原発再稼働は国の専権事項、責任を果たすのが政治

夏場の電力不足は確実だが
 原子力発電所による発電が北海道の泊3号機を残してすべて停止した。定期点検を終了して再稼働を待っている原発が再稼働しない場合、夏の電力不足は必須だ。火力を利用すれば不足は無いとか机上の計算を述べる評論家は多いが、全ての発電所には定期点検が必要で設備規模の単純な足し算では発電量は求められない。稼働率が重要になる。また、揚水発電まで足してしまう計算を根拠にしている場合があるが、これは原発の夜間に余った電力の補完機能で火力の出力を絞らないで夜間揚水するのは現実的では無い。
 原子力発電プラントは何処もここも福島第一原発のように地震や津波に弱いのか、事故が起きれば福島第一原発と同じ被害を起こすのか。残念ながら明確な答えは無い。何でも「想定外と言うな」と言われて「隕石が落ちることまで想定するのか」との反論があったが、ガキの喧嘩じゃないのだから、原子力発電プラントの本質を科学的に論じる必要があるだろう。
 この方面では事故後速やかに提示された大前研一氏のリポートがある。事故が何に起因するかでは無く、何があっても安全に停止(冷温停止)に持って行くことを絶対条件にした安全策のありかただ。
 福島第一原発は地震と続いて起きた津波による被害で事故を引き起こした。では、他の原発は地震や津波に対して安全なのかを審理しても意味がない。そもそも、福島第一原発では地震時に一部の配管(重要配管か附属的配管かは明確では無い)からの漏水が報告されている。また、津波に関しては防潮堤を乗り越えたのもさることながら、河川を逆流した津波が原発敷地側面から流入して浸水したのが実態である。津波の高さを想定して防潮堤はそれに耐えうるかなんて安全対策は愚問である。想定すべきは地震や津波対策では無く、基本的問題としてどこまで冷温停止到達が保証されるかだ。
 その意味では、IC(アイソレーション・コンデンサー)やRCIC(原子炉隔離時冷却系)の最後の砦である炉心冷却機能が働いている間に海水注入を開始出来るかだ。現在の危機マニュアルでは最後の砦のICやRCICが機能終了したら海水注入となっている。ICやRCICに頼らなくてはならなくなったら即、海水注入とマニュアルは改めるべきだろう。
 また、最後の砦であるICやICRCの正確な操作手順を訓練を通して教育しておくのも必須である。
 福島第一原発の事故原因の究明は、福島第一原発型の事故への教訓とはなるが、基本は何が起きても原子炉の冷温停止を保証する仕組みの構築だ。これなくて再稼働はありえない。ヨーロッパで作られたストレステストに合格すれば日本の原発は安全であるってのはまったくの誤解、いや勘違いなのだ。

何でも神話で片付けてはいけない
 日本は神の国だから何でも神話なのかもしれないが、科学は神話では無く事実の積み重ねだ。そもそも世の中には絶対安全なんてものは無い。醤油だって飲み過ぎれば死に至る。現実、薬剤師が使う劇物の本にはピスタチオの危険性が致死量と共に指摘されている。
 先にも書いたが、「民主的で合理的で経済的」である点までで妥協しなくては人類は科学の恩恵に携われない。「科学の恩恵なんかクソクラエ!だ」って人は何処かの山奥に入って縦穴住宅に住み縄文土器でも焼いていれば良い。いや、土器を焼くための火を管理するのも科学だから、人類の祖先の猿のように樹上生活をするしか無い。
 マスコミの論調を見ていると「安全神話」を一番信じていたのがマスコミで、それを拠り所に多くの広告費収入を得ていた。原発が安全で無いのなら例え広告と言えど安全だとの情報の掲載を行った責任は免れない。犯罪(ある種の詐欺)の共同犯である。ただ、その自戒は出てこない。何故なら一番「安全神話」を信じていたのが当のマスコミだからだ。
 中部大学の武田邦彦教授が最近のブログで「空気的事実」との表現を使っている。科学的事実によらない雰囲気でしか無いものが事実として論証も経ずにまかり通る。これを「空気的事実」と表現したものだ。同じような事象を数年前に加藤紘一氏が「浮遊する世論」と表現している。極わずかな力で多くの人々の志向が流されて行くことを表現したものだ。
 まさに「安全神話」はこの「空気的事実」でしか無かった。ところが、原発再稼働に向けてもこの「空気的事実」しか論拠が無い。諸外国で使っているストレステストだから、これで評価すれば安全だ。こんな思考は何処から出てくるのだろうか。そう、空気的事実を根拠にしているだけなのだ。そして、それもまた神話なのだ。

原発再稼働に向けた説得力を求む
 現在の官僚主導政治の中で説得力は政治家に求められる最後の砦だ。官僚は制度設計には長けていても説得力って面では全然力がない。その部分は政治家が担わなくてはいけないのだが、民主党の政治家にはこれが決定的に欠けている。物事が決まらない政治が長く続いているのは野党が昔の社会党のように「駄目なものは駄目」と駄々をこねているからでは無い。世論を背景に国会を運営する与党政治家に説得力が無いからだ。
 原発再稼働を例にしても地方自治体とのネジレがある。沖縄の基地問題と同じ構図だ。地方の原発再稼働容認は再稼働に向けた必須事項では無いが、ここに説得力を持たない政治家は、ある意味、再稼働を地方の責任に丸投げしてしまう。日本の民主主義の原則である代議員制度では国民から政治を預託された政治家は全力で国民の預託を全うしなければいけない。
 原子力発電の再稼働に向けては国の専権事項である。国民が納得するように調査し対策を講じ再稼働を認可するのは国の責任だ。その責任を「決まらない政治」のまま放棄するのは職場放棄、敵前逃亡だ。
 原発推進も米軍駐留も国策である。であれば、国が責任持って問題解決を行わなければならない。そして国民を説得しなければならない。地方の組長との条件闘争ばかりに終始するから政治が進まない。脱原発で再稼働を認めないのなら、代替エネルギーの入手方策を国策として推進し、米軍の駐留を認めないのなら代替国防戦略を国策として推進する。その手順を進めなくてはいけない。それが政治の責任だ。
 原発再稼働も普天間移設のように10年も20年も放置するつもりなのだろうか。

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2012.03.26 Mint