地元対策とか、とりあえずは次回の選挙対策に向けた要員なのだから。
 そこで日本国憲法に明文化されていない『政党』の登場だろう。政党助成金を止めて政党政策委員制度を発足させ、これに現行の政党助成金を使う。もちろん、収支は全て公開させる。任期は衆議院議員任期と同じとし、常勤・非常勤は問わないが常勤事務職は個々の国会議員の秘書をあてる。常勤政策スタッフは現行の天下り人事に代えて、任期未定でも常勤で働きたい官僚も採用する。政治家志願の議員秘書も期間限定で、この政党政策委員会に所属できる。他に、非常勤スタッフは個別委員会メンバーや地方議会議員および議員予備軍をあてる。
 一番大事なことは衆議院議員任期とともに任期を終了するって大原則だ。
 これで官僚(行政府)と議員(立法府)の間に壁を構築できる。地元に公共事業を持ってくるなら法律で決めれば良い。議員の口利きで行政府が動いたら全て収賄である。

最終的な首から上の機能
 上記の改革と平行して長期的には地域への権限委譲と国防と外交のみを目指した中央政府の建立だろう。
 現在の「地盤・看板・鞄」の利用価値は、衆議院選挙、参議院選挙、組長選挙、地方議会選挙と4度おいしい機能だ。だから政治家の関心を他の選挙に向かわせる要因の一つだ。これは解消する。固定の地盤制度を無くせば良い。国政は全て全国1選挙区。投票所はネットで結ばれ投票用紙の開票・集計なんて作業は自動化する。逆に、地方自治は地盤を残す。
 そして、最終的な首から上の機能は国民が担う。今までの「お任せ民主主義」が何故起きたのかを考えると政治の「見える化」を政治家も官僚も意図的に戦略的に避けてきたからだ。自分たちの「ムラ」にはよそ者(本来、これは非民主主義なのだが)を入れない。そのためには徹底した情報管制だ。基礎的データを「ムラ」だけが知っているものにしておけば良い。基礎的データを持たない部外者の政策提言は簡単に論破できる。それが「ムラ」の結束強化にもつながる。
 政治を「見える化」して「お任せ民主主義」を打破するには「ムラ」を解体できる政治家が必要だ。しかし、現在の政治家は「ムラ」の構成員であったりする。
 制度・仕組みを変えなくては首から上は国民のものにならない。だから、今の政治家は「ヘソから下だけ」と思っていたほうが良い。期待すると失望も大きい、期待しないで次代を担う変革の政治家を見つける目を養うことだろう。大切な着眼点は、現在の政治家は全員「ヘソから下だけ」だってことだ。前回投票した国会議員には投票しない。ここから新しい政治が始まる。

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