橋下流政治手法は弁護士流、裁判官感覚が課題

弁護士出身の政治家は多いが??
 旧来の日本軍が転進(撤退)を余儀なくされた理由の中に「逐次投入戦略」がある。相手の出方(攻撃)に応じて個別に逐次兵力を投入する手法でガダルカナル島攻防戦で手痛い敗北を長期に渡って繰り返したのはこの戦法による。
 失敗に終わったとは言え、ミッドウェイ海戦などは非常に戦略的な作戦であったことを考えると、守りに回った瞬間に消極的逐次投入形に戦法が変わるのは世の東西を問わないのかもしれない。但し、政治の世界は永遠に勝敗の決しないスパイラルだから中長期的には戦略的発想を持たなければ短期の局地戦での戦いに陥ってしまう。そのために政治家は国家観を持ち、それを拠り所に戦略的政策を立案しなければならないとは何時もここで書いていることだ。
 政治の世界には元官僚や弁護士が多いが、所属政党によらず一種共通する政治手法がある。今回は橋下徹大阪市長の話を書きたいので弁護師政治家の政治手法について絞り込む。後述するが司法試験に合格して司法修習生を経て裁判官、弁護士、検察官などに進む。このなかで裁判官から弁護士になったり検察官から弁護士になったり移動はあるが、有る意味、法律を中心に三角関係で良い意味での相互牽制を構成するのが司法研修生の行き先だ。
 弁護士出身の政治家の中で橋下徹大阪市長のかねてからの手法は弁護士そのものだ。ステロタイプに全弁護士出身政治家を語るつもりは無いので、以下は橋下徹大阪市長に死亡っての話し。
 弁護士は依頼人の利益のために法律の解釈を進める。過去の判例や法律条文の解釈を少しでも依頼人の利益に繋がるように論点を整理する。そして橋下徹大阪市長の依頼人は自分自身である。だから、100%依頼人の希望を最初に打ち出す。実現可能性が50%であっても、、ずは100%を打ち出す。その最たるものが「1万パーセント出馬はない」の発言にあるように常に可能性をパーセントで考える思考方法だ。
 Yes or Noでは無い。あくまで自分の主張が実現性との間で乖離があってもとりあえず100%を打ち出すって政治手法だ。

弁護士=言い訳師だと思って良い
 弁護士などと呼ぶと仰々しいが、所詮「言い訳師」である。刑事事件であれば証拠が出尽くしていれば情に関する部分で「言い訳師」は活躍する。殺人事件などでは実際に殺人が起きていても依頼人の殺意の有無が「言い訳師」の争点になる。
 翻って橋下徹大阪市長の(ま、以後、維新の会代表とする)「維新八策」は、まさに、現在の政治の閉塞感に不満を持っている市民に対するアジテートである。しかも先に書いたように100%をぶちまけている。実現可能性なんてこれから考える。裁判で言えば、とりあえずの口頭弁論である。柔軟取り混ぜて土俵範囲を明らかにする。今回の「維新八策」は大風呂敷の土俵だ。だから、橋下徹維新の会代表にとっては200%でも300%でも広げるだけ広げておく。
 既存の政党はこれに対して「憲法改正が必要だから不可能」などとコメントする。既に橋下徹維新の会代表の土俵に取り込まれているのだ。
 一般的に口頭弁論に一つ一つ反論して潰していく方法を裁判では取らない。罪状を決定するに足る証拠、その証拠の解釈にのみ着目すれば判決は導き出されるからだ。だから裁判では「事実関係」の用語を使う。弁護士(言い訳師)が「真実はこうだ」と言ってもそれを認めるに足る状況が無ければ「事実関係」は成立せず判決には繋がらない。
 余談だが、ダウンタウンの松本人志氏が教室でゴミ箱を蹴った所を教師に見つかり、職員室に呼ばれて「なぁ、松本。なんでゴミ箱を蹴ったんだ」と聞かれ「蹴りたかったんです」と答えると「そんな事は無いだろう」としつこく聞かれ「寂しかったんです」と言うと放免された事がある。真実は「蹴りたかった」のだが事実関係は「寂しかった」ってことだ。
 話が逸れた。
 何でもありのてんこもり維新八策に個別に反論する(例えば、憲法改正が必要云々)必要は無い。個別反論する政治家は既に自らが政治屋でしか無いことを吐露してるようなものだ。
 これから、橋下徹維新の会代表には個別に説明する説明責任が発生するのだから、それを聞けば良い。実は政治家は現状を打破する手法をぶち上げたら、その実現方法を説明する説明責任を負う。これが弁護士と政治家の違いだ。弁護士は判決を依頼人に有利に導き出せばそれで良いが、政治家は最終的に実現してナンボの世界なのだから。

裁判は裁判長の事実関係認定で決する
 てんこもり維新八策をぶちあげた橋下徹維新の会代表はばくちを打ったようなものだ。
 実現不可能との酷評には弁護士独特の「言い訳師」で反論できる。先の憲法改正が必要って感覚は政治屋の固定観念で、国会で現憲法を否決するには過半数の議決で良い。憲法改正方法は明文化されているが、憲法廃棄規定は無い。廃棄を改訂の一部と見るか、改訂とはまったくの別な作用と見るかの発想の違いだ。参議院の廃止も憲法の改正を必要としない。参議院の議員定数を毎選挙毎に半減するって法律を作れば良い。議員定数は憲法に明記されていない。最後に一人になったら議員定数をゼロとする法律を作れば良い。参議院は残る、参議院議員は居なくなる。
 ばくちの場はそんな個別のことでは無い。国民の支持が得られるかが最大のばくちだ。例えば「地方交付金の廃止」がある。地方交付金が存在するのは日本国の中で地域格差を是正するために都市に集中する富を再配分する仕組みだ。(その運用に潜む個々の矛盾は置いておいて)この仕組みを廃止するには補完する具体策が必要だが、それが無い。
 先に書いたが弁護士は100%の弁論に対して何パーセント実現させたかで成果を測れるが、政治家はスローガンをぶち上げても実現方策を明示しなければただの寝言だ。坂本龍馬は船中八策で国家像を描いている。残念ながら橋下徹維新の会代表の維新八朔は個別の条文は沢山あるが国家像が描けていない。この欠陥に国民が気が付くかどうかが維新の会の最大のばくちである。
 あるべき国家像からスタートして作成された坂本龍馬の船中八策、方や、現状の矛盾から積み重ねた維新の会の維新八策。手法が180度違うので結果も180度違うだろう。橋下流に言えば手法が100%違うから対応も100%違うってあたりか。
 裁判は弁護士だけで行われるものでは無い。先に述べたように検察と裁判官が同じ土俵に居る。ある意味、裁判の場では裁判官は一段上に居るかもしれない。で、今回の維新八策は裁判官にどう見えるか。もちろん、この場合の裁判官は有権者である。
 橋下徹維新の会代表が抱える有権者は大阪市だけである。過去、大阪(市&府、近畿ブロック)は横山ノック、辻本清美氏、西川きよし氏、松浪健四郎氏とユニークな国会議員を生み出してきた地区だ。はたして全国区も同じなのか。少し上品な横山ノックが出てきたなぁくらいにしか見えないのだが。地裁で勝っても高裁や最高裁では無理だろう。

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2012.02.21 Mint