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国策民営で放置された電力政策
原子力発電は技術革新によって人類が核のエネルギーを手にした貴重なエネルギー源の一つである。まず、この点に疑問を挟まれると話が進まないのだが、自然エネルギー利用とか脱原発だとか口にする前に、人類の科学技術の発展が人類にもたらした恩恵を否定する意見はこの際横に置いておくことにする。原子力発電を利用するのは電力企業の意向と言うより国策の色彩が強い。産業を支えるエネルギー施策はまさに国策によって方向付けがされる。安い原油が入手可能であれば国内の石炭の採掘を止め原油の輸入に傾斜する。水力発電の最適地が将来無くなることが想定されれば火力発電の比重を増やす。その原料である石油が政情不安定で価格が高騰することが想定されるので比較的価格の安定している原子力発電に傾斜していく。 これは全て国策である。この国策に沿って電力事業者は発電形式を増やしていく。 アメリカの軍事と連動した核開発の一翼を担う原子力発電と日本は「表面上は」違う事情にあるにも関わらず、アメリカ追従の原子力発電所の建設を行った。先に書いたようにトリウム原発を志向する道があったが、当時の国内の技術ではGEから学ぶのが先決で結局新しい原子力発電の研究は日本では当時は着手されなかった。最近、東芝が構想段階だが取り組んでいる原子力発電方式は当時と隔世の感のある新しい原発だが、実用化への道は今回の福島第一原発の事故により遠のいている。 国策として原子力発電を導入した日本では前例主義で原発を増やし続け、建設と稼働は民間で、その後の核のゴミの処分は国策で(費用負担は電力会社が行うが)とアンバランスな状態のまま稼働し続けてきた。 世界的にこれから数十年は天然ガスの時代が続くと言われている。天然ガス発電に取り組む電力会社が増えている。東京都が導入するコンバインド発電も天然ガスを主体としたものだ。 ここには際だった国策は無い。市場原理で天然ガス発電の普及が進んでいる。 |
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2012.04.23 Mint
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